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長寿の今の世の中、老人になる前に学校があればいいのかも

同居している義父母は、週に一回デイサービスを利用している。

最近は、こういう言いかたをすると語弊があるかもしれないが、出席率は優秀だ。

まだ、利用し始めて数か月だが、ここに至るまでに、一筋縄ではいかなかった。

初めは、ふたりしてデイサービスを利用するのを嫌がった。

何かと理由をつけて行かない時もあったし、いつの間にか自ら連絡して行かない時もあった。

普段の生活からして想像できない、手際のよさに驚いたものだ。

夫は、そんな義両親に少し苛立っていた。

デイサービスを巡って、いろんな会話が繰り返される。

義父も、義母も、頑なに夫の言葉を拒否すべく、言葉を返していた。


完全同居のヨメの心のうちは、「週に一度だけでも、デイサービスへ行ってくれたら、そりゃあもう・・・✨」。

だけど、そんな夫と義母のやり取りをみていて、感じた。


こんな親子の会話が、全国至る所で繰り広げられているのではないかと。


もしかして、義両親の立場になると、デイサービスを利用せざるを得ない状況になったことは、「寝耳に水」状態だったのかもしれないと。


調べてみると、介護制度がはじまったのは、ここ20年ほどのことだという。
私自身、毎年1年のおわりに「確定申告」の処理をすすめていくので、義両親の年金から、「介護保険料」が差し引かれているのは知っていたが、それが何を意味するのか知らなかった。


デイサービスや、ケアマネ(さん)とは、よく聞くことばだけど、うちとは無縁だと思っていたし、何となくでしかイメージできないもので、そういうものは、お金に余裕のある人が、希望により施設へ直接掛け合い利用をすすめるものだと思っていた。


義父のばあい、義父の状態をみて、馴染みの町医者が、気遣いで手を回して下さり、地域包括支援センターの方が現れ、あれよあれよという間に、「要介護1」に認定されることになった。

医者に「利用できるようにしておいたから」とだけ告げられた義父にとっては、訳がわからない状態のまま進んでいく感じだったと見受けられる。


初めは、「わしは、そのようなものは、利用せん」の鶴の一声だった。


義母のばあいもそうだ。
義母の様子を見て、病院へ行ってくるように促したのは夫。

「認知症」と判定されて、「要支援1」と認定され、デイサービスのお試し体験に行くことまでこぎつけても、「わしゃあ、利用するのはまだ早い」と、行くのを渋った。


夫にこの先のことを見据えた将来のことを言われ、介護制度の説明を加えて伝えられると、渋々利用を承諾した。

それでも、利用が決まると、早速ケアマネさんが来てくださって、義両親の生活の状態を観察すべく、寝室を含む家のあちこちを視察された挙句、あっという間に介護用の手すりが必要だの、用具が必要だの決まっていくありさまは、狐につままれる状態だった。

もちろん、家にあがることは私たちの了解のうえで、ケアマネさんも仕事上で必要なこととは分かっていても、何もかも初めてのことで、義母もちょっとしたパニックを起こしたようだった。

「要介護2」へランクアップ(?)した義父がいる我が家には、いま、リビングや義両親の寝室へつながる昇降段のところや、お風呂、トイレなど、あちこちに手すりがつけられ、ようやく、義父の訪問看護や、リハビリ、義両親のデイサービスが根付いてきた。

私はめったにお会いしないが、顔なじみのケアマネさんとは、義母も会話を交わしているようだ。


目の前で繰り広げられる「介護認定」を目の当たりにし、私は、ネットなどでいろいろ調べるようになった。

「認知症」と診断されたり、「介護」が必要な状態になれば、「介護認定」を受けることができ、デイサービスを利用したり、認定されたレベルによって、受けられるサービスが違うことも初めて知った。

義母のように、どちらかというと軽い「要支援」のレベルでも、「要介護」にならないよう、サービスを受けることが望ましいようだ。

年をとるだけでは認定されないが、そもそも介護制度は、介護施設が入居者で飽和状態になりつつある状態を、すこしでも緩和するべき定められたものだと知って、なるほどと感心した。

介護制度の内容を考えても、実は思った以上の割合の方が、利用されている割合が多いことが分かった。


もし、ご老人にもっと「介護制度」が周知されていたならば、義母も「認知症」を認められた時点で、デイサービスの利用もスムーズに始められただろうし、義父も「介護認定」を受けた時点で、自分の状態を冷静に考えたうえで、サービスを受け入れることができたのかもしれない。


前もって、もっと理解を深めることが出来ていたのならば、「デイサービスなんてとんでもない!」という性格の方は、もっと若い頃から、認知症なり、フレイルを予防するために手立てが立てられるのかもしれない。

私も、週に一回くらいのデイサービスなら、気分転換にもなって良いのかもとは思うけれども、できれば「認知症」や「フレイル」は、予防できるのなら予防したいと思っている。

それでも認定されれば、その時は、家族を煩わすことなく、素直に受け入れることができそうだが、それは、同居する義両親が、介護認定を受けることによって、いろいろ分かってきたことがあったからと言っていい。

もし、目の前で繰り広げられる「介護認定」の実状を見ていなかったら、介護保険料を払っていても、無関心なまま、年を取ることになっていただろう。


そして、いきなり息子に「デイサービスを利用するべきだよ」だなんて言われても、受け入れがたかったのかもしれない。

「介護制度」が違和感なしに浸透していくのは、いま、親の世代のために「介護制度」を利用している、60代70代の方たちの世代からなのかなと、個人的に思う。


大人になると、「年金」や「税金」もついて回るが、教えてもらわないと知識はあやふやだし、興味がないと、知らないまま年を取る可能性もある。

私も、「確定申告」の事務処理をするようになってから、「息するだけでお金はかかるんだ」とやっと分かってきたところで、今となっては、義両親は車に乗らないけど、「車に乗るだけで、ずいぶんとお金は必要なんだ」と、ガソリン代のほかにいろいろ必要なことを知って、車に乗らない私としては、複雑な思いを抱えたこともある。

夫が、ついこの間、義母に「年金は、生活費として賄えるよう、働けなくなったときのことを考えて作られた制度なんだ。決して貯め込むだけのものではないんだよ」と諭したり、ずいぶん前のこと、「車をもっているだけでも、お金はかかるんだ」と教えたこともあったが、教えられないと分からないのが現実かもしれない。

義両親と同居していて、事実上、ほぼ全てを賄うカタチをとってきた夫の立場として、義母に教える体制がとられたが、どこまで理解しているのか、していないのかは定かではない。

それこそ、「年金」だの「税金」だの「介護制度」だの、教えてくれる機関がなければ、理解できない人もいるのではないかと思う。


私も、きっとその中のヒトリになっていただろう。

今回、この記事を書くにあたって調べて、再度分かったことは、介護保険料は、実は、40歳から支払っているのだとか!


「そういえば・・・!」と、確定申告のときに見た書類を思い出した。

「介護保険料?!」とその時は、まだ先のことであろう「介護保険」のことを、「何かのまちがい?」とまで思って気にも留めなかったが(普通は気に留めるだろうけど、「ま、いいや・・・」と。)、そういうことか!と、いま気付いた。


40歳からコツコツ支払っている介護保険料を最大限に使うべく、制度を利用することもそうだし、何より特に同居している家族がいれば、家族のためにも利用することがいちばん!

いろんなことを知ったわたしは、制度を利用しない努力はするけれど、「介護認定」されれば、スムーズに受け入れることができそうだ。


子供たちとは、「同居」ではなく、ほどよい距離感で生活することができることを望んでいるけれども。

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