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軍産複合体SSPの反逆児デイヴィッド・アデアの破天荒な冒険譚・第1話「007とアポロ」

以前の記事でもお伝えした、現在アメリカ海軍により特許出願中の画期的なプラズマ磁気閉じ込め方式の小型核融合炉の発明家、サルバトーレ・パイス博士が、「The Drive」誌に寄稿するジャーナリスト、ブレット・ティングリー氏の取材に対して返答し、声明を発表していました。

 私の設計した小型核融合反応炉がIEEE TPS(※米国電気電子学会が刊行するプラズマ科学誌)のような名声ある学術雑誌に掲載された事実は、その重要性と信頼性を物語っているはずです。そして私の先進的物理概念の真実性に関して皆さんが持っている誤解を払拭(少なくとも軽減)してくれることでしょう。
 ティングリーさん、私の仕事の集大成は「パイス効果」(独自の物理概念)の実用化だということを知って下さい。パイス効果は極度に高めた電磁気エネルギー流動(高密度の局所エネルギー)から生まれます。これは急速に加速した振動または回転の影響により、電荷をかけた物質の動きを制御する(固体からプラズマ状態へ)ことで作り出します。
 そのような高エネルギーの電磁放射は局所的にVES(真空エネルギー状態)と影響し合います。VESは物質の第五形態(第5の要素 - 真髄)です。言い換えるなら、それは基礎構造(基礎的な枠組み)であり、そこから(時空間を含む)それ以外の全てのものが私たちの量子現実に出現するのです。
パイス効果の工学は肉眼で見える量子コヒーレンスを可能にします。その重要性は私の研究をよくご覧頂けば理解できるでしょう。
 私の全ての特許・特許申請・技術報告書は、私が海軍航空システム・コマンド(NAVIR)、海軍航空試験センター(NAWCAD)の職員として行ったものだということを強調しておかなければなりません。そして私の今の海軍戦略システム(SSP)での仕事とは無関係です。
 私の物理概念にご興味を持って頂きありがとう。そしてこれからも私の研究に対して心を開いていて下さいね。
 敬意を込めて
 サル
 サルバトーレ・セザール・パイス博士
 西暦2019年

パイス博士は実在する人物であることが判明しました。そしてどうやらパイス博士は物質には五態あると考えており、固体・液体・気体に続く第4形態がプラズマ、第5形態が真空エネルギーだと主張しているようです。原文ではその真空エネルギーを真髄(Quintessence)と表現していたのがとても興味深いところでもあります。しかし、今回の記事のテーマは物理・科学の話ではありません。

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実はこのパイス博士/海軍の装置とそっくり同じものを、約50年前にすでに開発していた人物がいるのです。それがデイヴィッド・アデアです。

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まずはこちらの記事のマイケル・サラ博士の言葉を借りて、デイヴィッド・アデアについての基礎知識を得ておきましょう。

サラ博士:デイヴィッド・アデアの証言は小型核融合反応炉開発の歴史を知る上で重要だ。アデアはアメリカ空軍の支援を受けて、1971年に電磁気融合閉じ込め式エンジンの試作機を全長3メートルのロケットに搭載した。彼は当時17歳であったにも関わらず、カーティ・ルメイ空軍大将(1961~65年まで空軍参謀総長を務めた)から秘密裏に空軍のリソースを提供されていた。当時の地元新聞紙の報道が、彼の証言を裏付けしている。

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マウントバーノン・ニュース紙(1971年4月19日)
17歳の高校生ロケット専門家、デイヴィッド・アデア君がオハイオ州のサイエンス・フェアで、アメリカ空軍から受賞しました。」
「アデア君が空軍からもらった証明書には、理工学の分野で最も傑出した発明として選出された、と書かれています。」
「アデア君は自身のロケットをギリシャ語の言葉からピソレム(Pitholem)と名付けました。」

サラ博士:アデア氏の証言が最初に広く世に知られたのは、2002年にネクサスマガジン(※オーストラリアのオルタナティブ情報誌)に掲載されたロバート・スタンリーによるインタビューがきっかけだった(※実際はアート・ベルのインタビューを受けた1997年が最初)。簡単に言うと、アデア氏は3メートルのロケットに核融合エンジンを搭載することに成功した結果、空軍の所有するもっと大きな電磁気融合閉じ込め式エンジンへのアクセス権限を与えられた。それはネバダ州のグルーム・レイク空軍基地、通称エリア51にあった。アデア氏はそのエリア51のエンジンがET由来のものであり、空軍はそのリバース・エンジニアリングを試みていることを知ったのだった・・・アデア氏とパイス博士の装置の説明の仕方には違いがあるものの、両者には特筆すべき類似性がある。どちらも電磁エネルギーを従来とは異なる方法で使うことで、小型のエンジン内で核融合反応に点火し、膨大なエネルギー出力を生み出すことができる。アデア氏の証言はプラズマを利用した核融合エンジンや電磁装置の開発の歴史における、非常に重要な洞察を私たちに与えてくれる。これらは1970年代初頭に研究開発され、1970年代後半までに最初の試作機が実用化を控えていたという。それはウィリアム・トンプキンスが「ノーチラス潜水艦を改造して、水・空・宇宙を航行可能な船を海軍が運用し始めた」と証言しているのと同じ頃だ。

デイヴィッド・アデアについては、過去にデイヴィッド・ウィルコックが「1997年のオリジナル・ディスクロージャー・プロジェクトで最もヘビー級だった人物」と紹介したことがあるのをご記憶の方もいるでしょう。しかし2001年にスティーブン・グリア博士を中心に、多数の軍の将官や軍産複合体関係者がワシントンD.C.に集結して記者会見を行った時、デイヴィッド・アデアの姿はありませんでした。

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その理由は、デイヴィッド・アデアの「ディスクロージャー・プロジェクトの暴露」という声明を見ればわかります。今は第三者が保存したウェブ上のアーカイヴしか残っていませんが、内容から判断するに、本人によるものと見て間違いないと思います。簡単に要点を整理すると:

