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私が今一番幸せといえるわけ

アラフィフの私が、日常で、自分が感じたことを書きたいと思い、「note」を始めて4年目。

40をすぎて自分の「思い」を大切にし、自分の「思い」と向き合ってきた私は、40代の後半に「note」に出会うまでの数年間のあいだに、溜めていた思いも全部書いたかもしれない。


一説には、自分軸を取り戻すには、自分と向き合う作業が大事だという。

私は、溜めた思いを書きながら、更に自分と向き合っていたように思う。


日常の気づきや思いも織り交ぜながら、それは、自分と向き合い、丁寧に自分の思いを重ねて行く作業だったのかもしれない。


驚くことに、「note」を始めた3年前より、今の方が、ポジティブなことを連ねている率が高いことに気付いた。

始めた当時も、どちらかというとポジティブなことが多いが、今の方がより一層ポジティブワールド全開のようだ。


いつも記事を読んでくださっている方は、時に私の腹黒い気持ちを吐き出す記事も知っていらっしゃるかと思うが、圧倒的にポジティブなことが多い。


これは、「自分軸を持っている人は、ポジティブに物事を捉える」という説に沿っているのかもしれない。


だけども、それは、私が恵まれていて、運がよいという地盤があっての事だ。

今の私は、最高に「ついている」。

最近、特にそう思う。


肌が馴染むこの土地に嫁いできて、自分に向いているだろう仕事に就けて、そして、健康でいられる。


これが、もし都会の空気の中で、合わないだろう職種に就いていたとしたら、今までしてきた以上の努力が必要だったかもしれないが、それが出来るとも限らない。

住んでいる場所の空気が、肌が馴染む。
最低限の努力でここまでこれたのは、そのお陰だ。

私にとって、これほど大事なことはないな。と思う。

そして、女性は特に結婚後の生活が長いから、どの場所へ嫁ぐのかも大事なのかもしれない。


都会が好きなら、都会へ。田舎がすきなら、田舎へ。
これが分かれ道なのかもとも思った。


「(田舎すぎて)地元にはよい印象がなくて、地元をはなれたい」と娘がこぼしたときには、「自分を育ててくれた地元に何ごとだ!」と夫は憤慨したけれど、「住みたい場所に住むのは、とても大事なことよ」と私は諭した。
その言葉を聞いて、更に娘の決断を後押ししようと思えたのが本音。


義父が亡くなって、義母は認知機能がさらに低下したが、「わしは、ここに手伝いにきただけや。役目が終わったから、早く実家へ帰らなあかんねん」「口減らし(家計を助けるため)できただけで、嫁ぎにきたわけではない」と言うのは本音なのかもしれない。

となり町の更に山奥から嫁いできた義母は、もともと、こちらへは嫁ぎたくなかったそうな。


そのことを思えば、私は運がいい。


初めてこの地を訪れたとき、コンビニひとつない山道をくねくねと15分ほど車に揺られ、当時はなかったけれど、町内最後の信号を折れ、更に家の在りかがなくなっていく山道を、車が進んだ時には不安だった。


こんなところに家あるの?めっちゃ、山の中やん!どこへ連れていかれるんやろ。
確かに、田舎に住みたいけど、ここまで田舎やとどうやろ・・・。


不安から始まったこの土地との出会い。

だけど、それまでの生活からすると、考えられない位に自然に囲まれる生活と、未経験だけど農業に憧れ、自分で決めて嫁いできた。

サラリーマンだった父の定年後、両親が生まれ故郷であるこの地へ帰ってきたように、私の血もこの地を「終の棲家」として求めていた。

それが地盤にあるから、やってこれた。


もしかして、私って運がいいんじゃない?!
ついてるんちゃうん?

そう思えたのは、つい最近のことだし、そう思えるまで一筋縄ではいかなかった。

だけど、ネガティブなことを言っている間は、ネガティブなことだけが脳裏を巡り、ポジティブなことを言っていると、物事をポジティブに捉えたり、困ったことが起きても、楽観的に物事を考え、自然と解決策を講じることができるようになった。


ネガティブな発言や考えは、ネガティブな思いを呼び、ポジティブな発言や考えはポジティブな思いを引き寄せる。

それを、ものすごく実感する。

ネガティブなことを思っているうちは、身体にネガティブな思いがまとわりついて離れなかった。

とすると、「note」にポジティブなことを書いているから、ポジティブな思いを引き寄せているのかもしれない。
記事にポジティブなことが多いのは、そのお陰かも!


だけど、もし20年ほど前に、「note」を始めていたら、ネガティブな思いや考えが並んでいたのかもしれない。
あの時、「一生分」という位、ネガティブな思いに駆られていた。

そこから、自分と向き合っていたのは変わらなかっただろうけど。


いずれにしても、自分と向き合うことは、自分軸を構築させて、ポジティブに物事を捉える自分を育てること。成長させること。


だけど、人生は波があるというから、今はたまたま良い時なのかもしれない。

これから、自分の身体はどうなるか分からないし、家族の状態もどうなっていくか分からない。
そのときは、又感情にどっぷりとつかって、ひとつひとつ丁寧に向き合っていくことで拓ける道が見つかるのかもしれない。


とはいえ、人間だから、今現在の生活も腹黒い思いを抱えることはある。
そのときは、今まで通り、「note」に書き出すことになるだろう。
書いているうちにモヤモヤは消え、解決策を講じることができるから、ネガティブな思いも否定はしない。

その思いが時に自分を成長させてくれることもあるから。

今は、たまたまそれがないだけ。

そう、だから、今はネガティブなことを書く理由がない。 


かと言って、別に夫とラブラブなわけでもない。
(仲が悪いわけでもないけど、不満がないわけではない。私からすると、60点から70点の夫である。もしかすると、夫から見た私もそれ位?(笑))

いま、認知症の姑と同居していて、不安が全くないかと言えばそうではない。

自分の実家とは疎遠だ。母とは誰かしらの葬儀で会うだけで、実家の家族が二十数年前に祖母の家の傍に引っ越してきてから、一度も訪れたことがない。

娘は、今年になって更に遠くへ引っ越して、めったに帰ってこないし、ラインひとつ寄こさないから、私が月に一度安否確認のためにラインを送る。

息子は農業を継いでくれたけど、嫁さんが見つかるか心配。

普段、行き来するのは畑と家。そして、買い出しだけで、どこも行かない。
(いつかは、遠出してみたいけど、「note」でいろんなところへ行けるし、今のところはそれで満足)

膝のこわばりは気になるし、時々耳鳴りがなったり、目の老化がきになったり、多少の更年期障害が気になったりと、身体のことも不安がないわけではない。(10年先を行く夫をみていると更に不安をかんじる)


それでも、私は、いまが一番幸せ。

そう言える。

(この先の人生が長いのに、そう言えることが怖い気がする。)


なぜって、今の自分は、「自分を持っている」から。

あと、心身のコンディションがそれとなくいいから。


あとは、自分が置かれている環境に恵まれているという地盤があるから。
二十年余りかけて生活の基盤となる仕事を、自分のものにできたのは、仕事が自分に向いていたから。

農家の跡取りだったら考えられるけど、農業をしたいって思っていても、そう農家になれるもんではないよね。私って運がよくて、恵まれている!

農家に縁もゆかりもなかったのに、よくぞここへ嫁いできたものだ😊

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