Notes of a Dirty Old Man For Introduction

今日は23年七月六日木曜日だ。
出掛ける用事の日はくたびれて書けませんので時たまの作業ですが、
幾らか毎日のことでなくなり気が楽で、
そんな加減でしょうか、入力前に横になっての考え事時に急に、
蝉の初鳴きでしょうか、気付けた。
蒸し暑さも、少しづつ楽になって来てるような感じで。
夏近しを蝉が教えてくれたやら。

そうそう、
今日は何を書こうかのお話しで、
やはりアベさんのことを書いてみよう、と思い付いた。
明日は七日で20年の七月七日にフィリピンより帰っておりましたから、
三年の時が経ったんだ。
そう、そしてあのことは22年に起きたこと。
一年が経ちにけり。

長い二度目の登板は何年に始まり何年で終わったやら。
少し調べて見ましょう。

先ずは短い第一次安倍内閣が2006年九月より07年の同じく九月まで。
同じ九月に始まり九月に終わる、
ご苦労が多かったことでしょうと思いやる。
そして暫しの雌伏の時を持った。そのご苦労が後日花開くのでした。
第二次は2012年の十二月より始まり20年の八月に辞任した。
とあります。

健康を取り戻せば再々登板もと、おっしゃる方もいらしたのに。
選挙応援をなさるほどお元気を取り戻していらしてたのでしょうにね。
22年のことですからお辞めになって二年程の時間が経っていたんですね。
時の経つのは早いもの。

家庭を捨ててからはテレビは持たない暮らしで、もちろん新聞も読まず。
2009年にパソコンを求めるまでは世間への眼は無きに等しく、
第一次政権のことはほとんど知らないままだ。
そして二次政権の時は12年の八月にミャンマーへ出掛け、
パソコンなどは持ち込めずが決まりで、始めの頃の記憶は全く無い。
14年の三月の末に帰ってよりのことだけ。

どちらにしても身辺にトラブルがあれば、
政治向きのことを考えてる場合じゃ無かったのだし。
比べるべくも無いけれど、
安部さんにも次々の難題が、は知っておりましたが、
私にも、ミャンマーから帰った後の、
トラブルから少し落ち着いての15年の末の二度目の渡緬が有り、
体調を崩して16年年初には帰国。

京都に帰れず大阪西成に居を移した。
その頃から少し落ち着いてYouTubeで政治向きのことなども、
見始めることが出来るようになったのでは。

そんなこんなをする内に17年の年末にさるフィリピーナとの出逢いがあり、
年が明けて18年の四月には出入りが有ったにしても二回の長期滞在の渡比。
上に書きましたように20年の七月には帰国した。
そしてコロナの加減の三年の足止めがあり、直の十日の飛行機に乗る。

フィリピンに居た時は、
パソコンは有るのだしYouTubeなどは見ていたけれど、
相も変わらぬ身辺のトラブル、ええ加減な政治向きの知識だ。
年末でしたか直に長い登板をお辞めになったのでした。
私はと言えば書きものに夢中だったのだし、
アベさんのふらふらとした足取りを見れば、
長くは無いのでしょうと独り決めだった。
お辞めになればゆっくり休んで捲土重来をと祈るだけだったっけ。

そんなこんなで私の書きものもあらかたの仕上がりを見ていた昨22年の七月の八日のことです。
早いもので早や一年が。
心を寄せるものはもう一度と思うのでしたが、
快く思わないものは命を取りに掛かる。
そして不思議が多い後刻の各々の部署の対応。
ご遺族の方々はいかが心の平静を保たれるのでしょう。

私にしても書き下ろしの第二作。
余りに大きな出来を、
ひょっとしたら畏いなるものはご存知の上での、
私への呟きだったのではといぶかる。

体調が本来では無いけれどの無理矢理の渡比。
大きな教会の時を告げる鐘の音を耳にし、
出来ますれば再びの呟きで書き進めるべくのサゼスチョンを、
頂きたいと思うばかりです。
~~続く


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