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私は育児でやり残したことがない。

だから、私たちの反対を押し切って、娘がさらに遠くへ離れると告げに来たとき、意外にも冷静だった。


いや、娘の口から出る言葉の数々には落ち込み、悲しみが押し寄せたけど、「いいじゃない。自分の力で生きていけるなら」である。

いつか、実家をでる身で、自立する身。


それに、育児はやりきった。

そこに、気持ちを吹っ切れる「かなめ」がある。


娘と離れる寂しさから出てくる涙は、娘が大学への進学が決まって、下宿が決まったときに出し尽くした。
引越しを手伝って、娘を置いて帰ってくるとき、とめどなく流した涙。


大学に通う4年間のあいだ、帰省してきたのは、ほんの数えるほどだった。


大学を卒業して、約束通り地元へ帰ってくるときには、実家へ帰ってくるものだと思いきや、この四月から、社会人になると同時に、ひとり暮らしを選んだ娘。

その後も、仕事の忙しさも手伝って、帰ってくることも少なかった。


もともと、私と一緒で、実家とは希薄な関係で居たのは事実で、今更、娘にすがるほど寂しいだとか、悲しいとかはない。

ただ、これから益々娘との距離感が離れ、娘を案じる気持ちは強くなる気がする。


だけども、娘が立ち去った後、清々しい気持ちがしたのを感じた。

もちろん、未熟な娘が離れて行くのは心配だが、「育児にやり残しはない」そう思うと、必要以上に感情が揺さぶられることはなかった。


今回も、揺さぶられそうな気持を、前回の記事にしたためたことによって、いろんな事がクリアになっていき、見えてきたこともあった。

前回の有料記事は、娘を遠くから見守るための決意表明にもなった。

その後も頂いたコメントからも考えさせられることもあったし、娘とのことを振り返り、気持ちを整理することもできた。


同じく複雑な思いを抱えているだろう夫にも、「大丈夫!私たちはやれることはやった!」と繰り返し自信をもって言う。

なんだかんだ言って、毎日のように娘のことが話題にでるが、夫も同じ気持ちのようで、黙って頷く。


「ふたりで遠くから娘を見守ろう」という気持ちは変わらないし、何度かんがえても育児にやり残しはない。

だから、意外とふっきれるのかな。

いつかは、娘にそれが伝わる。


あなたを、娘として愛していることを。


「育児」に対しての考えは、十人十色で、人それぞれだということは前提として、私が「育児」を終え、やり残しがないと言えるにあたって、一番だいじなこと。


それは、惜しみなく、分かりやすく「愛情」を伝えること。


大人になり、人生を振り返り、人生のどこを切り取っても、親の「愛情」が感じられないことほど、落胆することはない。

たとえば、「厳しさ」が愛だとか、黙っていても伝わるだとかは、分かりずらく、伝わりにくい。

それよりも、分かりやすいほうがよい。


幼い頃は、寝付くまで手を握り、小学生が終わるまではお休みの前のハグをし、私の膝の上に座った。

中学生になると、口数は減ったけれど、部屋の外から毎日「今日もがんばったね」と、娘が少しでも成長したことをそっと告げ、「ちゃんと見てるよ」とエールを送った。

高校の進学を考えるときは、願書を出す前日の夜になって、「やっぱし変更したい」という娘に寄り添い、定期代はいくらかかるのか、通学にかかる時間を一緒にシミュレーションした。

息子の通うサッカー部では、男子に混じってヒトリ息子の同級生の女の子がサッカーをしていて、娘のことも受け入れしてくれるとのことで、もうほぼ決まっていたのに。

いつも帰りの遅くなる娘のために、放っておくとぬるくなる薪風呂の追い焚きをするのは日課だった。

大学を決める時もそう。

地元から通える大学の受験が決まっていたのに、県外の大学へ行きたいと言い出したのは娘のほう。

ならばと、奨学金を借りる手続きを勧めたのは私。
娘を手助けしながら、奨学金を借りる手続きを進め、審査が下りるところまでこぎ着けたが、夫が「もう大丈夫だ」と。


娘と離れる4年間も、愛情を伝える大事な時間となった。


なかなか帰ってこない娘のことを、「どうしてるかな?」と思ったその時は、ラインを入れ、娘へ何か送ってあげたいなと思えば、仕送りをし、誕生日には「おめでとう」とメッセージとプレゼントを贈った。


