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「需要」と「供給」が一致しないと「思いやり」ではない。そして・・・。

昨日は、久しぶりの雨だった。

珍しく晴れの日が続いていたので、長らく行けていなかった買い出しに行くことになった。

冷蔵庫は空っぽ。1週間にいちどは買い出しへ行くことになる。

持病のため車の運転ができない私は、いつも夫に、連れ出してもらう。

昨日も買い出しの車の中の会話で、義母の話題がでた。

最近、会話の中で、義両親のことを話すことが多くなった。

夫曰く、「両親があまりにも長生きすると、しんどい」。


嫁の立場として、義両親との同居もしんどいけど、実子の立場として、実両親との同居も、しんどいみたいだ。
自分も年を重ねる代わりに、両親も年を重ね、若い頃と「思い」は違ってくるようだ。

若い頃は、私が、少しでも義両親のことについて愚痴をこぼそうものなら、烈火のごとく怒っていたけど、今は、お互い寄り添いながら、聞き役といったところだ。

今朝の「お膳」を供えるのって、結局は、義母さん行ってきてくれたの?

オレに言うてきたけど、「行って来てくれ」って頼んだ。
オレ、仕事目一杯してるのに、オレに行けっていうんか?!

夫は、少し不満げに言っていた。

こちらでは月1回、集落の家が持ち回りで、地元のお寺に祀られている神さまに、魚や煮物などを乗せたお膳を供える。

その日が、25日と決められている。

集落には30件ちかくの家があるので、2年に1度、回ってくるか来ないかの割合だ。

場所は、家のすぐ傍だけど、お膳をもって少しややこしい道を5分ほど、通っていかねばならない。

雨がぱらつくなか、お膳をもって行くのが億劫とかんじたのか、朝一番に、義母が夫を起こしにきた。

別に時間は決められていないのに、寝ているなか起こされた夫は、怒りをあらわにしていた。

結局は、パラついていた雨もやみ、義母に託したといったところだ。

義母は「するべきこと」に、囚われるのが苦手。

2年に1度、回ってくるその役割を果たすべき、前の日から気になって眠れなかったようだ。

いつもは、義母が当たり前のようにやっている。

何かをきっかけに、その役割から逃げたいのではないかというのが、私の見立て。

別に、あなたに頼みにこなくてもいいのにね。

ちょっと意地の悪いことを言ってみる。

普段、何もしないのに、それくらい・・・と、言いかけると、夫も同調したように頷く。

調子に乗って私は続ける。同じことを今まで幾度か言った気がするけど。

私は「完全同居」の割には、助かった!ってことがないのよ。
義母さんがデキルのは、お盆のときの用意と、今回の「お膳」を供えることくらいでしょ。
その時くらい、「助かった!」と思わせてくれないと。


私が義母にして欲しいことは、毎日のおかず作りに風呂焚き、ご飯を炊くこと。それに、トイレの掃除。あとは、毎日のゴミ放りと、薪がなくなったときの補充と灰の処理。

だけど、義母はそれを「やるべきこと」とは、捉えていない。

いちど、何かの拍子に「『仕事だけ』を、出来る環境は恵まれていたこと、実感して、ちょっとは感謝してよね!」と、捨て台詞を吐いたことがある。

そう、義母は、20年ほど、一切家事をしなくてもいい環境で「仕事のみ」をしてきた。

農作業を引退してから、一度や二度は、ご飯を炊いたり、トイレ掃除をしたり、お風呂を焚こうとしたけど、それ以上は続かない。

代わりに、その場を瞬時に取り繕うことができる、草引きやホウキで掃くことを、私の目の前でやって見せる。

育児で忙しい時も、何を手伝ってくれたわけでもないし、区の常会があるときも、夫が習い事の送り迎えで行けない時、私が街頭ヒトツない暗い夜道を、少し離れた公民館まで歩いて行った。

「車を運転できる義母さんが居るのに・・・」と、その度ごとに思った。

他の家は、若夫婦が忙しいと、甲斐甲斐しく孫を保育園へ送り迎えする、じいさんばあさんの姿が見られたし、常会もその年代の人が出席していた。

他にも・・・・。

毎日のルーティーンが、苦手なんだろうって割り切ってるし、もういいんだけど、私が求める「手助け」と、義母がしてくれたことが一致しないから、思いやりも感じない。

だから、こういったときも、「私がやりましょうか」とならない。

「思いやり」は、「需要」と「供給」が、一致しないと通じない。

その「思いやり」をもって接していると、「思いやり」は返ってくる。

そう思っている。

だから、私が「やりましょうか」と、率先してやってみたらいいのかもしれないけど・・・。「思いやり」が感じられない相手のために、動く気になれない。

それに、毎日のように、近所の同世代のおばちゃんと、足腰が弱らないようにと、一時間も二時間も歩いてくる義母は、まだまだデキル。

ほんの、5分ほどのことなんだから。

2年に一度、回ってくるか回ってこないかのその役割と、田舎ならではの手間のかかるお盆の用意。

それくらい、やってよね!それは、義母さんの役割!