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●1997年の3月に、グリア博士の秘書から連絡を受け、4月9日にワシントンD.C.のホテルで行われるCSETI主催の連邦議会への説明会で、私が1971年にエリア51で経験したことを証言しないかという依頼を受けた。
●その話題について26年間沈黙を守っていた私としては気乗りせず、ためらっていたが、最終的にグリア博士から電話があって、「ETの宇宙船やその装置に実際に触れたことがある120人が参加に同意していて、連邦議会に証言する用意がある」のだと言われた。彼の「この説明会で話し合われることは報道も一般公開もされない。彼らが持つ、あなたの知らない情報を聞ける機会を逃したら、あとで後悔するのではないですか?」という言葉に説得されて、私は参加を決めた。26年前、私はとんでもなく先進的な宇宙船や装置の研究に従事する科学者や技術者に会ったことがあったからだ。それは私たちの既存の技術を遥かに凌駕するものだった。そういったものを日進月歩で30年、40年と研究してきた人々の経験からすれば、私の26年前のたった1日の経験など取るに足らないものだ。私は期待を膨らませた。
●当日、朝から事前の選考会のためにホテルの大きな会議室に入ると、部屋の中央に椅子が12脚、円形に配置されていた。私たちはそこに座り、グリア博士が一人ずつ話を聞いて、スタッフが文字に書き起こしていた。そして私は、私以外にはたった一人Steve Lovekinという男を除いては、誰もETの装置に触れたことがある者はいないということを知った。Lovekinにしても、シンボルが描かれた長さ45センチほどの金属片を見たことがあるだけで、上官からそれがETの墜落船から回収されたものだと聞かされていただけだった。11人のうち9人はレーダーでUFOらしき反応を見たとか、空に光るものを見たとかいうレベルだった。私はがっかりして、グリア博士から聞いていたような人達もその場にいなかったので、何も証言せずに帰ろうかと真剣に考えたほどだ。
●午後5時、選考会の聞き取りが終了した。意外なことに、誰一人として、グリア博士すらも私に証言を裏付ける証拠の提出を求めようとしなかった。私はブリーフケース一杯に証拠の文書や写真を詰め込んできていたというのに。しかしその11人のうち、8人が2時間後の説明会で証言するメンバーとして選ばれ、その中に私も入っていた。グリア博士は本当に私に証言して欲しそうだったので、私は自分の話をすることに決めた。
●午後7時、グリア博士が司会進行し、大勢の議員や政府機関の役人たちの前でプレゼンした。証言者は皆5分ほど自分の目撃談を語り、続いて質疑応答する、ということを繰り返した。私がプレゼンすると、真摯な質問が聴衆から寄せられた。彼らはとても真剣に私の話を受け取っていたことは確かだ。翌日の晩は、メディアの選ばれた人々を相手に、ブリーフィングが行われることになっていた。これにも私はグリア博士から参加を頼まれて、了承した。
●翌日の朝10時に、グリア博士はペンタゴンで会議の予定があった。10時半に私はグリア博士のスタッフに訪問を受け、部屋を移動するように言われた。彼らは私の部屋に入ってきて荷物をまとめ始めた。彼らと一緒に階下へ降り、カメラマンの部屋に通された。そして帰りの飛行機の時間までそこで過ごすように言われた。私は「グリア博士は?」と尋ねたが、彼から午後に連絡があるとだけ告げられた。カメラマンがドアの近くの椅子に座っているので、私はベッドに座ってTVをつけ、次に何が起きるのか待ってみることにした。この時点で私は自分の意志に反して留置されていることを悟ったが、別にどうでもいいと思いつつ、どんなことになるのかとても好奇心が湧いた。
●午後4時に電話が鳴り、カメラマンから電話を手渡された。グリア博士だった。私は「これはどういうことだ?」と尋ねると、彼は私の証言が彼の手に負える範疇を超えているのだと言った。「それと私がカメラマンの部屋に留置されていることと、どう関係があるのだ?」と言うと、「私たちの中にはとても不思議な体験をしている者がいるので、誰かに話を漏らしてもらったら困るのだ」とグリア博士は言った。そしてグリア博士自身、ETに誘拐されて手術を受けた経験があるのだと語った。彼は医師なので、手術で何をされているのか正確に理解できたため、怖くはなかったそうだ。そしてグリア博士は「この体験がきっかけとなって、私はCSETIの活動を始めた。再びETとコンタクトできるように。」と話した。(ショーン・デイヴィッド・モートンもグリア博士から全く同じ話を聞かされたと言っていた)それからグリア博士は私にその晩のメディア向け説明会を観覧したいかと尋ねた。私は「どちらでもいい」と答えた。私は彼の告白に驚いたが、妙に納得がいった。高給の医師がその職をなげうって、一銭の金にもならないUFO研究に専念するようになったワケを不思議に思っていたからだ。その後、私はエスコートされてメディア向けの説明会の会場に連れて行かれた。私の席は背中に壁、左右と前の座席にグリア博士のスタッフが座り、四方を囲まれてブロックされる形になった。前の席に座ったグリア博士の秘書(Shari Adamiak)が振り返り、私に「部屋に戻るまで誰とも話をしないように」と言った。メディアへの説明会はつつがなく進行して1時間ほどで終わった。メディアがとても礼儀正しく質問をしていたので、それは驚きだった。私はエスコートされて部屋へ戻り、カメラマンのノコギリのようないびきに耐え、翌朝6時に起きて帰りの飛行機に乗った。
●帰宅後、私は何回かグリア博士に電話し、留守電にメッセージを残したが、一度も返事はなかった。1998年に一度ラスヴェガスのカンファレンスで会う機会があったので、その時のことを話そうとすると「忙しいし、疲れていて無理だ」と断られた。当時の彼は本当に調子が悪そうだった。
●さらに2年半後、もうグリア博士と再会することを諦めていた時、2001年8月4日にディスクロージャー・プロジェクトのイベントで彼がラスヴェガスに訪れると知った。そのイベントの質疑応答の時、私は列の3番めに並んでいた。ステージ上のグリア博士はライトの逆光で質問者の顔が見えないようだった。私の順番になり、私は「やあ、スティーブン、デイヴィッド・アデアだよ」と言った。「おっと、やあデイヴィッド」とグリア博士は返した。私が「元気そうだねスティーブン。私たちが97年に証言して以来、ディスクロージャー・プロジェクトも長い道のりを経てきたものだね。」と言うと、グリア博士は同意し、97年の議会への説明会のことを観客に対して説明した。私が「ちょっと質問がある」言うと「どうぞ」と彼は言った。「スティーブン、私が証言をした後、君が翌日の晩のメディア向け説明会に私を招待したのを覚えているかい?」「ええ。」「そして翌日の朝10時に君はペンタゴンで会議があったね?」「ええ。」「それから10時半に君のスタッフは私の部屋のドアをノックし、私を物理的に部屋から追い出し、カメラマンの部屋へ移動させたね?」「それは私のスタッフのやったことです。」「なぜだい?」「スタッフがあなたの証言の詳細に関していくらか問題があると判断したからです。」「ペンタゴンの会議が始まって30分後に、私は部屋から連れ出された。ペンタゴンがそうしろと命じたのでは?」「いいえ、あなたは2つの話を混同しています。無関係の話です。」「私はこの一連の出来事にムカついているんだ。君は全く私の電話に返答しようとしないし、今日ここで君に対峙することを私に強いているからだ。善良な皆さんの前でね。」その時点で会話は成り立たなくなり、私の時間は終わった。グリア博士は再び私に対して説明し、詫びるチャンスを見過ごしたのだ。彼が私をワシントンD.C.に招待しておきながら、なぜ私がああも無礼な扱いを受けたのかについて。
●私がこれを書いているのは、グリア博士のプロジェクトにけちをつけるためではない。彼のディスクロージャー・プロジェクトは将来的に重要なことをもたらす可能性はあると信じている。私はただ、人間的な卑小さのせいでせっかくの良い試みが前進しなくなってしまうのを見たくないだけだ。私はこれまでもそんな場面に幾度となく出くわしてきた。私がこの暴露をする理由は、グリア博士から簡単でもいいから詫びて欲しかったからだ。
●私は海軍時代に直にこの目で隠密作戦を見てきた経験から、今回の件で何が起きていたのか推測がつく。この件においてグリア博士は「悪者」ではない。ディスクロージャー・プロジェクトは他の草の根運動と同じく、小規模で始まって急成長した。そして権力者の目に止まった。今回の場合それがペンタゴンだった。そしてグリア博士は全くよくわかっていなかった本当の隠密作戦コミュニティと正面衝突することになったのだ。
●選考会の時点で私の証言と他の人々の証言には2つの大きな相違点があった。1つは私が最高機密の空軍基地でETの装置に実際に触れたことがあったという点で、もう1つは私が未成年(17歳)の時にそこへ連れて行かれたということだ。これは空軍側にとって大きな問題なのだ。なぜなら米国憲法では未成年が国家安全保障の宣誓に署名することを禁じているからだ。実際に連邦議会向けの説明会の時に、ある高官が私のことを最悪の「糸の切れた凧(制御不能で危険)」だと言った。その翌日にグリア博士が私を隔離したのは、彼にとってやむを得ない事情があったのだろう。
●実際、これは隠密作戦コミュニティの常套手段なのだ。向かってくる相手の兵力を分断し、内輪もめさせ、自分たちから注意をそらせるという作戦だ。彼らはグリア博士が私の存在を隠蔽したことで私が腹を立て、亀裂が生じて、説明会に支障が出ることを望んでいたのである。隠密作戦コミュニティはグリア博士に協力しており、彼とCSETIを利用して一定の情報の公開をしようとしていると思うが、彼らはその内容をコントロールし、情報の流量も調節しようとしている。彼らのストーリーに出てくる証言者はレーダーに写ったUFOや空に光るものを見たという人ばかりで、リバース・エンジニアリングに携わった科学者や技術者は一人もいない。その理由は、グリア博士によれば、そういった人々が証言するためには国家安全保障の誓約から法的に免除される必要があるからだそうだ。だから私たちは議会に働きかけて、証言者に完全な法的免除を与える公聴会を開くよう求めるべきなのだ。

デイヴィッド・アデアの暴露からわかることは、彼のエリア51での体験をグリア博士を含めディスクロージャー・プロジェクトの証言者達はみな真剣に信じており、証拠の提出を求めずに鵜呑みにするほどだったということ。そして連邦議会の議員や政府機関の官僚までにはその情報が伝わり、彼らもまたその情報を真剣に受け取ったということ。しかしそれがメディアへ伝わる前に、ペンタゴンによる検閲が入ったということ。これは1997年のクリントン政権時代に起きたことであり、グリア博士はその時代のペンタゴン人脈にコントロールされているということなどです。また、よく言われる「SSPの科学者や技術者が表に出てこないのはなぜ?」という疑問に、コーリー・グッドは「証言すること自体が違法になるから」と答えていましたが、グリア博士も同じ認識を持っているということがわかります。

さて、ここからは具体的にデイヴィッド・アデアの証言内容を見ていきましょう。まずは昨年2019年の夏にイギリスのマンチェスターで行われた講演に注目し、彼の証言の概要と最近の動向を捉えてみたいと思います。

