「お金」のことに関して、「知らぬが仏」が幸せ?
少し前に「#お金について考える」の企画をみつけた。
書こう書こうと思っているうちに、期限がすぎてしまったが、良い機会なので、「お金のこと」について向き合ってみようとおもう。
私は、お金のことをまるで分かっていなかった。
多分、おぼろげにしか分かっていなくて、今も知らないことが、たくさんあると思う。
こちらに嫁いできた当時、生活に慣れるのに必死。
もっと言えば、生きるのに必死で、「お金」のことに関して考える余裕はなかった。
義父母や夫に気を遣っていたことが、私を「お金」に関して、さらに鈍感にさせていた。
生活はやっていけていたので、特に困りもしないし、たいして欲しいものもないこともないことも追い打ちをかけていた。
数年たったころ、いくら鈍感なわたしも、気付いた。
結婚してるのに、舅から小遣い制?!
それは、多分、おかしい!
若く世の中のことを知らなかった私が、確信はもてなかったが、疑問を抱いたからこその「多分」だった。
長らく舅の管理下にいた「一家の主」であるべき夫は、「息子」を卒業できないでいたのかもしれないが、「結婚するってこういうことじゃない?」が、私の思うところだった。
自営業で、完全同居の難しいところもあってのことだったと思うが、この時の私の判断で、やっとのことで、夫も少し自覚が芽生えたのではなかろうか。
普段から物欲がなく、お金に執着はないと自分では思っていて、最低限の食べるものと寝る場所があれば満足という私は、「お金」に対して、意識して危機感や興味をもたなければ、流されるだけ流されて終わるような気がした。
その危機感は、自分自身が結婚して「しっかりしなきゃ」という自覚のもと現れたものだと思うが、考えてみれば、財布は夫が握っているものの、「お金」に関してポイントポイントを押さえてきたのは、過去を振り返っても、案外わたしなのかもしれない。
「お金」に困るという実感がないだけに、若い頃は特に、先のことが想像しにくかったが、老後を考えて、農業者年金をかけてもらったのも、夫に申し出てのことだ。
今のお金には困っていないから、わずかなお金でも、働いたお金を老後に回すと考えると、働くモチベーションにつながるかなと思ってのことだった。
夫の知らないところで、「500円玉貯金」もするようになった。
働いた賃金には、とうていそぐわないかもしれないけど、自分でできる範囲のことを行動に移すことで、お金に対しての不満感は拭えた。
家のために身を粉にして働いているのに、賃金を頂けないことに、少なからず不満や不安を抱えていたのだ。
だけど、財布は夫が握っていることが、私を「平和ボケ」へと突き落としていたのかもしれない。
最低限のことを行動に移せた安堵感から、その後のことは何も考えていなかった。
もし、私が財布を握っていたら、もう少し考えていたかもしれないが、その後、最大の危機感をかんじる時期に突入する事となった。
上の息子が、大学に入学してしばらくたった頃のこと。
夫が義父相手に、「お金」のことで掛合っていたのだ。
「掛け合っていた」どころか、喧嘩といっていい。
当時、義父母は既に80歳前後で、既に、私たちも山椒の仕事に関わることが多かった。
にもかかわらず、柿の倍ほどの山椒の収入を義父が担い、柿の収入を夫が担っていた。
息子の学費を支払うとなると、柿の収入ではやっていけないと、夫は申し出るが、義父は、どうしても、山椒の収入を譲渡さないと言い張った。
様子を伺っていた私は、いちど、家の収支にきちんと向き合ってみようと思い、パソコンの表計算アプリ『エクセル』で、収支をまとめ上げた。
加えて、大学で必要な学費がどれくらいかかるのか、義父にも伝えたうえで、話しを進めるよう、夫へ勧め、一件落着となった。
義父も、家の収支を可視化されたものを、さらけ出されると面食らったようだ。
あと、学費の大きさに驚いていた。時代の流れをやっと分かった風だった。
一応、誰もが一目瞭然に、分かるように気を付けて作ったつもりだが、夫が義母に見て確かめるように勧めたが、義母は見ようともしなかった。
義母は、きっと生きてきた時代が、ちがうことも一因していることが大きいのかもしれないが、「お金」に向き合ってきたことがなかったと思う。
