世の中にそうめん”ツウ”を増やしたい!それぞれの形でそうめんを盛り上げる2人に、業界の今について聞いてきた
これから夏本番がやってきます。みなさん、今年はもう「そうめん」にお世話になりましたか?幼い頃の夏休みの昼食と言ったら「そうめん」、という思い出の方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか?
イシイは「地域と旬」という取り組みを通して、全国各地の「おいしいけど生産している農家さんが減ってきている農産物」や、「後継者問題を抱える農家さん」とタッグを組んで、おいしさの発信や廃棄ロスを減らすための商品企画に取り組んできました。
今回は、夏のイシイの定番…商品を目指す、そうめんつゆ「そうめんTO YOU」とのコラボで、そうめん業界を引っ張るお二方に業界の現状を伺ってきました。
そうめん業界も、農業と近しい問題があるようです。
お話をしてくれたのはこのお二人
のうち製麺 三代目 一級製麵技能士 野内仁博さん
長崎島南島原市の島原手延べそうめんを家業とする家庭で育つ。一度は進学のため福岡に行き、卒業とともに歯科技工士として就職するものの、2年程度就業した後に、当時活況だった実家の製麺所を継ぐため長崎に戻る。そこから約20年、のうち製麺の三代目として麺作りと向き合う傍ら、そうめんの普及活動にも勤しむ。
そうめん研究家 ソーメン二郎さん
奈良県桜井市生まれ。親族が三輪そうめんの製麺所を営む環境で育つ。本業のイベントプロデューサーの一環で、催事や売り場作りを通してそうめんの普及活動を行う。そうめん自体のみならず、レシピやそうめん専門店に対する幅広い知見が評価され、そうめん研究家として評価されている。
地元のそうめんの現状を救いたく、そうめんの世界に戻る
— お二人がそうめんを仕事にし始めたきっかけを教えてください。
(野内)初めは歯科技工士として就職しましたが、長男ということもあり、2年ほどで家業の製麺の仕事を継ぐ決意をしました。かけ離れた仕事に見えますが、どちらも手先の器用さが生きる仕事。細かい仕事が好きだったんですよね。実家にいる頃は、いやいや家業の手伝いをしていたので、最初は継ぐ気持ちはありませんでした。しかし、当時はお中元などの市場も活況で、そうめんの作り手は儲かる時代。大変忙しそうな家業の状況を見て戻らずにいられなくなったのがきっかけです。
(二郎)親戚が三輪そうめんの製麺所を経営していたため、幼い頃から、特に夏の時期になるとお中元の宛名書きや出荷の手伝いなどに駆り出されていました。本業はイベントプロデューサーだったのですが、ある時からソーメン二郎として、試食会やイベントに出席するようになりました。そこからTVにも出させてもらえるようになったのですが、何せ取材をしてくれるTVの方々もそうめんについてご存じないのです。みなさんご存知の通り、ウイスキーやクラフトビールのようなお酒は、ファンの方も熱心に勉強し、蔵ごとの違いを楽しむ方々がいます。しかし、そうめんには製麺所ごとの違いを楽しむ文化がない。この状況をなんとかしたく、生まれの三輪そうめんに限らず、全国のそうめんの食べ方やレシピ、専門店の知識を武器に普及活動をしてきました。今年でそうめん研究家と名乗り始めて9年目になります。
— 確かに地域ごとのそうめんの違いを知ったのは、私も最近です。お話を深めて行く前に、是非基本的なことを教えて下さい。「手延べそうめん」とはどういったそうめんでしょうか?
(野内)そうめんの生地を何度も合わせてひねりながら、麺の細さになるまで引き延ばしていく製法でつくるそうめんのことです。業界用語はこのひねりのことを「より」と呼びます。間で熟成させるために「寝かせ」という工程を挟みながら少しずつ延ばしていくため、とても時間がかかる作業です。
一方、機械でつくる「機械そうめん」と呼ばれる種類は、生地をローラーで延ばして裁断していく作り方です。この工程の差が食感や喉越しに大きな違いを生みます。
— 「手延べそうめん」と「機械そうめん」の違いを見た目で判別するコツなどはあるのでしょうか?