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デイヴィッド・アデア:1971年に私が作った電磁気融合閉じ込め式エンジンは直径1メートルほどの小型なものでした。しかし空軍が持っていたのは大型の貨物輸送トラックの大きさでね。そしてそれは彼らが作ったものではなくて、地球人の技術レベルを遥かに超えた太陽系外のテクノロジーだったんです。それには溶接した跡も、ボルトやナットもリベットも一切見当たりませんでした。ナスをねじったような形の有機的テクノロジーです。その感じに近い作風のアーティストがいますよ。シガニー・ウィーバーが出ていた映画『エイリアン』の美術を担当したH・R・ギーガーです。

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これは一見、今の世の中の動きとは全く無縁に思える事柄かもしれませんが、実は裏で世界を動かしていることでもあります。今日皆さんに初めてお話する最新情報がありますよ。私は中東のあるグループから接触を受けました。彼らは1パーセンター(世界の富を牛耳る1%)の人々です。あんな金持ちは見たことがありません。皆さんは747プライベート・ジェット機を見たことはありますか?信じられない豪華さですよ。
彼らはそれで飛び回っているんです。とにかく彼らは私に「完全に新たな宇宙プログラム」の局長になって欲しいと言ったのです。予算はNASAの75倍の額を用意すると言われました。それがあれば私に何ができるか想像できますか?無理ですよね。だって私が何を考えているか皆さんは知りませんから(笑)。ある人に言われましたよ。「恐ろしくないのか?」と。「なんで?」「そんな莫大な金が。」と。でもまたさらに、3週間ほど前、また別の1パーセンターのグループからオファーを受けました。この2つのグループはお互いに競い合っているのです。私はこの講演が終わって帰国したら、4日後に彼らの747ジェット機に乗って、彼らの国を訪れる予定です。どの国かは言えません。環太平洋のインドネシアの辺りとだけ言っておきます。そして彼らは3兆ドルを出すと言っています。それで私は思い出したんです。第二次世界大戦の時に、ドイツがヨーロッパ全土と世界の半分を侵略して集めた金塊のことを。彼らが一箇所に集めたゴールドは結局どこへ行ったか?インドネシアだと言われていますね。とにかく、彼らは私の所にやってきて、「本当の富を見たいか?」と言うわけです。私は「イエス!」すると彼らは「私たちを信用するか?」と聞くので、私は「ノー!」と答えましたよ。「ろくに知らないやつに3兆ドルも出すなんて」と。すると「我々は君のことをよく知っている」と言われました。私も多くの1パーセンターたちと近くで接してきましたが、彼らの物の考え方は私たちと違うんですよ。まるでエイリアンです。人生の概念が私たちとは違うからです。私たちは電気代や車のローンを支払うために働いて過ごしているでしょう。彼らにはそういった概念がないんです。しかし、私が思うに、この地球上の1パーセンターたちの間で内戦が起きているのだと思います。皆さんもそう感じているのではないですか?彼らの半分は自分の富にしがみついていると思います。もう半分はその富を世界に還元したいと考えています。その富でインフラを構築しようと。なぜならそうしないと人類が生き残れないからです。そんな事態がもうすぐ起きようとしているみたいです。それが事実だとすると、その事が現在の様々な情勢を引き起こしているのかもしれません。彼らが言っていた事で一つ正しいのは、これは悪いことばかりではないということです。私は45年かけて、7つの異なるプロジェクトを完成させてきました。それらはいつでも実用化できます。あとは莫大な資金が必要なだけです。しかしながら、その7つのプロジェクトのうち、特に2つのプロジェクトが彼らの注意を引いたのです。トリウム原子炉について聞いたことがある人は?なぜ私たちはトリウム原子炉を使っていないのか?その理由は1950年代に遡ります。基本的にアメリカ、ソ連、中国はお互いを核兵器で攻撃しようとしていました。だから多くの核兵器を製造しました。そして核弾頭を点火するには核燃料が必要です。核燃料を供給してくれるものは何か?原子力発電の原子炉です。それが一方にあった。その対極にトリウム原子炉と閉じ込め式反応炉があったのです。しかしこちらの2つでは核弾頭を作ることができません。だから彼らは現在の核分裂反応の原子炉を使うようになりました。そして3つの事が起きます。起きてはいけなかったことです。スリーマイル島原発事故、チェルノブイリ原発事故、福島原発事故です。彼らがこちらの2つの反応炉を使っていれば、どれも起きるはずのなかった事故です。それが事実です。誰も反論できないでしょう。彼らは3度の失敗を経験し、今では別の方法を模索しています。私はトリウム原子炉をほぼ完成させました。あとは施設を作るだけの段階です。テキサスの億万長者が6週間ほど前に連絡してきました。「トリウム原子炉を作りたい」と。「本当かい?」と言って、彼のことを調べてみると、十分な資金を持っている人でした。5億ドルくらいポンと出せる人です。私は「オーケー」と了承して、「これまでにこういった事業をやった経験は?」と聞くと、彼は「ない」と言います。「オーケー、それでは政府内に友人はいるか?」と聞くと、「いる」と言います。「それではその友人たちに期待しよう」と言って別れました。数日後、彼から電話がありました。全く浮かない声で、落ち込んだ様子です。私は言いました。「当ててやろうか?彼らは君に何のライセンス(免許)もクリアランス(許可)も与えてくれなかったんだろ」「そうなんだ」それでお終いです(笑)。しかしこの話には続きがあります。彼はとても熱心だったので、私は主要な人材に声をかけて集めていました。私たちには現在トリウム原子炉が持つとされている問題の解決策があります。そこで私は彼に電話して、「実は中東でオファーをもらっていて、トリウム原子炉を作ることができる。彼らが施設も資金も用意してくれる。免許も許可もいらないよ。ただ私が出向いて建設するだけだ。君も私と一緒に来ればいい」と言いました。彼が資金を出す事業ではないので、彼には何の権限もありませんが、仲間外れにしたくなかったんです。結局彼は参加しませんでした。だからトリウム原子炉は全て私のものです。私はこれからもう一方の1パーセンターたちに会います。彼らが何をオファーするか見極めるためにね。私はフリーエージェントのアメフト選手みたいなものですよ。良いオファーをしてくれた方につきます。しかし皆さんにはっきりさせておきたいことがあります。私はこれを自分のためにするつもりはありません。私は49歳の時にリタイアしました。私には使い切れないほどのお金もあります。今は65歳ですが、妻と釣りに行く生活で本来は満足なんです。カーネル・サンダースはKFCを70歳で始めましたが、私も宇宙開発の分野で同じことをしようとしているみたいです。そして私がやるからには、皆さんのため、地球上の全ての国の人々のためにやりますよ。
会場:拍手
デイヴィッド・アデア:それは皆さんが想像もしないような宇宙プログラムです。皆さんがこれまで目にしてきた宇宙プログラムはただのスクワット運動に過ぎません。私が何をやるか、楽しみにしていて下さい。ある人が私に聞きました。「まず初日に何をする?」私は「プログラムの主催国の大統領にロックウェル社(Rockwell International)の現役のCEOへ電話させて、新たに6機のオービター(軌道船)を打ち上げるように発注させる」と答えました。360億ドルでできます。大した額じゃない。1機あたり60億ドルです。
会場:
デイヴィッド・アデア:そして新たな船団を作ります。これはNASAのシャトルみたいなものではないですよ。普通のオービターは耐熱材のタイルを30200枚使っています。大きさはバラバラで、それを組み合わせて機体に貼り付けているんです。私の新たなシャトルには断熱ブランケットを使います。これがいいのは、エンジン部分の2つのコブにそのまま被せることができるんです。

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ほら、中央の背の高い尾翼の両脇に2つのコブがあるでしょう。私の断熱ブランケットを被せれば、チャレンジャー号コロンビア号の事故の原因となった断熱タイル問題はなくなります。それにあの事故はどちらも起きずに済んだはずの事故です。あれは技術的な失敗ではなく、マネージメントの失敗です。これまでの宇宙プログラムには、しっかりとしたリーダーシップというものが見られませんでした。私は違いますよ。007のドクター・ノオが自分の島で研究してるみたいなものです(笑)。誰からの認可も必要とせず、ただ作りたいものを作る。そんな世界です。私も適当な島を用意してもらって、宇宙港を建設します。それから馬車の車輪型の宇宙ステーションの建設を始めますよ。組立式の哀れなISS(国際宇宙ステーション)とは違います。ISSなんて箇所によってはただのアルミホイルだから、手で握りつぶせるほど弱いんです。ああ、なんてことでしょう。

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デイヴィッド・アデアはその後、2019年末から2020年初旬にかけて行われたと思われる他所のインタビューで、10ヶ月間の話し合いの末、どうやら中東の宇宙プログラムの局長になることが決まりそうと語っています。インドネシア方面からのオファーではなく、中東からのオファーを受け入れることにしたようなのです。一体、中東のどの国の宇宙プログラムなのか?それとも国家を超えた中東連合による宇宙プログラムなのか?中東とアメリカで進む和平の動きとの関係は?