離れているだけに、娘のことを想うタイミングは大事にしなきゃと、行動に移すことを忘れなかった。


最低限の生活費は送金し、娘もアルバイトで自由となるお金を稼いでいたが、仕送りの品に千円札をほんのわずかに忍び込ませた時には、私が社会人になってもなお、お金を握らせた祖母の愛情がより一層蘇った。


成人式には、子供たちが幼い頃続いた、10年分の育児ブログを凝縮した本を手渡し、今年4月にこちらへ戻ってくるときには、娘に伝えきれなかったことを書き記したノートを「困ったときに読んでみてね」と、手渡した。


二度と実家で寝起きを共にすることがないのかもと勘がはたらき、数日間にわたって書き記したノートだ。

こちらに帰ってきて、ひとり暮らしをしている間も、できる限りのことはした。


やってあげただなんて思っていない。

見返りを期待してやったわけでもない。


ただ、「想像することは、思いやりであり愛情なのよ」との瀬戸内寂聴さんのお言葉を初めて知ったときから、「想像すること」を大事にしてきた。


こちらに嫁いできて、自分を満たすことも覚え、ほどなく余裕が出来た頃、スーパーで普段通りにおかずの買い出しをしながら、一番美味しそうにたべてくれる娘の顔を何気なく想像した時に思った。


私が育った環境も、同じように、毎日おかずが用意されていたら、私はこの瞬間、親に感謝したんだろうなぁっと。


主婦にとって料理をすることは、当たり前で、子供にとっても、おかずが用意されていることは、きっと当たり前で、何気ない日常なんだろうけど、母が毎日おかずを作ることは、当たり前ではない。


たとえば、親子の気持の行き違いがあって、心を通わせることがなかったとしても、同じように、子供を育てる過程で、親がしてくれたことと同じことをするときに、感謝の気持ちがさらにあふれることもあると思う。


気付くことの出来なかった、愛情を感じたりするのかなとも。


私は、「親にされて嫌だったこと」はしないと、母の育児を反面教師に、あるいは、子供たちのことを想って、育児をしてきたけれど、同じことをしてくれていたら、子供を育てるうえで、気付きを得ることができたのかもしれない。


結局、「育児」をしながら、両親の私に対する心中は伺えることはできなかった。
だから、いつでも、子供たちに分かりやすく「愛情」を伝えることにこだわったのかもしれない。


特に離れて暮らした娘には、そうしてきた。


後悔をしないように。

つい先日、柿採りのアルバイトに何回か来た時、「兄妹仲がいいのね」とアルバイトさん達に言われるくらいに、息子ともお喋りし、休憩時間には、畑で寝そべっていた娘。


時間はかかるかもしれないけど、いつか色んなことに気付くだろう。


私は、それを信じて待っていよう。

娘がもし気付けなくても、それはそれ。後悔はない。


惜しみなく、分かりやすく「愛情」を伝えたから。

親がそれこそ私にそうしてくれていたら、もっとスムーズに出来たかもしれないけど、難しかった。


もしかして、それは独りよがりで、一方通行で、多少傲慢ともいえるかもしれないけど、私はそれがイチバン大事だとおもう。


一方で、学校をでて、親の喜ぶ会社に就職し、ある程度の年数を勤めてから、寿退社し、結婚し、子供も無事授かり、その後何も問題なければ、もうそれ以上の親孝行はないのも、よく分かった。

会社を辞めて「転職」をしようと思っていた私に対して、「寿退社」を懇願してきたのは母である。

それをやってのけた私は、随分と親孝行だ。ウン!


時代が違うこともあるし、娘は娘の人生があるのは良く分かっているけど、娘も、この先、自立して、素敵な人と結婚し、家を構えることができたら、問題はない。ただそれだけのこと。


親に対しても、娘に対しても、何の問題もない。ヨシ!

それが、今回、クリアになった。


そんな思い通りにいくとも限らんけど、これからは、遠くから娘の幸せをただ願ってる。

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