そう割り切っている。

今日明日ダメになりそうな風だったら、助けるけど、あと10年は大丈夫!
農作業だって、ほんとうは引退するほどではない。

一方で、私は「思いやり」をもって行動してきたつもり。

嫁いできて、何をすべきか、せざるべきか。

生活を回すのに、必要な義母が苦手とする家事。

私が嫁いできたときも、ご飯が炊けてなかったり、お風呂を焚くのも夫がしていたし、洗い物も残ったままだったし、家の中ももっと雑然としていた。

義両親と夫の3人の生活が、長く続いたことで、仕方なかったのかもしれないけど、なぜ義母が変えようとしなかったのか不思議。

表面は「仕事が忙しいから」と位置付けているのかもしれないけど、それまで家事をやっていたとみられる夫の曾祖母が亡くなったときに、義母が意識改革しなかっただけのこと。

この家に必要だったのは、「家事」ができて、「仕事」の手として間に合う嫁だったのではないだろうか。

今やっている、柿の「摘蕾作業」。

柿の蕾を、ひとつひとつ丁寧に落としていく時間の作業だけど、何せ手間と時間がかかる。

人手がヒトリ増えるだけで、大助かりの仕事だ。

私なら、最低限の生活費はかかるかもしれないけど、報酬なしで、文句ひとつ言わずに仕事をしてくれるヨメが来るとなると、感謝してもしきれない。


だけど、義母にとっては「当たり前」。


自分がやってきたから、当たり前のように感じているのかもしれないけど、義両親の脳内は、昭和の時代で止まっている。

義父も昭和のやり方で、何もかも押し通そうとした。


かといって、別に今更、義母に感謝してもらおうなんて思ってもない。
感謝してもらうことを見返りに頑張ることなんて、とうの昔に辞めた。

何をしても、感謝なんてしてもらえないし、そんなことしていたら、病むのは当たり前。

だけども、私にとっての「思いやり」は、この家を回すための「家事」と、一人前に十分足る能力の「農作業」だと思っていた。


私の思いと、義母の思いとはかみ合わないから、いつまでたっても、歯車が嚙み合って回りだすことはない。

まだまだ「私のほうがすごいのよ!」と、元気なうちは、歯車がかみ合うことはないだろう。
子供が幼い時も、夫の曾祖母がご飯を作ってくれて、お風呂を焚いてくれた環境でずっときただけに、家事と仕事と育児の両立は想像できないだろうから、一生噛み合わないのかもしれない。


そんな義母は、自分でできることも、何かと人に手助けを求めることが多い。

嫁いできてからも、私が夫に頼む以上に、義母の方が息子を呼んで、頼んでいることの方が多い。いとも簡単に人に頼る。

今回もそう。

夫は「(自分の)父親は何もせんから仕方ない」と、義母をかばったりするけど、「そういう夫婦関係を、築いてこなかったからでしょ」と返す。

夫が「どっちもどっちやねん」というように、お互い独りよがりな「思いやり」を押し付けたところで、相手には通じない。

ヌルめのお風呂が好きな義父が、まったりとくつろいでいるときに、「お風呂どう?焚こうか?💕」と、毎回のように、わざわざ聞きにいくのは思いやりではない。

私が皆が気持ちよく入れるよう、私が追い焚きまで調整しているのを、知っているくせに、いかにも・・・・。

ほぼ100%の割合で、断っているみたいだけど。

義父が、義母が食べもしないものを買ってきて、「おい!買ってきたぞ」と表面だけの思いやりも通じない。


お互い、相手のために、他にできること、あるんじゃないの?と、思ってしまう。


相手が本当にしてほしいこと、望んでいることは何か、よく考えないと、「需要」と「供給」は一致しないし、歯車はかみ合わないし、回り出さない。

「需要」と「供給」が一致した思いやりをもって、相手に尽くすと、思いやりは返ってくる。

他の人間関係も同じかもしれないけど、いざという時も、頼みやすいし、相手は動いてくれる。


そうやって、何年もかけて、「夫婦関係」を築いていく。
私達夫婦も、その途中だと思っている。

年取って、相手に頼めなかったり、相手が動いてくれないのは、それまであった何十年もの夫婦の時間を、どう過ごしてきたのか、物語っているだけのことのような気がする。

夫婦にしか、分からないこともあるのだろうけど。

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