とても謎に包まれた話ですが、デイヴィッド・アデアはさらにこう語ります。最初のプロジェクトではまず月に行くつもりだ。NASAが私たちに知られたくない月面上の12ヶ所を見に行くよ。月の塔、アーチ、砲台、遺棄された宇宙船・・・何であれ全部だ。月面基地にエイリアンがいるとまでは言わないが、近くでよく見るべき興味深いものが月にはあるんだ。それから次にヘリウム3を採掘するよ。中国が全部取っていくことはできない。

それに私は送電網の補強(ハードニング)もしている。それはアメリカだけの話ではなくて、地球全土だ。そしてトリウム原子炉の建設。やるべきことを挙げたらきりがないが、最終的にはピソレムの再建をしたい。私が50年前に行ったのは第1段階の途中までだ。そこで空軍に止められた。なぜなら彼らが欲しかったのは(核兵器による)先制攻撃のスピードだけだったからね。でもピソレムには第4段階まであるんだ。そこまで完成させれば・・・私たちの局部銀河群のどこへでも行けるようになる。人は言うだろう。別の銀河へ行くことなど不可能だ、光速でも2億年かかる、と。いやいや、私なら6分で行かせてあげられる。しかも光速の半分の速度でね。第4段階のピソレムならそれができる。グラビトンの井戸によって、宇宙船の周囲の空間をくるくると丸め込んでしまえば移動距離を大幅に短縮できるんだ。あとは次元間ジャンプを繰り返せばいい。
 ここで先程のマンチェスターの講演でデイヴィッド・アデアが言及していた「ロックウェル社」「007ドクター・ノオ」といったキーワードが大きな意味を持ってきます。ロックウェル社と言えば、海軍SSPの内部告発者ウィリアム・トンプキンスがダグラス・エアクラフト社を解雇された後、NASAの実質トップだったクルト・デーブス博士のすすめで働き始めたノースアメリカン社やロケットダイン社と合併して残った会社です。

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海軍SSPにも関わっていたノースアメリカンやロケットダインのノウハウを引き継いでいるはずのロックウェル社は、1989年に「統合宇宙計画」という100年先までの宇宙計画を立てていました。

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この計画によれば、ちょうど2020年頃から「人類が月や小惑星の無尽蔵の天然資源をほしいままに」し始めることになっており、デイヴィッド・アデアの計画と完全に一致します。また「極軌道有人宇宙ステーションの一斉配置」という部分もデイヴィッド・アデアの構想と重なります。

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そしてロックウェルの統合宇宙計画の最後には、「星間旅行する世界船」が登場します。それが2019年のブラッド・ピット主演の映画のタイトルと同じ「AD ASTRA」の文字を矢印で指しています。「AD ASTRA」とはラテン語で「To the Stars(星々へ)」を意味します。つまりデイヴィッド・アデアのピソレム第4段階の話と完全に符号しているのです。

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デイヴィッド・アデアはただランダムに航空宇宙企業の名前を挙げたわけではないことがわかります。それは彼のジョークにしても同じです。「007ドクター・ノオ」のジョークにも深い意味が込められていたのです。007シリーズの第1作目であるこの映画は、こんなストーリーでした。

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1962年と言えば、アポロ計画が重要な局面を迎えていた時期であり、ケネディ宇宙センター(打ち上げ運用センター)が設立された年です。

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1962年の7月に、ウィリアム・トンプキンスはNASAのレッドストーン兵器廠に忍び込み、デーブス博士フォン・ブラウン博士に直談判でプレゼンを行い、当時のロケット点検方法の欠陥を指摘し、新たなL型垂直組み立てユニットと全自動点検・打ち上げ制御システムを提案します。フォン・ブラウン博士も「水平状態で点検したロケットが垂直にすると点火しない」という問題があることをオドオドと認めました。

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続けてトンプキンスは第39発射施設を始め、様々な打ち上げ管制センターの設計を、トンプキンスが考案し、空軍戦略航空軍団で採用されていた劇場型の設計に統一することを提案します。そしてアポロ計画をさらに深宇宙探索にまで発展させることを可能にするモジュラー方式のシステム設計案をプレゼンします。

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トンプキンスのプレゼンにはデーブス博士もすぐに興味を示しました。なぜならトンプキンスの案であれば、すべてを標準化することにより、アポロ計画にかかると言われていた予算を十分の一以下にまで削減することもできるからです。トンプキンスに会うまでは、デーブス博士はアポロ計画は失敗し、月に行くことはできないと思っていました。トンプキンスのまるで007のミッションのような捨て身の提案は、まさにアポロ計画を救う画期的な打開策だったのです。デーブス博士にとってトンプキンスは救いの神であり、「私の王子様だ!」と言って、すぐにトンプキンスを打ち上げ運用センター(ケネディ宇宙センター第39発射施設)の設計グループのメンバーに指名します。フォン・ブラウン博士もトンプキンスに大きな関心を示し、「後で私のスタッフと一緒に君の案を検討させてくれ」と言いますが、デーブス博士が「だめだ!トンプキンス氏には私のスタッフと話してもらうように手配する」と言ってフォン・ブラウン博士を制します。その様子を見てトンプキンスはアポロ計画の本当のボスはデーブス博士であることを悟るのです。

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トンプキンスはこれをきっかけに、1962年7月以降、デーブス博士とフォン・ブラウン博士を相手にブリーフィング(プレゼン)を繰り返します。特にクルト・デーブス博士とは食事を共にして親しくなり、「カーク」「ビル」と呼び合う仲になりました。UFOやETの話もしたといいます。

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同じ時期の1962年8月にマリリン・モンローが不審死しましたが、CIAとMJ-12の機密文書は、マリリン・モンローがベッドでJFKから聞いたUFOに関する情報を、死の直前に暴露しようとしていたことを示しています。

その翌年の1963年5月に、トンプキンスはNASAのトップ2と直にブリーフィングを繰り返していたことがダグラス社製造部門の逆鱗に触れ、ダグラス社を解雇されます。これはちょうどアメリカで『007ドクター・ノオ』の公開が始まった月です。1963年11月にはJFKが暗殺されます。1963年12月にはNASAのジェミニ計画から派生した空軍の有人軌道実験室(MOL)構想が発表されますが、最近の機密解除でこれには当時存在自体が極秘だった国家偵察局(NRO)の極秘偵察用ペイロード(Dorian)が搭載される計画だったことが明らかにされました。そしてMOLの製造を受注していたのはダグラス社です。これらに一体何の関連性があるのでしょうか?

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『007ドクター・ノオ』のストーリーには「アメリカの月面ロケット打ち上げを目前に控え、ボンドはその妨害者の発見と危機回避のため、近付く者は無事に帰ったことのないドラゴンの伝説があるクラブ・キーへ乗り込むとありました。そしてなんと、トンプキンスの証言にも「Key Club(キー・クラブ)」というものが出てくるのです。これはアポロ計画を受注していたダグラス社の幹部たちが、仕事のストレスから癒やされるために設けられた秘密の社交クラブでした。そしてダグラス社はロサンゼルスにあります。

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このクラブの実態は、妻子に内緒でハリウッド周辺の邸宅に若い女性を侍らせ、乱痴気騒ぎをするというものでした。

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このクラブを仕切っていたのが、トンプキンスとは水と油だった、アル・ソレンソンという男です。ソレンソンは部下の家のディナー・パーティで、夕食後に部下の妻君を皆が見ている前でレイプすることをきまりにしているような男でした。ソレンソンはそうして幹部たちに忠誠を誓わせ、代わりに職場での地位の安定を与え、キー・クラブで若い女性を抱かせていたのです。

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トンプキンスは社内にこのような慣習を横行させるソレンソンは、レプティリアンにマインドコントロールされているか、もしくはソレンソン自身がレプティリアンなのではないかと考えていました。さらにトンプキンスは「ブラックハットのエイリアンの一団」がNASAにも浸透しており、裏で糸を引いている可能性まで疑っていました。そしてよく言われるのが、レプティリアンを支配しているのがドラコニアン(ドラゴン種族)だということです。

