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想定外のことは、いろんな「副産物」をもたらす。

いまやっている仕事は、「摘蕾」。

1本の枝に、4つないしは5つほどついた蕾を、1つに絞り込み、他の蕾をぜんぶ落とす作業である。

全ての枝についている蕾を、取り残すことなく、1つにしていかなければならない。

向きは、日焼けを防ぐため、下向きか横向き。他の枝に挟まれないような真ん中のあたりの実を選ぶのが鉄則。

適正な個数を残すことによって、栄養が十分いきわたり、蕾はやがて花を咲かせたあと、最適な大きさの実に成長する。

嫁いで初めてやった農作業らしい農作業が、この「摘蕾」だったけど、もうすぐ30年という経験を踏んだにもかかわらず、今年も新たな発見があった。

親指や人差し指を使ってよこに倒すと、簡単に「軸」が折れ、蕾は落ちる。
時期が後になるほど固くなるが、今の時期だと、そう時間もかからないし、力もいらない。

うまくヒトツの指で折れ取れると、パラパラパラッと魔術師のように、蕾を落としながら、短時間で作業を進められるが、時々、折る方向がちがうと「軸」がクニャと曲がり、蕾を落とすことができないので、二本の指で蕾をクルッと回して落とす。

たいてい左右どちらかに倒すと、「軸」がポキッと折れてとれるので、何気なく適当に倒していたが、「軸」の向きをきちんと目で確認しながら方向を見極め、作業を進めると、なんと効率の良いことか!

考えてみれば当たり前の話しである。

なんでこんなこと何十年も気付かなかったんだろう・・・。
きちんと、「見る」作業を加えれば効率は格段にアップする。

・・・と考え出して、そうか!今まで枝が多すぎて「蕾」の位置を確認するのが精一杯で、「軸」の方向まで見えなかったんだ!

一昨年から、柿の剪定は私がするようになった。

山椒を、義両親から受け継いでから、当初、数千本の山椒の剪定のあとに、柿の剪定をするのに疲弊している夫を見て、数年目に、私がおずおずと剪定をすることを申し出た。

柿の農作業の人手が集まらないにも関わらず、枝が多いと、「摘蕾」をはじめ、全ての柿に関する農作業に時間がかかることに危惧したわたしは、剪定の時に思い切って、枝数を半分ほどに減らした。

「剪定」はその人らしさがでる、職人仕事である。

近所の畑をみていても、その人その人によって、剪定の仕方がちがうし、どうやら剪定される方の年代によっても違うみたいだ。
1本の木からどれだけ多収が見込めるかを想定する義父の剪定と、いかに果実や木全体へ日光を浴びせることが出来るかを想定する夫との剪定は、又違って、「剪定」を巡って義父と夫が討論していたことも記憶にある。

しかし、夫の剪定は、私からすると、まだ枝数が多い。

最後の方は、山椒の剪定と重なって、柿の剪定が手抜きだったということもあるが、もともと、義父のする剪定と比べて、枝数は少なかったが、ある程度は枝数を置くことにこだわった剪定だった。

夫からは「少なくしすぎや」と反感をかったが、枝が少なくなって、薬が通りやすくなった分、キレイな実ができ、今までにない「秀品率」をあげた。

「摘蕾」やその他の作業が、あとにつかえている山椒の収穫作業に被ることなく済ませることができ、柿の収穫作業も、なんとか人手が少人数にもかかわらず間に合った。

売り上げは激減したが、今は山椒主体で収入を得ているので問題ない。

そうか・・・。枝数を減らすと、「軸」までちゃんとまる見えで、「摘蕾」もしやすいんだ!
わたしの思い切った剪定のお蔭ね!

気付いた私は、ほくそ笑んだ。

「摘蕾」のあとは、数を更に絞ることと、「摘蕾」の際の取り残しをとることが目的の、「仕上げ摘果」の作業が待っている。

昨年の「摘蕾」の作業は、ここ10年ほどのなかでイチバン出来がよくて、取り残しが少なかったことが、「仕上げ摘果」の作業で確認できた。

それも紛れもなく、枝数が少なくなったことの「副産物」だ。

今年は、剪定の時に、昨年減らしすぎた枝をそのまま活かしたことで、昨年よりも多くの収穫量が見込めそうだ。

相変わらず、少人数の作業で多少の不安はあるが、進み具合からして、山椒の収穫までには終われそうだ。

一旦、枝の量をクリアにする、昨年の剪定は正解だったと見込んでいる。

剪定することは、私にとって「想定外」のことだった。

嫁いできて20年以上たった今、本来ならば、どちらかというと男性がすることが基本の「剪定」に、今更チャレンジすることになるとは思いもしなかった。

私はずっと、近所の農家でも見られるように、剪定する夫の傍らで、剪定くずを集めて回っていたのだから。

近所の農家のおじさんおばさんは、下手な剪定に驚いているだろうし、剪定を嫁に任せることに、目を丸くしてしているのではなかろうか。

だけども、「想定外」のことは、私の経験値を増やし、たくさんのことを「副産物」として与えてくれた。

柿の仕事が山椒の収穫に被らないのもそうだし、柿の品格が上がったのもそうだし、それより何より、この年になってでも、新たな発見を私にもたらしてくれた。

年齢を重ね、自分に必要以上のノルマを課するのは辞めて、スローダウンしてもいいかなと思い始めたものの、若い頃に培った作業能力は、他の人に比べて衰えていないし、いかに効率良くするかばかりを考えて作業を推し進めてきた心がけは沁みついていると、再確認できた気がした。

その心がけから、作業効率をアップする新たな発見に結びついたものと思われる。

今の仕事に就いてもうすぐ30年。
もう新たに学んだり、驚くことはないだろうと思っていたけど、このタイミングでこの年齢での新たな発見は、想定外のことにチャレンジしたことによる、大きな「副産物」だった。


ちょっと待てよ・・・。

ということは、「想定外」の、農家へ嫁いできたこと自体が、副産物を与えてくれたということか!

初めて夫に家に連れてこられた場所は、「想定外」と思わせるほど、山のなかだった。

きっと、あの時から・・・。

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