息子に「Best Friend」を感じた日。
やっとのことで、ことしの夏に収穫して乾燥させた山椒を、片付けた。
さいごは、使い慣れない大きなブルーシートを片付けるのも一苦労だった。といっても、息子が、洗車ホースを駆使してくれたので、はかどった。
今までは、ぜんぶヒトリで、てんやわんやした。
だけども、シートは数枚あって時間はかかるし、干すのにちょっといかない。何てったって、意外と重い!
最後の最後は、倉庫内を「掃けるだけ掃いて、終わりにしよう!」と、息子に声をかけた。
朝からの作業で、疲労は溜まっていて、最後のツメは少し辛かった。
だけど、もうすぐ全ておわりっ!
私と気持ちが一致したのか、息子も丁寧に掃いてくれた。
もういい?
もうええんとちがうん?
やぁったぁ!終わったやん!よかった!よかった!
また、来年もあるからよ。
息子は疲れていたのか、力のない声で返事をしたが、ホッとしたようだった。
みかんを食べようと向かった先で居た、「義父さん、終わったでぇ!やっと終わったぁ!」と、義父におもわず大きな声で話しかけたくらいに、私は嬉しかった。
「よかったなぁ。たくさんあったか?」と聞いてきた義父に、「あったで!たくさんあったよ!」と上機嫌で答えた。
普段はみかんをそんなに食べないが、貰い物のみかんは、想像以上に美味しくて、涙がでそうだった。それくらい、疲れていたのだ。
12月は、ずっと山椒の荷づめをしていた。
一昨年から、山椒の荷づめは私がひとりで行っていた。
夏に収穫し乾燥させて、麻の袋に入れた20kg入りの山椒の実を、いくつもの工程を経て、出荷できるように、10kgの山椒の荷に詰め替える。
一昨年は、それまで山椒の荷づめを手伝ってくれていたアルバイトさんを、あてに出来なくなって、私ひとりですることになったが、勢いで終わらせた。
夫は、次の剪定の作業が待っているので、仕方がない。
昨年は、やはり私ひとりですることになって、「手伝ってほしい」と夫に申し出たが断られ、泣き泣きひとりで作業をし、なんとか年末に終わらせたが、精魂尽きた。
20kg入りの山椒の実を運び出すのと、10kgの山椒の荷を運ぶのに、体力が奪われる。
他の農作業でいうと、(同じく二十数キロくらいの)柿のコンテナや、(30kg入りの)肥料袋もさげるので、出来ないこともないが、重いものを上げ下げする仕事は私のなかでは、重労働となる。
だけども、今年は、息子が手伝ってくれることになった。
いきなり葉を飛ばすと、倉庫じゅうに小さな粒子(粉や木くずなど)が舞い上がって大変なことになるので、振るい機でとばす工程が、今年から増えることになったが、その作業を私が担当し、振るい機で飛ばし終わったものを、「ザル」に入れては、扇風機で葉を飛ばす作業を、息子にしてもらうことにした。
息子が、葉を飛ばし終わると、山椒は、種と実のみになり、次は再びわたしの出番で、「種振るい機」へかけるのだが、そこで枝を手で摘みとる作業も同時に行う。
種を振るい落し、枝を摘み取ったあと、少しずつ金属探知機にかけ、やっとのことで、10kgずつ小分けにして袋詰めされて終了となる。
枝を手作業で摘み取る作業は、長年私がしてきたことで、商品の良しあしに左右され、取引先との信頼関係もかかっているので、私がすることにし、滞ることなしに息子が、葉を飛ばす作業をすることで、一日当たりの仕事量も増えるだろうと考えてのことだった。
だけど、考えは甘かった。
二日、三日たつと、作業に慣れていった息子は、猛スピードで、次々にザルに山椒の実を救い上げては、扇風機の前で、葉をとばしていく。
葉をとばすために、ザルを幾度となしに上下に傾けなければならないので、腕に負担がくるし、何と言っても根気が必要なことは知っているが、私は知っている。