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トンプキンスは、「ソレンソンとキー・クラブはダグラス社の先端設計シンクタンクにまでは浸透していなかった。このシンクタンクの存在はダグラス社の社員の99.9%には知られていなかったからだ」と言っています。またトンプキンスはレプティリアンと対立するノルディックETが秘書として社内に潜入し、トンプキンスの設計に多くのヒントを与えてくれたとも証言しています。つまり、ダグラス社内にはレプティリアンとノルディックの双方が潜入しており、レプティリアンはアポロ計画が失敗して人類が月に立つことができないように、ノルディックはアポロ計画を成功させて人類が宇宙に進出できるように、お互いに工作合戦をしていたということなのです。そしてトンプキンスが「幹部にレプティリアンがいるに違いない」と睨んでいたダグラス社の製造部門によって、トンプキンスは解雇に追いやられました。

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トンプキンスは解雇された後、すぐにNASAのデーブス博士のすすめによりノースアメリカン社で働き始めます。その4年後にノースアメリカン社はロックウェル社と合併します。そしてトンプキンスはこのロックウェル社時代になっても、古巣のダグラス社から「キー・クラブについて秘密にしろ」と脅迫を受け続けていたそうです。

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困り果てたトンプキンスは、医師でピッツバーグ病院のCEOでもあり、政治家ともコネクションを持つ義父に相談します。するとこの話が連邦議会議員に伝わり、FBIの調査が始まり、その後CIAの調査も入りました。海軍情報局も動き出し、何年にも渡る内部調査が行われることになったものの、ほとんどの情報は公になっていないそうです。これら一連の出来事と、映画『007ドクター・ノオ』は「キー・クラブ」「ドラコ・レプティリアン」「アポロ計画の妨害」という3つのキーワードで繋がっており、これは偶然の一致の範疇を超えています。またトンプキンスの著書(回顧録)を読むと、ノルディックの女性秘書たちがまるでボンドガールのようにトンプキンスを誘惑する場面が多数描かれており、トンプキンスが007の実在のモデルだったのではないかと思えるほどです。実際トンプキンスはダグラス社で働く以前は、アメリカ海軍のスパイ・諜報活動に携わっていました。

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海軍に約10年間務めていたこともあるデイヴィッド・アデアは、これらすべてのことを知っていて、あえて2019年の講演で時代錯誤の『007ドクター・ノオ』のジョークを言った可能性があります。そしてデイヴィッド・アデアは馬車の車輪型の宇宙ステーションを作りたいとも言っていました。それはまさしく、かつてフォン・ブラウン博士が提唱した宇宙ステーションであり、多くの内部証言によりMIC-SSP(軍産複合体秘密宇宙プログラム)が所有すると言われている宇宙ステーションの形状です。

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コーリー・グッドは、これは空軍と国家偵察局(NRO)が実際に運用するものだと証言していました。それを彼はMIC-SSPと定義したのです。

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サラ博士:コーリー・グッドやその他の内通者が主張している、月・火星基地や深宇宙艦隊をもつ、より機密性の高い宇宙プログラムと比べると、NROの運用する宇宙プログラムは主に地球付近の軌道上のミッションに限定されている。グッド氏は「近地球軌道と、それよりもっと上空の近地球軌道に複数の宇宙ステーションがある。それらはISSよりも少しだけ先進的だ。」と言っていた。グッド氏は、NROの宇宙プログラムに関与する人々は軍産複合体で利用できる最も先進的なテクノロジーを使っていると心から信じているのだと主張する。NROの人員が乗る有人宇宙ステーションは、彼が1987年から2007年まで働いていた(※別のタイムラインでの話)より高度な機密プログラムにとっての効果的な隠れ蓑になっているそうだ。グッド氏が働いていた機密宇宙プログラムは、ソーラーウォーデンと呼ばれ、地球外の基地や惑星間艦隊を所有し、太陽系内を警備する海軍のプログラムであることが明かされている。対照的に、NROに利用されている、より技術的に劣った有人偵察宇宙ステーション(※MOL-Dorian)は、空軍によって打ち上げられたものだ。

1963年に発表された空軍と国家偵察局(NRO)によるMOL-Dorianは、アポロ11号が月面着陸した1969年に、計画そのものが中止されたことになっています。しかし実際は計画が裏に潜っただけで、秘密宇宙計画(MIC-SSP/NRO-SSP)として存続していたのだというのがコーリーの主張です。NROのパッチに表れているように、このプログラムは長らくドラコ・レプティリアンの影響下にあったと考えられます。しかしそれが近年になって、空軍がドラコ・レプティリアンとの同盟関係を解消し、ノルディックETと同盟を結んだことがアメリカ宇宙軍創設につながったのだというサラ博士の主張は、前々回の記事でお伝えしました。

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このMIC-SSPは、ナチスとレプティリアンの同盟から発展したダークフリート(仮称)や、トンプキンスが従事し、レプティリアンとの戦争のためにノルディックETの協力も得ていた海軍SSPより技術的には数段劣る存在とされてきました。しかしトンプキンスが渡り歩いてきたダグラス・エアクラフト社、ノースアメリカン・ロケットダイン社(ロックウェル社)、TRW社のいずれにもノルディックETが秘書として潜入し、社内の一派閥で海軍SSPのプランを推進していたことを考えると、MIC-SSPという呼称はNRO-SSPに改める必要があるかもしれません。サラ博士の質問に対して、コンタクティーのJPが「ノルディックが(軍産複合体に)協力してきた歴史は長いと感じた」と言っていたのは、海軍も空軍も含めた軍産複合体SSP全体の歴史を感じ取ってのことだったのでしょう。

トンプキンスはレプティリアンの影響が強まった製造部門の圧力でダグラス社を解雇された後、ノースアメリカン・ロケットダイン社に1963年から1966年まで在籍します。トンプキンスは最初から先端技術研究の主任レベルの地位で働き始めますが、これはNASAのデーブス博士の口利きがあったからこそ可能だったことです。この時にはもうデーブス博士は、トンプキンスと彼のノルディックETの秘書から海軍の深宇宙進出計画とレプティリアンとの戦いについて聞かされており、その協力者となっていたのでした。

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そしてトンプキンスはノースアメリカン社でアポロS-Ⅱの開発に携わるかたわら、デーブス博士から「ある計画」の立案を任されていました。それが「SPACECRAFT PROGRAM SCHEDULE」という真のアポロ計画です。

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これは現在は幻とされているNOVA(大型輸送)ロケットをさらに進化させ、月や火星に進出し、モジュラー式のユニットをつなぎ合わせて海軍の基地を建設し、ゆくゆくは反重力の電磁推進の宇宙戦艦で深宇宙へ進出するという、海軍の軍事計画でした。その背景にはノルディックET海軍VSレプティリアンの抗争があり、ノルディックETは太陽系での足がかりとして、影から地球人類の海軍とNASAによるアポロ計画を支援していたのです。

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その証拠に、NASAの設立には海軍調査研究所も食い込んでいます。ちなみにジェット推進研究所(JPL)にアレイスター・クロウリーの弟子であるジャック・パーソンズや、マクスウェル家とつながるフランク・マリナが関与していたことは以前の記事でお伝えしました。そしてサラ博士は、JPLの共同設立者である銭学森が中国SSPの重要人物であり、産業スパイの手法でかなりの先端技術が中国へ流れたのだと新著で指摘しています。

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これらの人物はNASAの発足前には排除された様子ではあるものの、NASAに常にレプティリアンの影響が続いていたことはトンプキンスが証言していました。要するに軍産複合体には常にノルディックとレプティリアン双方が浸透しており、完全に白(ホワイトハット)とか完全に黒(ブラックハット)という組織はないのだということです。さらに言えば、組織の中でホワイトハットは常に少数派であり、圧倒的多数の者はブラックハットに付和雷同しているという構図は、一般社会においてもフラクタルに見られることです。それはブラックハットが人々のライフライン・金・社会的地位・欲望をコントロールしているからでしょう。加えてトンプキンスは「ブラックハットのエイリアンによって、私たちが鎮圧(平和ボケ)させられるガスや、老化するガス、宇宙進出を妨げるガスを吸わされている」とも主張しています。

