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いくら年収が高くても、取り巻きの環境が良くなければ意味がない。

義父は時々不意に言う。

サラリーマンのようなものは、つまらん。
人に使われるくらいなら、家で働いている方がましや。

この間も、言っていた。

外で働いて、チンケな給料もらう位なら、山椒作っている方がなんぼかマシや。


私はカチンときて、『外で働ける柔軟性を育んでいくのも大事やと思うよ。息子は、今、外で一生懸命に働いていてエライと思うわ。」と、主人にボヤくように返すのが精一杯だった。


いや、年齢が年齢だけに、自分の息子に「エライ」というのは、語弊があるのかもしれないけどね。


主人も時々言う。
息子みたいに、やっすい給料もらう位なら・・・と。

主人が農業を始めて、まともに目が開けられるくらいの所得を得ることができるようになったのは、つい6年ほどまえのことである。

それまでは、義父が「いいとこどり」を、していたせいだ。

主人は、それまでの状況が悪すぎたがゆえに、その思いが強いように思う。


私は思う。

今の農業、儲かる農業は難しい。

上手く、加工などを用いた6次化産業に取り組んだ、若手のごく一部の人か、単価のよいものを効率よく作っていらっしゃる方しか儲からない。

義父位の年齢の人が考えることと言ったら、儲けるには、手広い畑を用いて作物を育てることのようだ。

育てる作物の量が増えれば、収入も増えるという単純計算だから、自ずと畑は広くなり、育てる作物の量も増える。

山椒をはじめるときにも、「数百本植えれば、年収は数千万円や」などと、念仏のように言い、いまでは、千本を超える山椒を管理している。

机上の計算は得意な人なので、計算の通りにコトを進めていくが、作業をするのは、周囲の人間だ。


人件費を含む経費を差し引いた粗収入を、皆に平等に与えるだなんてことはしないので、その辺のサラリーマンの年収より多くて当たり前だった。

楽に、その辺の大卒サラリーマンより稼げるからこそ出る言葉である。


だけども、外部から嫁いできたわたしは、違う見方をしてきた。

私が、確定申告に携わり、およその年収や経費が見えてきたところで、粗収入を、当時仕事に携わっていた、義父母と私たち夫婦の4人で割ったらどうだろうか。と。
大卒サラリーマンの年収を多少上回る程度だ。
それも、その辺の農家より2倍くらい作物を作り、畑を手広くしないと成り立たない。
大人が数人寄ってたかってかかっても、忙しさは半端ない。


主人も今となっては、「息子のようにやっすい給料もらう位なら・・・」というが、特に夏のあいだは、あまりの畑の広さに疲弊する。

畑がこれだけ広かったら、手が回らへんわ。
しんどすぎて、何も面白くない。


とぼやくのは、どこの誰なのか?!と、こちらがぼやきたくなる。

私はわたしで、頼みとなる主人抜きで、多くのアルバイトさん相手にてんてこまいしながら仕事を進めているけれど、主人がメンタルをやられているのに引っ張られないように、何とか自分を奮い立たせ、怒涛の日々を送る。


とはいえ、しんどい思いをすれば、それだけのことはある。

たしかに、私たちが山椒全般を請け負い、山椒の収入を手にするようになってからは、主人とわたし、二人で粗収入を割っても、そこそこのお金を手にすることができるようになった。


今、息子が手にしている、年収の数倍になるのかもしれない。

だけども、それは、傍で嫁がそれ相当、働いているから仕事が回るのであって、嫁がいなければ仕事は回らない。
私たちはどんどん老いていくのは分かっているし、主人は今でさえ限界がきている。息子ひとりではにっちもさっちもいかない。

それに、お金の面でいえば、息子が、私たちの仕事に携わるとなると、単純に3人で粗収入を割るということになる。


義父のばあいだってそうだ。

どれだけ自分が動かずよい思いをしたのか、だいたい想像はつくけど、それは、嫁がうごき、息子が犠牲になり、息子の嫁を巻き込んだがゆえに、生まれた利益だ。
義父が、「ひとり勝ち」しただけのことだ。

事実上、義母は数年前に畑仕事を引退したが、嫁いできたときから、仕事をする義母は、そんなに幸せそうに見えなかった。
義母が、義父のお金の使い方に関して愚痴るのを聞いたことがあるが、自分ひとりが良い思いをするために、周囲を犠牲にして、そんなに鼻高々に言えることなのか。


いずれにせよ、私がここに嫁いできたときのイメージが悪すぎる。

男の子を生んで、農業を継がせるのが、私の使命。とまで考えていたが、今のわたしは、そこまでの強い使命感は持っていない。

あまり良くない環境でやってきて、その使命感が失せるのは、時間の問題だった。

ただ、私自身は、農業の良いところ、悪いところを熟知しているので、それを息子に伝えてはいる。

私自身、一時は苦しんだけど、働いたことに対する対価としてお金を得ることにこだわることは、手放した。

物欲がなく、必要最低限のお金さえあれば満足する人間だから見えてきたかもしれない、仕事の良さ。


この数年に関しては、精神安定剤として、年末にほんのわずかなお金を頂き、貯金をしているが、それまでは、私がお金を手にすることはなかった。
だけど、いろんな苦悩を乗り越えてからは、年収の上下で、気持ちが揺らぐことも、生活の質が変わることもなかった。


それでも、農業をしている自分は、幸せだった。


数年続いたOL生活は、私自身が実際手にするお金のほうが何倍も大きかった。
あのまま仕事を続けていて、OL生活でぶち当たった苦悩を乗り越えたとしても、そこまでの幸せを感じられなかったと思う。


たぶん、私には農業の方が向いていて、農業のほうが好きだから。


義父や主人が手にしてきたお金を手にするには、全く同じ環境で、仕事をした場合であって、息子が働く頃に、全く同じ取り巻きの環境が整っているとも限らない。

義母でさえ、「最近は、人手不足に悩んでいるのに、そう簡単に同じように仕事が回るとも・・・」と言葉を濁していた。


たとえば、農業を本人の意思がないまま始めることになったとして、息子の収入があがっても、息子が精神的に病んでいたら、元も子もない。


やっすい給料をもらいながらでも、「大変やわ」と言いつつ、取引先の人にも可愛がられ、会社の人にもおそらく大事にされていて、意気揚々と働ける今も、息子にとって幸せだと思う。

自営業とは違い、いろんな人間のはざまで上手く調整をとったりしながら、自分を成長させていく、サラリーマンの仕事も尊い。

サラリーマンに限らず、どの仕事もなければ世の中が回らないのであって、どの仕事も尊い。

義父にサラリーマンを見下す権利なんて、どこにもないのだ。


自分の性格や、向き不向きもふくめ、取り巻きの環境が整っていないと、どんな収入を得ても、幸せになれない。

とりあえず、どんな仕事についても、心身健康でいてほしい。

仕事の内容で病みながら高級どりになるくらいなら、低賃金でもいいから、自分が向いていて楽しみを見出せる仕事に就いてほしい。


それが、息子に対しても、来春社会人になる娘に対しても、願わざるを得ない母としての思いだ。


ま、息子自身は、農業に向いていないこともないし、家のことを何も考えていないということはない気がするのだけども。

心なしか焦っている主人をなだめつつ、息子に押し付けもせず、急かすこともせず、とりあえず見守ろうというスタンスを保とうと思っている。

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