息子は、どこまでも私についてくる。
レギュラーに選ばれなくてもいいけど、自己肯定感は育んであげたいと、サッカーの自主練習に付き合った、息子が小学生のころ。
最初でこそ、泣き言をこぼしたが、とことんついてきた。
親バカ全開にしたいくらいに、呆れるほどに。
まだついてくるか?と、感心したあの日。
お陰で、チームの中で、ピカイチというくらいに上手になって周囲を驚かせた。
あの頃と、何ら息子は変わっていないと思ったから、私はなにも言わなかった。
「もっと、ゆっくりして」と頼まなかったし、「山椒の袋を下げてくる作業、代わってくれる?」と言いたかったけど、できるところまでやろうと決めた。
私が泣き言をいわないから、息子もついてくる。そう感じた。
息子が泣き言をいわないから、わたしも何も言わない。そう決めた。
山椒の袋を下げることは、日々ゆるりと取り組んでいる、筋トレの効果が試される場だと思ったし、筋トレの一環にもなるかもと、気持ちを切り替えて頑張った。
だけども、疲れは容赦なく襲ってくる。
週に一回は休みを設けたが、どの仕事もそう。
休みの一日前、二日前は、疲れがピークだ。
疲れる時間帯は、昼下がり。午前中からの作業で、疲れが蓄積されていく。
日を重ねるうちに、山椒の袋が減っていくことに励まされるが、身体への負荷も溜まっていく。
ひとりでやっていたうちは、そんなに進まなかったが、マイペースでできた。
若いがゆえに、エネルギーが有り余っているので、息子が力の加減なしに突き進むのは、若い頃の私にそっくりだ。
息子が手伝ってくれるのは嬉しいが、ペースを息子に合わせるうち、50代のわたしは、疲労困憊の窮地に追いやられる。
荷づめの作業も3分の2ほど片付いた、ある日の昼下がりのこと、「もうこれ以上はできひんわ」そう感じたとき、ちょうど、西野カナさんの「Best Friend(ベストフレンド)」が流れていた。
作業の間、何度となしに聞いてきた歌の、繰り返される歌詞が、私の心に沁みわたる。
「ほんま、息子がいてくれてよかった」言葉には出さなかったが、本当に思った。
だから、今年もこうして作業が進んでいる。
そう思うと、作業の手を止めることはできなかった。
だけど、そこからは、「ひぃー!」「はぁーっ!」と、やっと休憩時間が回ってくるタイミングで、言葉にならないため息をお互いつきながら、残りの作業をやりきった。
息子も、さすがに最後は疲れていたのだろう。
作業の進み具合によっては、年をまたぐことも覚悟していたが、昨年より豊作で、尚且つ、作業の工程が増えたにもかかわらず、年内に終わらせることができた。
ちなみに、前に、山椒の袋を閉じるために、ミシンを使用するのに夫の手が必要だと記事にしたが、あれからは、苦戦しながらも無事、息子とふたりでやりきった。
作業を終えた日、いつもは、私の次にお風呂に入る息子が、なかなかやってこなかったので、部屋に見に行くと、携帯もったまま寝落ちしていた。
相当疲れてたんやろな。おつかれさま。
と書くと、自慢の息子だが、目下の心配は、彼女がいないこと。
「だれか、一緒に楽しく仕事できる人、見つけておいでよ」と促すが、その気配はない。
夫は、最近自分の立場がすこし分かってきたのか、「母ちゃんみたいな働きもの連れてくるといいぞ」と言っているが、馬耳東風のようにみえる。
もしそのような人がいたら、私たちは、サポート側にまわる気満々なのだけど。急かすと余計に縁遠くなる気がするから、焦らず待っていよう。
だけど、来月には、もう25歳となる。
ここは、「Best Friend」ではなく、母親として心配だ。
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