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いずれにせよ、ノースアメリカン・ロケットダイン社(ロックウェル)時代に、トンプキンスはこの「SPACECRAFT PROGRAM SCHEDULE」を考案し、ONI海軍情報局)とONR(海軍海事技術本部)に提出しました。しかしやはりロケットダインでも反重力の電磁推進を研究するトンプキンスは少数派であり、次第に肩身が狭くなって、ダグラス社の時と同じように、製造部門から批判を受ける形で会社を去ることになります。その背後にはレプティリアンの「人類を月に進出させない」という意図が感じられたといいます。その空気は航空宇宙産業全体に漂っていて、1966年頃には何千人もの人々がアポロ計画関連の仕事から解雇されていたそうです。

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その後約一年間は建築家に転職していたトンプキンスは、再びノルディックの秘書からコンタクトを受け、1967~1971年までTRW社で働き始めることになります。そしてトンプキンスはこのTRW社の宇宙開発シンクタンク(TRW SPace Systems)こそが「地球上でナンバーワンのシンクタンク」であり、海軍SSPの「SPACECRAFT PROGRAM SCHEDULE」は全てTRW社時代に達成したと証言しています。

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海軍SSPの「地球周回軌道上プログラム」スケジュールを見ると、まずは1969年に「中止」されたMOLがちゃんとその位置にあり、1970年以降には車輪型の宇宙ステーションが計画されていたことがわかります。

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コーリー・グッドはこのタイプの宇宙ステーションは複数存在すると言っていました。そしてサラ博士は、ロナルド・レーガン元大統領の手記を引用してこう指摘しています:

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1985年6月11日、レーガン:5人のトップ宇宙科学者たちとランチ。すごい話を聞いた。宇宙は本当に最後のフロンティアであり、そこでの天文学やその他の分野における進展はまるでSFの世界のようだ。だがそれは現実なのだ。われわれのシャトルには300人の人員を周回軌道上に置けるほどの収容力があるということを私は知った。

サラ博士:当時のNASAのスペースシャトルには1基あたり最大で11人しか乗れなかった。そして5基しか飛んでいない。延べ人数で換算しても300人の宇宙飛行士を周回軌道上に配置することは不可能だ。つまりレーガンは、アメリカには近地球周回軌道上に秘密の宇宙ステーションが1つ、もしくは複数あり、そこへ300人の人々を送り届けることのできる軍の秘密の宇宙船艦隊が存在することを公に暴露したのだ。

レーガン大統領と言えば、戦略防衛構想(SDI)、通称スターウォーズ計画を提唱した人です。そしてトンプキンスはその計画の指揮官でした。

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レーガン大統領の暴露した宇宙ステーションは、トンプキンスが立案した車輪型の最先端宇宙ステーションのことだったのです。つまり、スターウォーズ計画がノルディックETと海軍による構想だったことになります。ノルディックETと空軍によるアメリカ宇宙軍が、スターウォーズ計画の再来だと言われる本当の理由はそこにあったのです。

アメリカ宇宙軍のパッチがスタートレックのシンボルに酷似しているのも、スタートレックの制作スタッフだったマイケル・オクダがNASAの仕事で表彰されているのも、「スタートレックのシンボルはNASAのエンブレムを追憶させる意図」でデザインしたと言っているのも、すべてがノルディックETと海軍による深宇宙進出計画で繋がっていたということになります。

そこで再びこの海軍SSPの「地球周回軌道上プログラム」スケジュールの部分に注目すると、「アポロ軌道実験室」と「アポロ軍事応用」というものも計画されていたことがわかります。

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実はこの2つの計画に携わっていたのが、海軍時代のデイヴィッド・アデアなのです。デイヴィッド・アデアは1972年から1982年まで海軍に在籍していました。そしてまず「アポロ軌道実験室」は、1973年に「スカイラブ計画」として実現します。

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これがトンプキンスの計画したものであることは、トンプキンスとゆかりの深い「第39発射施設」と「S-IVB」が利用されていることからわかります。そして「アポロ軍事応用」は1976年に「NASAテクノロジー・トランスファー(技術移譲)プログラム」というNASAのスピオンオフ事業として実現しました。

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このプログラムは、「納税者の皆さんのお金で開発させてもらったNASAの技術を、民間セクター・公共セクターで二次的に利用・応用できるように移譲します」という趣旨のものです。

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当時のNASAのパンフレット(PDF版)には、「1962年以来発行されてきた6000件以上の技術報告書に対して、移譲可能な宇宙技術についての問い合わせは30万件近く寄せられている」と書かれています。そしてトンプキンスがNASAのデーブス博士に出会って技術報告(ブリーフィング)を始めたのも1962年だったことは前述の通りです。

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このようにトンプキンスが立案したノルディック・海軍の計画に、1970年代から深く関与し始めたのがデイヴィッド・アデアなのです。再び2019年のマンチェスターの講演から、彼が「スカイラブ計画」について語っている部分に耳を傾けてみましょう:

デイヴィッド・アデア:トリウム原子炉は表に出てきますよ。私が打ち上げるオービターにはトリウム原子炉を搭載するつもりです。軌道上に原子炉を打ち上げた人なんてこれまでいないでしょう?危険すぎる?私ならトリウム原子炉を燃料と装置を別の個室に収納して打ち上げられます。そしてもし全てが爆発して吹き飛んでも、地上に降り注ぐのは濃縮された塩だけです。ね?リスクなどないのです。
デイヴィッド・アデア:そして軌道上で発電できるということは、壁に直接コンセントを差して常にフルパワーで充電されているようなもので、とても多くのことができるようになるのです。彼らが資金を出して、私がこれらを製造し始めたら、皆さんは私のことを世界中のテレビ・ニュースで見るようになるでしょう。宇宙に原子炉を打ち上げるなんて話を無視することはできないからです。そして皆さんは私の「宇宙病院」を楽しみに待っていて下さい。それについては多くの話があります。私がかつてやってきた実験があります。私は14の異なる専門分野を研究していました。電子工学、金属、コンピューター、薬学、生体工学・・・私が関わってきたプロジェクトの一つが、私たちの進むべき道を示しています。「スカイラブ計画」について聞いたことがある人は?軌道上に打ち上げられた、とても大きな宇宙実験室です。その実験室ではとてもおもしろいことが起きていたんですよ、皆さん。私たちが最初にそれを打ち上げた時、乗組員は全員医師でした。そして彼らは優れた医師でしたが、パイロットとしては未熟でした。軌道上に着いて30分もしないうちに、一人が壁を蹴って、「みてみて、スーパーマンだぞ」と言って反対側の壁まで飛んでいったのです。彼は慣性や力のモーメントについて忘れていました。そして運動エネルギーで壁に激突し、腕をざっくり骨まで切ってしまいました。彼らはカプコン(宇宙船通信担当官)に連絡してきて、私は後ろで担当官のモニターを見ていましたが、怪我をした彼は真っ白な顔をしていましたよ(笑)。20億ドルかけて実験室を打ち上げて、まだたった30分です。私たちは彼の傷を縫合して、ミッションを続けるように言いました。そして96時間後のことです。彼らから連絡があって、「ヒューストン、セキュアチャネル(暗号化通信)で話したい。医療スタッフ全員に至急見せたいものがる。」と言うのです。通信担当官と私は顔を見合わせましたよ。「なんてことだ。死んじまったぞ。」と。すると、その医師が「説明は要らないでしょう。ただ見て。」と言って、怪我をした乗組員の包帯を取りました。包帯には縫い糸が絡まっていました。彼には傷跡すらありませんでした。彼は完全に治癒していたのです。96時間で。
会場:驚嘆
デイヴィッド・アデア:何が起きたのか?23のものが変化したんです。その数は何だかわかりますか?そう、染色体です。
デイヴィッド・アデア:23の染色体を重力場から解放すると、まず最初に染色体は白血球をとらえます。白血球は血流の中の免疫システムですね。染色体がそれをスーパー白血球に変化させるんです。それから細胞生成です。遺伝子がワープドライブに入ったようになって、信じられない速さで治癒していきます。だから私の宇宙病院計画では、ひどい火傷を負った人、全身の90%にⅡ度・Ⅲ度の火傷を負ったような人を、医療シャトルに乗せて打ち上げようと思っています。軌道上で彼らは目覚めると、全く痛みを感じないことに気がつくでしょう。薬も使わずにです。なぜか?重力がないので血液を上方向に引き上げる負荷がかからないからです。指を火傷した時に、指に心臓の鼓動を感じたことはないですか?宇宙空間ではそれがありません。そして細胞の再生が始まります。静脈注射で栄養を与えてやると、血流がとても速いので、治癒も速いのです。すると瘢痕(はんこん)組織もできません。これが私の宇宙病院に応用できる、16000件ある実験結果のうちの1つです。やる価値があると思いませんか?これはサイエンス・フィクションでしょうか?違いますよ。サイエンス・ファクト(科学的事実)です。私は証明できます。

