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結婚生活で立ちはだかった全てのことは、『釈迦の化身』となり、私を変えてくれた。(前編)

一昨年、瀬戸内寂聴さんが亡くなられたとき、自分以外の人の心を想像し、その願いや望みを叶えてあげたいというやさしさ、思いやり、それがイコール「愛情」だと仰ったことを、テレビで知った。

それまで、「愛情」という言葉は、私のなかで、ぼんやりとして、どこかしらハッキリしなかった。
だけど、その言葉を聞いたとき、初めて、「点」と「線」が繋がった気がした。

私が生まれて初めて、自分のことを後回しにして、人の心を本気で想像したこと。


あれも、「思いやり」であり「愛情」だったんだ。


あのときほど、人の心を想像したことはなかった。

全身全霊で相手の立場になって想像力を、膨らませる必要があったのは、それまでの人生のなかで、未経験で不慣れだったことと、それまでは、自分が相手のことを思いやれる人間ではなかったのだろう。

それまでの友人ふくめ他人との付き合いは、最低限のルールさえ守っていれば、そんなことしなくてもできたが、いわば上辺だけの付き合いだったということになる。

当時、結婚生活数年目。

子供も生まれ、慣れない育児に、家事に仕事で一杯いっぱいで、結婚後の新しい環境にも慣れず、自分のことで精いっぱいだった。

当時の主人も、おそらく仕事をすることで、精一杯で余裕がなかった。

夫婦関係がいよいよ危うくなって、必要性にかられ、ハードルは高かったけど、チャレンジした。

あえて意識して、自分の脳をすこし開けるイメージを施し、想像力を全開にして膨らませた。

すると、見えてきた。

その後、子供が大きくなるにつれ、子供が何を考え、何を分かってほしいか想像したうえで、どうすれば子供の心を捉えることができるのかを考え、行動できたのは、母の育児を「反面教師」にする思いが強かったからだけど、それが「愛情」だとは、気付かなかった。

一説によると、「思いやり」とは、もともと持ち合わせている性格ではなく、家庭での教育を通して育んでいくものだという。

他者の気持ちを推測し、汲み取ることにつながる、「思いやり」は保護者への絶対的な信頼感が原点らしい。

私の父は、他人の気持ちを汲み取ることが苦手で、真面目で勤勉だけど、人間関係においては、とても不器用で、とても無口で、働くことで精いっぱいという感じだった。
子供や母に対しても、愛情をたっぷり表現するという風ではなかった。

一昨年、亡くなったが、もっと話したかったと後悔するくらいに、会話をした記憶がない。

母は、いつも自分のことで一杯いっぱいで、自分の価値観のみを私に押し付けた。
自分の思い通りに私が動かないと、狂ったように罵るので、私は母の言う通りに動いた。

自分の意思は、尊重してもらったことがない。

母と穏やかに会話した記憶があるのは、ほんの数回。

一方で、家のことは顧みず、外の人間に認められることばかりに拘っていた義父と、やはり自分のことで一杯いっぱいの義母に育てられた主人も、また、結婚当時は、思いやりのある人とはいえなかった。

手広く広げた畑は周囲の農家に比べると2倍ほどの大きさで、親の重圧に耐えながら仕事をするのが精いっぱいで、私が慣れない生活に疲弊していても、何とも思っていなかった。

私のストレスもいよいよで、口を開けば喧嘩ばかりで、「完全同居」で「農業をする」条件をのむ嫁なら、誰でもよかったのではないかと、涙にくれるしかなかった。

そんな折、私が見せた、主人への「思いやり」。


私の結婚生活で、配偶者である主人への「思いやり」の原点だ。

生まれ育った家庭は、何不自由なく揃っていたが、荒んでいたため、思いやりに欠ける家族だったし、友達づきあいは、深入りすることなく交流していたので、上辺だけのお付き合いで済み、結婚前のお付き合いの期間は、半年と短かったため、私が、相手を思いやる行動に出たのは、生まれて初めてだった。

当時、主人との関係は劣悪で、主人に対し、腹の綿が煮えくりかえるくらいの思いも抱えていたけれど、そんな私に、主人は「釈迦の化身」となって、愛情を教えてくれた存在だ。

自分の精神状態や心身の状態、周りの状況が悪いと、自分のことでいっぱいになりがちで、相手とも堂々巡りで、なかなか関係が改善できないが、その状況に陥ったときこそ、あえて脳みそに余白をもたらす必要があると、教えてくれた。

また、子供たちの存在も、愛情を知らなかった私に、大事なことを教えてくれたことは言うまでもない。

今までの結婚生活で、いろいろあったが、「思いやり」で主人に接すると、「思いやり」で返ってくるところもあり、主人もまた姿かたちを少しずつ変えていった。

まだまだ言いたいところがあるというのは、大抵の夫婦はそうなのかもしれないから置いとくとして、結婚当時に比べれば、おたがい、随分と角がとれ丸くなった。

主人もまた、私自身や、子供たちを通して、「愛情」を知ったのかもしれない。

以上、ららみぃたんさんが企画されている、『企画第2弾・釈迦の化身』に寄せて、記事を書いてみましたが、思いのほか長文になりそうなので、続きは、(後編)へ投稿します。
よろしければ、また、読みにきてくださいね。
記事の内容は、過去記事の内容と被る部分もありますし、被る文章もあります。

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