(野内)水に漬けると見た目でわかりやすく違いが現れます。それぞれを水につけて10分ほど待つと、機械そうめんは水を含んでも何も変化はない一方で、手延べそうめんは短くなります。これは「手延べ」の工程で延ばした麺が、元に戻ろうとする力が働いているという証拠なのです。この戻ろうとする力が「コシ」として味わいに影響します。また、手延べそうめんは、麺の断面が均一でなく個性が出ます。
(二郎)これこそ、手仕事の証ですね。
地域ごとに特色があるそうめん。しかし業界を取り巻く現状はどこも同じ
— そこまで製法に差があるのですね。単純に太さなどの違いかと思っていましたが、JAS規格で太さには決まりがあるということも最近知りました。お二人のご出身の地域のそうめんにも違いがあるのだと思いますが、是非その歴史と特徴について教えていただきたいです。
(野内)諸説ありますが、島原手延べそうめんは、教科書にも出てくる「島原の乱」の後に増えた移民の方々が、気候と水を生かして作り始めたと言われています。使用している小麦粉は中力粉や強力粉であるため、一般的なそうめんよりもコシが強い仕上がりになるのが特徴です。最盛期には400軒ほどあった島原手延べそうめんの製麺所も、今や200軒以下まで落ち込んでいます。70代の方がなんとか続けている製麺所も多いため、あと5年程度すると、またグッと製麺所の数が落ち込むであろうと危惧しています。
(二郎)私が生まれた奈良の「三輪そうめん」の歴史は1200年前にまで遡ります。三輪そうめんの「三輪」は神話にも登場し、神社の御神体ともなっている「三輪山」に由来します。小麦のよく取れる地域で、やはり水も良かったことから昔からそうめん作りが行われてきました。真偽はわかりませんが、三輪山の神様からお告げがあったというお話もあるようです。昭和の時代はお中元バブルが起き、そうめんの出荷量もかなり多く、当時は製麺所も200軒ほどありました。そうめんでベンツに乗れる…なんていうことも言われていましたよ。しかし、今や製麺所の数は50軒ほど。島原と状況は同じく、後継者不足は大きな問題ですね。
— そうめん業界も農業のような課題があるのですね。伝統を引き継ぐということの大変さが少しわかりました。引き続きそうめん業界の現状についてお聞きしたいのですが、後継者問題の背景にはどのような課題があるのでしょうか。
(野内)とにかく長時間労働なんです。1日12時間勤務は当たり前の世界です。朝は3時に起床し、3時半から工場が稼働します。朝から夕方まで生地からそうめんの熟成、乾燥を行い、約2mまで引き延ばして麺を休めるところまで1日で行います。夜は次の日の仕込みや出荷作業に当てているので、休みがないんですよね。そうめんというと「夏だけ」というイメージをお持ちの方もいるかもしれませんが、夏だけの生産では足りないため、暑さが落ち着く9月以降も翌年の夏の出荷分の準備に入ります。だから一年中落ち着きません。
このような過酷な環境に、小麦や包材の価格高騰という問題も降り掛かりました。また、「島原手延べそうめん」がそうめんの業界の中でも後発のブランドということもあり、元々安く購入できるイメージがついているため、値上げは顧客の手が延びづらくなることもあり、変更が難しいです。そのため、原材料の高騰のダメージは、そのまま大きく利益に影響します。この市場環境だと、製麺所の経営者たちも、次の代に継がせたがらず、息子・娘には他の仕事に就くよう促しているという話も聞くほどです。
(二郎)そうめん業界自体が儲からない業界になってしまうと、みんな製麺所を閉じて、別の仕事に転職してしまいます。そんな中、みなさんご存知であろう「揖保乃糸」などのブランドがある兵庫県手延素麺協同組合などが協力して行っている「The 乾麺グランプリ」というイベントがあります。以前、そうめんTO YOUとの食べ合わせでもご紹介した「半田そうめん」は、この大会で大賞を受賞し、一気に東京で知名度が上がりました。このような、そうめん文化の大衆的魅力を伝えていくことが必要ですよね。
そうめんは主食、そうめんは夏のもの…という常識をくつがえしたい
— 朝3時に起床するというのは想像を超えていました…。すでに広報活動を積極的に行われているお二人ですが、今後さらにそうめんを広げていくために取り組みたいことはありますか?