だけど、私はそうして「家の収支」と向き合うことで、分かったことがあった。
収入が、月ごとではなく、年に数回の収入で一年間をやりくりするのは、ある意味ややこしいからなのか、私からすると、何でもかんでも「どんぶり勘定」のような気がした。
義父が、それまで、行き当たりばったりで、その場しのぎで必要なお金を用意してきたように、夫もその管理方法を継いだのもそうだし、「家の収支」を可視化するために、夫に聞きながら整理していくと、何とも煮え切らない点がでてきた。
夫に家計のことを聞くことにあたり、初めて知ることばかりで驚く私。
山椒の人件費や経費ふくめ、税金、車のガソリン代以外の経費等も全部夫が支払ってきたという事実。
経費の中には、想像以上に高い、「所得税」までもが含まれている。
柿は、山椒に比べれば、随分と低所得なのに、なぜ・・・。
いわば、私たちが柿の所得を管理するようになって、子供を育てながら、義父母に多大な収入があるにもかかわらず、義父母の生活も担ってきたことになる。
私たちが数年にわたって管理していたならば、貯金も出来たであろう、山椒の粗収入はほとんど残されておらず、残りは義父の年金でやりくりしていたようである。
当時、義母は自分で買い出しに出掛けたが、調味料や、トイレットペーパーなどの買い足しはめったにしてくれず、電化製品等の買い替えも全部わたしたちがした。
夫が財布を握ってくれていることで、ある意味、「知らぬが仏」状態で、のほほんとしていた私が、煮え切らない気持ちになったのは本音。
今現在も、義父母の生活を担っている割合は大きい。
特に、義父の訪問看護やリハビリの金額は思いのほか高い。
多分、私が財布を握っていたら、精神的にもっと追い込められて、義父母との「完全同居」は難しいかもしれない。
大ざっぱな夫だから、きっと万事がうまくいってる気がするのだろう。
このまま夫に財布を握ってもらって、「知らぬが仏」状態が平和でいいのかもしれない。
数年前から、自分から申し出て、微々たる金額だけど、1年ごとに貯金もはじめた。(今年も、すこ~し賃上げしましょうか♫)
子供も大学を卒業し、少しずつお金も貯まってきているとは聞く。
だけども、お金と向き合うことによって、知識を得たり、これから先の心得がそれなりにできた。
息子たちには迷惑をかけないよう、できる限り、老後の貯えをしていこうと思う。
一方で、義母は、一本筋の通った「仏」かもしれない。
義父がどちらかというと浪費家だったことは、同情の余地もあるのかもしれないが、夫の浪費によって子供たちに、生活費を依存しなければならないことは、義父がいちばん悪いけれど、義母も同罪だ。
畑でまじめに仕事をしてきたことだけをかぶせて、自分も被害者だったというのは、また違う気がする。
お金に向き合ってこなかっただけあって、その事実を分かっていないだろうことは、「知らぬが仏」なのか、はたまた「知らないふりをする仏」なのか分からないが、本人は幸せかもしれないが、どうなんだろう。
私はそうはなりたくない。
私が夫に、この先のことを考えて話題にすることも増えたことに加え、両親の姿からも読み取ることが増えたせいか、最近になって夫は義母に促す。
「年金は生活を工面するために使うものなんやで」と、今まで一切手をつけてこなかった年金で買い物をしてもらうよう頼んだようだ。
「今度は、子供に迷惑かけやんよう、オレらが老後の貯金していかなあかんし、家もやり直さなあかん」と加える。
お金のことなんて、その家の収支によって、計画通りにいかないことも多々あるだろうけど、筋金入りの「知らぬが仏」でまかり通るわけではない。
ある程度、向き合わないと、周囲に迷惑をかけることになる。
こうして書いてみると、私は、お金に執着はないし、義父母のことは迷惑をこうむっているなんて思ってもないし、何とも思わないわだなんて言いながら、あざとく自分のペースへもっていこうとしている、「知らないふりをする仏」であって、じつは鬼嫁なのだ。😈
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?