Notes of a Dirty Old Man For Introduction

私が畏いなるものの呟きを聴いたのは2020年の四月の頃だったはず。
場所はフィリピンセブシティーでのこと。
サントニーニョ教会の時を告げる鐘の音が聴こえる程近くのレジデンスに、
19年の十月末よりの二度目の長期滞在で、マクタンのいつものホテルに居り、
明けて三月の中頃より居を移してのことだった。

聴いたと思うクーデターに付き調べろとか書け。
もちろんクーデターに付き或る程度の知識は持っていた。
時偶に興味を持ち本を読んだり、YouTubeで関係のものを見聞きしていた。

改めて調べれば、その頃は軍部が政治の中に入り戦争をするは仕方の無い時代。
経済がひどかった時代。外に目を向けるが逃げ道だったろう。
そして天皇が、大きな戦争前は神だったのでしょうか、簡単に変身する身で、
恐れ入るのだけれど。

二・二六事件では特に自分をあからさまに為さったのでしょう。
まだお若かったし、父君はいらっしゃらなかったのでは。
お若い頃からの摂政だったでしょう。
世に怖いもの無し。
ただ軍部のことだけを見ていたのでは埒が明かぬ国の作り。
クーデターが起きる根っこに付いて。
そう行き着くところは忖度忖度の国だ。

二つの象徴的な事案をお話しさせて頂きます。
先ずは一度何かを決めればその後の変化には身軽に対応の出来ない、
のものがたり。
ひとつだけのことに渡るのでは無いようですが、
時偶に国会で引っ張り出されること。多分増税をやめておけの為のこと。

生活保護を何で外人に適応するのかとのこと。
最初は有る時期に一時的のつもりで始まった話しのよう。
そして人道上での適応が謳い文句。いつまで続くのやら。
人道上は違うところで使って欲しい限りだ。

誰かが言ってた超法規的な判断、人質と金で交換。
バカなことをするヤツを殺して仕舞えば終わる話では。
どちらにしても出本は皆の税金だろうが。

スパイ行為を仕掛けて来る者にも同じような対応。
中国には何をやらかしたかは知りませんが二十人弱の方たちが牢屋の中に。
外人さんに取って日本は天国でしょうね。
いつまで経っても何も変わらずそのままの国。
忖度忖度要らないことは黙っていれば良い国。

三島のことが有り、その後に一つ、未遂で終わったやら。
その後はことは無く、表面的にはつつがない国の見本。
昨今はアベさん、菅さんの後は、分からないことをなさる方が上に立つ。
大丈夫大丈夫、事も無くやりたい放題でしょう。

二つ目に移りますが、これも時偶に眼に耳にすること。
以前は何時のことかは忘れておりますが、もちろんそのままに、
手付かずのまま故、またの話しになるこの国の日常のこと。

今は財務省でしょうか、他の省庁も同じことでしょうが、
任官をいたしておる方たちはおおよそ東大法学部が決まり。
財務省なら経済的な知識が必要なのにバカの一つ覚えでしょうか、
東大東大、法学部法学部が決まり。世の流れに沿って、
少し目線を代えて何て考えもせず。万世一系が見本でしょう。
徳川の世が終わり、明治が始まったことを忘れてでも居るようですね。
これが私の住むこの国日本。

コロナの加減で三年の足止め。直に渡比のつもり、
以前とは違い体調の不安で三ヶ月程が限度ですが。
畏いなるものの呟きをまた聴きたいとの思いも有りますが、
長く日本に居たくないとの思いも。

20年の七月に帰って後は書きものや編集に日を送っておりました。
22年やはり七月、皆さんもご存知のアベさんのことが起き、
ことも無く日が経っておる中で、一部の方々の他は誰憚るは無いと思っても、
触れづに置くが良いとの声でも聞こえておるやら、何のムーブメントも無い。

20年のクーデターを、の声への対応は22年の変が起き、
それへの呼応で私の個人的な考えの変容では無く、
畏いなるものの呟きから始まりしことが、
私の思念の内にて形が代わって行くのを憶える。
もう一度の呟きを聴きたく体調不良を打ち捨てて渡比をする。
~~続く


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