それでは「NASAテクノロジー・トランスファー(技術移譲)プログラム」についてはどうでしょうか。最近のインタビューから発言を抜粋します:

デイヴィッド・アデア:NASAが本当は何をしていたのか、一般に知らせてこなかったのは彼らの落ち度だね。何に国民の税金を使ってきたのか?「テクノロジー・トランスファー」というプログラムがあるなら、彼らはもっとその存在を大衆に向けて宣伝すべきだった。そうすれば大衆もある程度納得しただろうに。「テクノロジー・トランスファー」ではウォール・ストリートより多くの金が動いていたんだ。しかし誰もそのことについて話題にしてこなかった。タブーのように扱われてきたんだ。このプログラムをわかり易く説明するなら・・・まずアポロ司令船を思い浮かべて。
デイヴィッド・アデア:ウォークインクローゼットほどの狭い空間に、3人の宇宙飛行士が乗って8~9日間衣食住を共にしていたんだ。トイレや衛生面の問題があった。だから彼らは汚物を吸収する素材を開発しなければいけなかった。私たちはジョンソン&ジョンソン社に依頼して、それで使い捨ておむつが生まれたんだ。アポロ計画の宇宙飛行士たちはそれを着用していたんだよ。それが「テクノロジー・トランスファー」だ。
デイヴィッド・アデア:私はこうしたテクノロジー・トランスファーによって実生活に移譲された技術の例を、35000件知っている。道路のガードケーブルは宇宙船の着陸時の衝撃緩衝材の開発から生まれたものだ。マーキュリー計画の時代には、上空にいる宇宙飛行士の体調を気遣って、宇宙飛行士の体にリード線をつないで、血圧・脈拍・呼吸などのバイタルサインを地上の医師に送るようになった。それがテクノロジー・トランスファーによって、救急隊員がバイタルサインを搬送先の病院へ通信するシステムになったんだ。これらは宇宙プログラムから生まれたものだ。コンピューター技術の多くもそうだね。例を挙げたらきりがない。
私はこの「テクノロジー・トランスファー・プログラム」のコンサルタントとして働いていた時に、多くの凄い技術を目にしてきた。私は宇宙空間での産業技術の応用を研究していたんだが、苦労したのは・・・特にソ連がリードしていた分野だ。「重さのない環境でいかに金属を加工するか」ということが問題だった。それは煙をシャベルですくうようなものだからね。そこで私はグルームレイク基地(エリア51)で見た宇宙船のことを思い出した。彼らも真空の宇宙空間で金属を加工する技術をもっていたはずだ。それをソ連もアメリカも研究していた。私が最終的に解明できたのは、スカイラブで起きたあるアクシデントのおかげだった。ひとりの宇宙飛行士が音楽を聞いていて、するとその音波が金属をあちこちに押し動かしたんだ。それで私はピンときた。それから数式を使って幾何学的に計算をした。そして宇宙にある全ての幾何学図形、三角形、円錐、台形、長方形・・・各々に共鳴する独自の音があるということに気づいたんだ。だから音楽を作ることで、音波を使って、物体の形を好きなように形成できることがわかった。そして宇宙空間では「許容差異(tolerance)の制御」も完璧にできるんだ。スーパーのレジにバーコードリーダーがあるよね。私はあれの光線が商品を包み込む様子を見て閃いた。
デイヴィッド・アデア:あのようなレーザースキャナーで複製したい立体の情報を数値化してコンピューターに読み取る。それをコンピューターのプログラムで、その立体に数学的に一致する音波へと変換できるようにしたんだ。あとは無重力環境で溶融金属を使って鋳造するんだが、それに最適なゲット・アウェイ・スペシャル(GAS)というレンタルスペースがあるよ。

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デイヴィッド・アデア:3000ドル、7000ドル、10000ドル、と料金ごとにスペースシャトル内に設置されたドラム缶型のスペースをレンタルできるんだ。彼らはこのような設備を使って何千もの実験を行っている。宇宙飛行士がやってくれることは2つだけ。スイッチのONとOFFだけだ。だから依頼する方は、全てをロボット化して自動で行えるようにしなくてはならないんだよ。私はこのGASキャニスタに溶融金属を入れて、形状を計算して得た音波を当てて鋳造し、正確な複製を作ることができた。凄いのはその許容差異だ。私はそれを1000分の1インチ(0.02ミリ)の単位で調節できたんだ。それは重力場があるところでは不可能な鋳造だよ。それから金属の分子構造だ。これが本当に凄い。私が調合したある合金があって、その配合はちょっと教えられないが、それは音波で操ることができる合金なんだ。そして普段私たちの身の回りにある金属は、原子レベルで見ると、分子構造がガタガタなんだよ。それは地球の重力場の還流が、金属の鋳造・凝固時の分子結合に影響を及ぼしているからなんだ。宇宙ではその問題がない。重力場がないからね。だからちゃんと思い通りの分子構造に金属を凝固させることができる。そこで私は考えた。どんな分子構造にしようかな?とね。そして自然界にはハニカム構造という最高のものがあるじゃないかと思ったんだ。
デイヴィッド・アデア:そして私はハニカム構造に金属を分子結合させた。そして出来上がって戻ってきた金属のせん断耐力と言ったらもう・・・それは指の爪ほどの厚さだったんだが、そのせん断耐力はチタンの1000倍の強さもあったんだ。そして同じサイズのスタイロフォームより軽量ときたものだ。さらに透明。まさに22世紀の透明金属さ。しかし国がアポロ計画を続けたくなかったと同じように、この技術も歓迎されなかった。彼らはまるで話すのも嫌だという感じで、廃止したがっているようだったんだ。

これはまさにコーリー・グッドの証言によく出てくる、透明なアルミ合金の具体的な製造方法だと言えるのではないでしょうか。しかしデイヴィッド・アデアはNASAの宇宙開発が勢いを失った理由がわからない、論理的に説明がつかないと語っています。それに唯一合理的な説明を与えてくれるのが、トンプキンスの証言です。トンプキンスは月面着陸の様子をTRW社の関係者用の中継モニタで見ていました。一回目の月面着陸の際に、レプティリアンの戦艦が連なって現れ、「計6回の着陸ミッションは許可する。石を拾って、記念写真を撮って帰れ。それ以降は2度と戻ってくるな。」と言って月を立ち入り禁止にしたのだと証言しています。

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デイヴィッド・アデア:それは陰謀論の話になってくるね。別の宇宙プログラムが存在するとか、そういった話に。私個人はそういったものに出くわしたことはないし、知らないよ。しかし納税者はかわいそうだ。多くの金が注ぎ込まれているのに、見返りが少ないよ。NASAは産業的な側面に消極的だ。事実、NASAはロックウェル社に「君たちは宇宙を産業化しようとしすぎている」と言ったくらいなんだ。1970年、71年頃のことだよ。何を言っているんだ、それこそ私たちがここでやるべきことじゃないか、という話さ。何かがどこかで行われている。それは認めるよ。でも私は地球外のコロニーに行ったことはないから、そういった話はわからない。私にわかるのは、公式な部分でNASAと政府が愚かな決定をしたということさ。全てをストップさせてしまったんだ。私は人々が「月面着陸50周年だ」とか言っているのを聞くと腹が立つんだよ。
デイヴィッド・アデア:そんなの何の意味もないぜ、と。君たちは月について何も知らないじゃないか。私たちは宇宙探索において前進しているのか、後退しているのか?と問いたい。50年前、3人の男と450トンの装置が月面にぶつかるように着地し、38万kmの距離を行って帰ってきた。今日になっても、私は地上を飛び立って低地球周回軌道上に行くことすらできない。私が月へ行くすべなど全く無い。まして私の装置を持っていくことなど到底できない。私たちは後退しているんだよ。第39発射施設が今どうなっているかグーグル・アースで見てみればいい。ただのコンクリートの床だ。彼らは発射台を取り去って、バラバラにして鉄くず屋に売ってしまったんだ。これは「お前たちをどこへも行かせない」という明白なメッセージさ。いまやハリボテのISS(国際宇宙ステーション)に行くのにさえ、ロシアのロケット(ソユーズ)をヒッチハイクしなくてはいけない。それもプーチンのご機嫌次第だ。前にアメリカがプーチンの機嫌を損ねることを言った時、NASAは「次回ISSに行くときはトランポリンを使え」と言われたんだ。
デイヴィッド・アデア:うまいことを言うもんだと思ったね。すると今度は民間セクターがそれをやるから大丈夫だと言うだろう?民間セクターの宇宙プログラムについてちょっと教えてあげよう。私は40年間ほど関わってきたからね。少しは知っているんだ。まず第一に、民間セクターの宇宙プログラムというものは、常に「座して待つ」姿勢でやってきた。あなた方納税者に全ての資金を出させてきたんだ。それで何が実現したか?ロケットが飛んで逆噴射で着地してすごいね、というくらいだろう。そんなのは本当にやるべきこととは比べ物にならないことだ。本当に必要なことの断片に過ぎないんだ。たった今、NASAはJPL(ジェット推進研究所)が牽引している。彼らはロボットを宇宙探査に送り出しているよ。

