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day1.さよならさんかく、資格は空白。履歴書を書くのはもうウンザリ

「仕事が続かない」とネットで検索すると、さまざまな転職エージェントが書く「仕事が続かない人の特徴」が次々と表示される。

やれネガティブだの、周りのせいにしがちだの、生活が不規則だのと、まぁ散々なことを書かれている。中には「あなたは障害者かも」とまで言われるものがあったりして、障害のある人にも仕事が続かない人にも無理解すぎるこのサイトは絶対に使わないぞ、と強く心に誓うのであるが、そもそも転職したくて見ているわけではないので自分が食らった衝撃の1万分の1ほども与えられないもどかしさだけが残る。

私は今までキャリアが長続きしたことがなく、それを「日本では不利だな」とは思うものの恥じたことはない。やりたいことが多すぎて、やりたくないことがハッキリしており、会社員という選択が難しいだけなのであるが、そんなのは日本社会ではまだ珍獣扱いだし、珍獣自身も鏡を見るのが怖いときはある。

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初めの仕事は特殊な職場で3年の任期付きだった。勤務時間が決められていたので自分時間を大切にできる環境はすぐに気に入った。3年経ったら大学院留学をしようと思っていたのだが、その職場で留学後の悲しい現実を見聞きすることが多く、更にはパワハラに遭い精神と身体を病んで敢えなく2年で退職。

次の職場は、私の体調不安を包み込んでくれる素晴らしい人たちに恵まれた。いわゆる一部上場企業、安定した経営のおかげで社内はとても穏やかだった。海外経験者が多くお互いの個性を尊重し合える雰囲気も大好きだったが、可愛がってくれた先輩に「ここにいたら成長はないから出たほうがいい」と背中を押され、その師弟愛に涙しつつ勤務開始1年後に海外へ飛び立つ。

海外ではまた1年の任期付き勤務。押さえつけて管理しようとする上司にチーム全員で徹底抗戦しつつも仕事がない日にはふらりと別の国に足を伸ばしたりと、笑いあり涙あり出会いと感動あり、汗と青春とシーブリーズの香りでむせ返りそうなチームワークの濃密ウルルン時間を過ごし帰国。

海外勤務前にプロポーズをしてくれた夫の海外赴任が突然決まったため、帰国後ベリーショートに髪を切った半年後に挙式というドタバタ劇を経て海外帯同、そこから3年間の職務経歴は夏の入道雲のように真っ白である。

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ここまで読んだ皆さんはもうお気づきだろうか。この4段落で一番長い期間がブランク、つまり無職なのである。日本では履歴書にたくさんの職務経歴があるのはNG項目のひとつであるし、空白期間の説明も履歴書や職務経歴書に書く場所すらないので、直接事情を話すためにも面接に呼ばれるのを期待して連絡を待つのみである。

いま現在は日本に帰国して正社員登用予定のアルバイトをしているのだが、出産や平日のワンオペ育児とコロナ下で家族に助けを求められない中での正社員としての勤務は後々自分の負担になっていくだろうと想像できてしまった。小さい子どもを抱えつつ正社員の話があるのはとても恵まれたこととは理解しているけれども、悪い想像は得てして当たるものなので、次のキャリアを模索するに至った本日のお話。で、仕事が続かない人のための働き方の多様性を知りたくてググったら、冒頭の言葉に出会ってしまったというわけ。いらん寄り道してしまった。

今日、仕事を辞めようと心に決めてから出会った記事。長い長い前置きの後に長い長い記事を貼ってしまい申し訳ない。気になる人は最初と最後だけ読んで。

記事の下の下にあったこのリストに沿っていくと考えが整理されるのでとても良かった。

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これによって、私は自分の子どもを最優先にしたいので、今すぐ転職してサラリーマンになり通勤するよりも、在宅でできる、手に職をつけられるものがしたいという答えが導き出された。

今までの人生で一番褒められてきたこと、各キャリアの合間のアルバイトでも続けてきたこと、何より私が楽しくてもっと上手くなりたいと思っていること… 文章を書くこと。これを磨き上げていきたいと思った。

今日はもう遅いので、明日は、夫と今後の私のキャリアについて考えて話したことを書こうと思う。



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