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曖昧さが、行動する勇気を奪う。実験によってわかった、善人が「傍観者」になる理由とは?

いつの時代も、ハラスメント、いじめ、性加害などの問題に関するニュースは後を絶ちません。
ひどい被害に遭ったという話をテレビやSNSで目にするたび、心が痛み、誰か止める人はいなかったのか、と憤りたくなります。

ところが、ふとわが身を振り返ってみると、「見て見ぬふりをした」「沈黙したまま行動しなかった」経験は、決してゼロではありません。
そのことは非常にショックですが、これまで何らかの場面で「傍観者」になったことのない人は、実はほとんどいないのではないでしょうか。

困っている人を助けたい気持ちはあるのに、なぜか体が動かない。
目の前で良くないことが起こっているのに、なぜか何も言えない。
後から思い返して初めて、自分が行動するべきだったと後悔する。

ハラスメントやいじめといった問題の原因を探ったところには、おそらく常にそのような「善良」な人たちがいるのです。
たった数人の「悪人」ではなく、沈黙する大多数の「善人」である傍観者が、悪を生み出しているとも言えるでしょう。

なぜ人は、「傍観者」になってしまうのでしょうか。

今回のnoteからは、悪事が起こるメカニズムを「傍観者」に着目して解説する書籍、『悪事の心理学』の内容を、全3回に分けて紹介します。
まず最初に、状況的・心理的要因によって、善良な人々がどのように悪事に加担し、他の人の悪事に直面したときにどうして沈黙するのかを見ていきましょう。

※書籍の内容を一部抜粋・再編集しています。

善人の沈黙

曖昧さの危険性

 大学時代のある日。夜になってルームメイトと私が家に帰っていると、アパートの前の階段で男性が倒れていることに気づきました。私たちは当然のように彼の安否を気遣って救急に連絡しました。数分後に救急車が到着して、運転手と救急隊員が男性のところに向かったのですが、2人はそこで笑い始めました。どうやら、倒れていた男性は地元では有名な酔っ払いで、長い晩酌を終えてそこで寝ていただけだったのです。私たちがどのように感じたと思いますか?それは、恥ずかしい、愚か、世間知らずという気持ちでした
 この体験は、曖昧な状況では一歩踏み出すことが心理的に難しいことを物語っています。
 正しいことをしようとする私たちの試みは、何が起きているのかを理解できないときに難しくなります。私たちは、他人から「馬鹿だ」「過敏になりすぎている」などと判断されるのではないかと不安になって、行動をしばしば抑制します。心理学者は、これを「評価懸念(evaluation apprehension)」と呼んでいます。集団が大きくなると、悪い印象を与えることへの懸念が強まる傾向があります。何しろ、自分の恥ずかしい行動を目撃する人が増える訳ですから。この状態は「聴衆抑制(audience inhibition)」として知られています。

 ここで、ペンシルベニア州立大学が行った研究を紹介しましょう。この研究では、実験参加者が待合室でアンケートに回答を始めたときに、男女のカップル(実際は同大学演劇学部の俳優たち)の喧嘩を演出しました。はじめに、閉ざされたドアの向こう側で言い争う大声が聞こえてきます。男性が、女性が拾ったお金は自分が落としたものだと主張し、非難する内容でした。次に、2人が部屋に入ってくると、男性は女性を激しく揺さぶり始めました。女性はもがき苦しみ「私から離れてよ!」と叫びました。ある条件では、女性は、その言葉に「私はあなたのことを知りません」と続けることにし、別の条件では「どうしてあなたと結婚したのか、わからないわ」と続けました。研究者は、男女のカップルがもみ合いを45秒間続けてから登場することにして、その時点で実験参加者がまだ介入していないときは喧嘩を仲裁しました。研究者は、警察を呼ぶ、男性に「やめろ!」と怒鳴る、身体的に直接介入するなどの実験参加者のあらゆる行動を測定しました。
 すると、実験参加者の介入率は、カップルの関係によって大きく異なることがわかりました。見知らぬ人同士だと思った場合には、65%の実験参加者が積極的に介入しましたが、夫婦喧嘩を目撃していると思った場合は19%しか介入しようとしませんでした。
 この違いはどうして生まれるのでしょう?多くの人にとって、見知らぬ人同士の暴力的な争いの仲裁は、正しいことのように思われます。ところが、家庭内紛争への介入には、すべての当事者にとって居心地が悪く、恥ずかしい思いをする可能性があります。

 つまり、曖昧な状況よりも明確な緊急事態のときに、人は行動を起こす可能性がずっと高くなるのです。ある研究では、実験参加者が別室の大きな衝突音を聞くという曖昧なできごと条件と、大きな衝突音に続いて苦痛のうめき声が聞こえるという明確な緊急事態条件を設定しました。一人のときか、集団のときかには関係なく、衝突音とうめき声を聞いた実験参加者全員が救助しようとしました。しかし、衝突音だけを聞いた実験参加者は、集団のときよりも一人のときに救助しようとする可能性が高いことがわかりました。
その状況が緊急事態なのかという即座の問いにはっきりと答えることができ、そこに曖昧さがない場合、つまり、過剰反応しても馬鹿にされたり恥ずかしい思いをしたりする恐れが少ない場合は、人は一人であろうと集団の中にいようと、同じように救助を行う可能性が高いことが実証的な研究によって示されました。

 しかし残念ながら、多くの状況は、行動を促す明確性を欠いています。酩酊した女子学生は自分から進んで男子寮に入ろうとしているのでしょうか、それとも性的暴行の可能性があるのでしょうか?あの親は子どもを適切にしつけているのでしょうか、それとも虐待しているのでしょうか?同様に、特定のジョークや発言が攻撃的かどうかを確実に判断するのは困難です。不適切な発言は、表面的にはポジティブに聞こえるかもしれません。例えば「アジア人はもともと数学が得意だ」とか「その服は脚がきれいに見えるね」などです。発言を問題だとは思っていても、反応に値するほどの有害性があるのかについて悩むことはよくあります。職場や学校、公共の場で攻撃的な発言を耳にした人は、どう反応すればよいのかわからずに沈黙する場合が多いのです


書籍情報

なぜ誰もすぐに行動を起こさなかったのか?
あなたなら行動を起こせたのか?
企業や個人の不正、ハラスメント、いじめ、性加害の問題に関するニュースが後を絶たない現代社会にこそ、広く読まれるべき1冊。

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