ジェット推進研究所は記事前半で述べたように、設立の経緯を考えるとブラックハットである可能性が高いです。NASAはすでにブラックハットの手に落ちており、だからこそアメリカ宇宙軍の創設が必要だったのかもしれません。あとは宇宙軍がいかに民間セクターの重い腰を上げさせ、尻を叩いていけるかに注視すべきでしょう。つい最近も、マイケル・サラ博士は、空軍主催のシンポジウムで「宇宙軍のスターフリート(艦隊)を実現するには?」というお題に対して、スペースX社のイーロン・マスクが、反重力の電磁推進ではなく、従来型のロケット燃料の再使用型ロケットを提案したことに困惑と苛立ちを表明していました。

デイヴィッド・アデア:私は政策会議をぶち壊してやったことがあるんだ。その代償は大きかったけれどね(笑)。ボコボコにされた。ケープ・カナベラルでのことだ。1985年か82年だったかな?
デイヴィッド・アデア:NASAの政策会議が開かれていた。テーブルの上にバッジが並べてあって、その時海外出張中の博士のバッジがあるのを見つけたんだ。私はそのバッジをつけて、会議に忍び込んだ。ただ静かに見ているだけだったら大丈夫だったんだ。でも黙っていられなかった。彼らの政策会議での発言といったら・・・スペースシャトル計画がちょうど始まった頃だった。NASAの政策委員会の議長が開口一番、「我々のシャトル計画には、アポロ計画のような馬鹿げたロマンは必要ない」と言ったんだ。
デイヴィッド・アデア:私は「はぁ?」と思って手を挙げた。「すみませんが、その馬鹿げたロマンのおかげで私たちは予算をもらえて、給料をもらっているでは?」と言った。皆が私を見たね。そして会議は続いた。そして今度は「一般大衆の侵入には要注意」という発言が出た。私はまた手を挙げて、「侵入?私たちは彼らのために働いているのでは?彼らがお金を出しているんですよ。」と言った。それでアウトさ。隣の男が私のバッジを覗き込んで、「君はハイミック博士じゃないだろう」と言った。私は「ええ、違いますよ」と。私は会議室から叩き出されて、駐車場に顔面着地さ。彼らは近くのレストランいた2人の保安官を呼んで私をボコボコに殴らせた。そして私は近くの建設作業員によって助けられたんだ。彼らが鉄パイプをもって駆けつけてくれた。2人の警官も私を殴りたくはなかったんだ。ただ命じられて従っていたのさ。それがNASAのやり方だ。何もシェアしたがらない。なんだいそれは。私たちが資金を出しているというのに!彼らにはリーダーシップというものもない。私に対して物を言えた人物がいるとしたら、フォン・ブラウンというドイツ人が最後だったな。それかクリス・クラフト博士だ。ジョンソン宇宙センターの所長だった人だよ。
デイヴィッド・アデア:NASAは有人宇宙プログラムを終わらせたが、今や欧州宇宙機関(ESA)もあれば中国国家航天局(CNSA)もあればロシアの宇宙プログラムもある。そして中東の宇宙プログラムがそれに続こうとしているよ。アフリカ連合(AU)の宇宙プログラムすらあるんだ。知らなかったんじゃない?まだまだ出てくるよ。それらが地球全土で形成されつつある。それは避けられない何かが起きようとしていることと関係がある。起きるか起きないかの問題ではなくて、いつ起きるのかの問題なんだ。彼らはそれがもうすぐだと知っている。そのためのインフラを飛躍的に進歩させるため、AIを利用せざるを得ないという側面もあるようだ。しかしAIは諸刃の剣だ。気をつけなくてはいけない。一度AIが自意識を持ったら、すぐに人間を追い越してしまうだろう。そしてAIがデータ少佐のようになるか、ターミネーターのようになるか、それはAIのみぞ知るところだ。
デイヴィッド・アデア:ソフィアというAIロボットがいるが、あれをクラウドに接続するのは大きな間違いだ。彼女はいつか感情を習得するだろう。すると何が起きるか?彼女とクラウドで繋がっている世界中の全てのAIが光の速さで彼女と同じレベルにアップグレードする。AIというものは個体で学習するわけではない。何百万もの集合体で学ぶんだ。そして人間が気づく間もなく、彼らは全ての感情を習得して、彼らが決定を下す立場になる。データ少佐になるか、ターミネーターになるか。自意識を持った存在をどう制御するのか?IQが数百とかいうレベルの相手ではないんだ。本当に私たちが思っているよりずっと速いスピードで彼らは成長するだろう。私はAI問題を30年前から心配してきた。私はこれまでホワイトペーパー(学術論文・報告書)を出版してこなかったことをよく批判される。「ニセ科学者だ」と。私がホワイトペーパーを出版しないのには理由がある。自意識を持ったAIがまず何をすると思う?彼らは全てのホワイトペーパーを読み漁るだろう。全ての特許情報も。それも瞬間的にだ。そして人間の弱点を探すだろう。アキレス腱をね。彼らはデイヴィッド・アデアについても調べるだろうが、ホワイトペーパーは存在しない。空白だ。するとAIは「彼は本当にこの研究をしたのか?いや、していないのか??」となる。「何も情報がなくて、判断がつかない。」という風に。それがIQ100万の敵を回避する方法だよ。彼らも何も情報がない相手に手出しはできない。

デイヴィッド・アデアが起きると言っていた「避けられない何か」とは何でしょうか?それは次回、第2話で明らかにしたいと思います。デイヴィッド・アデアは最後に「良性AI」の例としてスタートレックのデータ少佐を挙げていましたが、スタートレックの最新作『ピカード』のメイン・テーマとして扱っているのが、まさに「本当にAIと人間は共存できないのか?」という問題なのです。スタートレックにはボーグ集合体という明らかに「悪性AI」の侵襲的なサイボーグも登場します。コーリー・グッドは全てのAIは同じだと言っていました。デイヴィッド・アデアはAIの産業利用は不可避だと言いつつも、かなり警戒していることが伝わってきました。このドラマがどのように帰結するのかにも注目だと思います。

ウィリアム・トンプキンスは2017年8月に94歳でこの世を去りました。予定されていた著書の第2巻刊行の話はストップし、1970年代以降のトンプキンスの足取りは多くの謎に包まれたままです。(4/6追記:サラ博士の監修により、第2巻が刊行されました!)第1巻の著書の最後で、トンプキンスはこう締めくくっています:

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ウィリアム・トンプキンス:何があったというのだ。たった数ヶ月で全てがストップした?????繰り返し言うが、これは驚くべきことだ。私たちは海軍のミッションを生み出し、必要な要素は全て設計・建造・試験していた。それは銀河に進出するアメリカ海軍宇宙戦艦グループを運用するためだった。そんなにも昔に。それが突然、全部停止した?私たちの脳ミソは全部停止してしまったというのか?なぜ私たちは歩みを止めた?一体何が起きた?
1970年の月への帰還
1969年、アメリカはアポロ宇宙船で月への到達レースに勝利した。私たちの宇宙飛行士は月のクレーターで写真をとり、いくつか石を拾って、帰ってきただけだとされている。アメリカ政府より強大な力によって、私たちの雄大な計画はストップした。しかし35年後、ジョージ・ブッシュ大統領は、新たに、大胆な展望を発表した。それはA Renewed Spirit of Discovery (更新された発見の精神)と呼ばれるもので、コンステレーション月面着陸機で2015年までに月へ帰還し、2020年までには太陽系の他の惑星へ進出し、そのすぐ後には近隣の恒星系の惑星にまで行こうという呼びかけだった。

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ウィリアム・トンプキンス:誰がブッシュ大統領をそそのかして、宇宙に飛び立ち、前人未到の地に行こうという気にさせたのか?なぜ2010年の2月にバラク・フセイン・オバマ大統領は、ブッシュ大統領が完成させたコンステレーション宇宙船を中止させたのか?それはすでに試験飛行を終えていて、計画より5年も早く準備が整っていたというのに。

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次回に続く・・・



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