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義母さん、長生きしてたらいいこともあるね。

義父が亡くなって、1カ月がたとうとしているが、義父が亡くなってからというもの、義姉や義兄が顔をみせることが多くなった。

義母がデイサービスが休みの日曜にあわせ、今のところ、義姉と義兄が代わるがわる来てくれている。


年に数回程度しか、実家に顔をみせていなかった義姉は、義父の状態が悪くなってからというもの、月に数回顔をみせるようになった。

7,8年実家に顔をみせなかった義兄は、義父の状態が悪くなったことを受けて、義父が亡くなる1カ月ほど前に、久々に顔を出した。


ふたりとも義父の様子を伺うと同時に、義母の認知症が進んでいることも目の当たりにしたからであろうか。

年があけてから、ことあるごとに夫は、義姉、義兄に言ってきたからであろうか。

なんで俺だけが、親の面倒を見やなアカンねん。
兄ちゃんにも姉ちゃんにも、見る義務はあるんやぞ。


私たち夫婦は、平日であろうと日曜であろうと、晴れの日は基本仕事なのでありがたい。


家の周辺を散歩したり、店へ買い物へ行ったり、ときには義母の故郷の方へドライブに行ったりと、時間の過ごし方は、その時々によってちがうが、他府県に住んでいる義兄は、前の晩から泊りがけでくるので、正直いうと多少負担が大きい。

ただの15歳はなれたおじさんと言えばそれまでだが、嫁の立場からすると気は遣うし、そう話したことがない。
(夫の)姪っ子が幼い頃はよく泊りがけで来ていたけど、その頃は私はねこを被りまくっていたし、無口で大人しい嫁さんで通っていたはずだ。

義兄と夫との仲もそう良くはなかったので、普段から接することもなかった。

だけども、普段一人暮らしの義兄は、自炊の腕を振舞おうと、土曜の夜には夕ご飯を用意してくれる。


この間は、家の近所の有名な肉の販売店で買ってきてくれたという、ステーキ肉を保冷バッグで持ってきて焼いてくれた。

あとは、家にある材料でじゃがいもサラダを作ってくれた。


「さあ、みんな、食べようか」と声をかけるのが義兄の定番だが、前回は仕事で疲れていたこともあって、いつものように、ハナレの部屋でゆっくりひとりで食べた。

今回は、仕事が休みだったこともあって、「ならばそうさせてもらおうか」とばかりに、食卓へついた。


わたし達が普段口にしないほどの分厚くやわらかい肉に舌鼓を打ち、息子も満足げ。

「kakiemonさんに喜んでもらおうと思って、買ってきたんやで」と言われれば、いくら私でも、美味しさを言葉にして感謝を伝えなければならないと、少し気を遣う。


食卓で幾人かと食事をするのは、随分ひさしぶりの気がする。

子供たちが小学生のあいだは、義父母も一緒に食卓を囲むことは頻繁にあったが、中学生にあがると、習い事に勉強に友達関係が優先されて、銘々で食事をとるようになった。


私は、ハナレの寝室が一番リラックスできるので、三食すべてテレビを見ながら食事をする。

夫は、母屋の食卓で、ユーチューブを見ながら食事をする。

子供たちは都合の良い時間に、銘々の部屋で食事をするし、義父母は私たちより随分遅れて食卓で食事をとってきた。


また、義兄もしばらく実家に顔をみせなかったので、実家で食事をするのは随分久しぶりということになるが、自然と会話は続く。

先に食事を終えた私は、義母と義兄と夫の会話を背に食器を洗っていると、夫が義母に話すのが聞こえてきた。

「おかちゃん(お母さん)、まっさらこの年になって、息子に料理を振る舞ってもらえるなんて思ってもみなかったんとちがう?」


「ほんまや、わし、死ぬまで皆に(息子に料理を振る舞ってもらったことを)話さなあかんな。」

「義母さん、長生きしてたらいいこともあるやん!親孝行してもらえていいやん!そんなん滅多にないよ!」

思わず、食器を洗いながら口を挟んだわたし。
自分が長生きすることを嘆いてばかりいる義母に、伝えたいと思って出た言葉だった。


「オレもずっと忙しかったからな。時間があるからできるんや。」とは、最近まで、定年延長で働いてきた義兄ならではの弁。


それこそ長生きした場合、子供にも時間ができて、そういう時間を設けることも出来るかもしれないと感じながら、義父が亡くなって実家へ向かう足取りも軽くなったかなと脳裏をよぎった。

結局、義兄が発する言葉から、義父に対する思いはしこりは強く残っていると感じる。だから下手に義父のことは話題に出せない雰囲気が漂う。


それでも、長らく実家から足が遠のいていた義兄が帰ってくることに、意味がある気がする。

いちど柿をもって夫と二人で、義兄を尋ねたことがあるが、実家への思いをこじらせ、頑なに口を利こうとしなかった義兄に最後にのこした言葉を思い出す。

義兄さんの実家は、こっちにあるんやから、いつでも帰っておいでよ。

兄弟のやり取りを遠巻きで見ていた私が、唯一義兄に話しかけた言葉だった。

わたしが義兄以上に実家と距離を置いているからこそ、伝えたかったのかもしれない。


それから随分長く時間はたったが、現実になった。

帰ってきたからには、受け入れる責任がある。

わたしが、間違いなくそう伝えたのだから。


おかえり。


泊った夜は、決まって兄弟仲良く晩酌をする。

愛想なしの私は、晩酌の習慣がないことはおろか、お酒をめったに飲まないので席を外すが、食卓からは楽しそうな雰囲気が漂う。

兄弟の笑い声や楽しそうな会話は、きっと義母の寝室に届いているはず。

普段はそう仲がよいとは言えないハズなのに、なんとも親孝行だなとかんじる。

そして、ちょっぴり羨ましくも思う。

義父が亡くなってから、夫は折を見て、義兄や義姉に実家であった過去の出来事を話す。

kakiemonさんも大変やったんやな。

(母親のこと)頼んどくわ。

義兄や義姉から、いままで労いの言葉やいたわりの言葉はかけてもらったことがないだけに、その言葉は重い。

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