(野内)私たちは製麺所なので、製造することで手一杯で、商品をPRすることは後手になりがちです。その結果、「そうめんがおいしい!」という単純なメッセージを言い続けてしまいがちです。しかし、消費者の皆さんにとって、そんな台詞は聞き飽きているものでしょう。
だから、もっと切り口を変えて、みなさんにとってそうめんを身近なものにする活動に取り組んでいます。例えば、「そうめんスイーツ」です。アイスクリームにそうめんチップ、そうめんパウダーを入れ、食感を楽しんでもらえるスイーツを開発しています。茹でる手間なく、そうめんを手軽に食べてもらおうという作戦です。
また、「あげとっと」という商品も人気です。昔から工場内や家族で食べていた、延ばす前の生麺を揚げてつくるおやつのことです。友人・知人に配っていたところ、徐々に口コミで評判が広がり「タダでもらうのは悪い!」というお声をもらったことから製品化しています。季節問わず食べられる商品として売り出しています。
私自身は目標として、「驚きと感動を与える麺作り」を掲げているので、みなさんがそうめん業界に抱くであろうイメージとはギャップのあるイメージ作りのために努力しています。大きなギャップに驚いていただき、ファンになってほしいのです。
その活動の一環として、普段でも着ることができるような「SOMEN CITY」 Tシャツを作成したり、先代の頃から取り組んでいた素材を練り込むそうめんに、スーパーフードの「モリンガ」や柿の皮などを入れる新しい挑戦も行っています。
(二郎)私は、「そうめんは夏のもの」という慣習を壊し、夏が終わった後も食べてもらえるものにしていきたいと考えています。そこで、いま目をつけているのが沖縄の伝統料理「そうめんチャンプルー」です。一般的にそうめんチャンプルーは、ツナとニラをそうめんと一緒に炒めたもの、というイメージが強いらしいのですが、まだまだ食べ合わせの可能性はあるはずです。そんな、沖縄ではどの家庭でも食べられているそうめんチャンプルーのレシピ研究を進めるべく、実際に沖縄に長期滞在する予定です。年中食べるものとして文化を確立し、広めていきたいですね。縮小しているそうめん業界では、「どこのそうめんがおいしいか」と競い合うのではなく、みなさんにおいしいと思うそうめんを自身で選んでもらえる状態まで、文化として成長させていくことが大切です。製造元の製麺所ごとの特長を伝え、みなさんに知識をつけて楽しんでもらえる…そんな食文化となることを目指しています。
また、私はこの業界の後継者問題をはじめとした現状にも目を向けてもらえるようメディアに発信していくことにも取り組んでいきたいですね。ローカルな製麺所が、一年を通して安定的に経営できる状態になるといいな、と思っています。
旨さは最後の工程で決まる!もったいないことしてませんか?
— お二人の熱い想いを受け取りました。是非、イシイもそうめん文化の拡大に協力したいです!ここで、明日から真似したくなる、そしてどの家庭でも簡単にできるそうめんの茹で方や、お二人がおすすめするそうめんの食べ方を教えてください。
(二郎)水ですすいでぬめりをしっかりとる。しっかりともみ洗いをする。氷で締めて、キンキンに冷やしためんつゆでいただく。これだけでも全然違います!こだわって製造したそうめんも、最後の食べ方一つで味が変わってしまうのです。ぬるいままのつゆで食べている人を見かけると、もったいないと思ってしまいます。
(野内)同感です。ゆで方次第でおいしさが変わるのがそうめんなので、作る時は少しだけこだわってほしいです。まず、キッチンタイマーでしっかりと茹で時間を測ってください。パスタやうどんは時間を測る人が多いのですが、そうめんだけは「目で見て」「なんとなく」で判断している人が多いんです。ソーメン二郎さんがおっしゃる通り、千切れんばかりにもみ洗いしてください。喉越しが全然違います。
食べ方としては、山芋・オクラ・冷しゃぶ・大葉・めんつゆをぶっかけて食べるのが好きです。「ネバトロ系」は夏の暑い日でも食が進みますよ。
(二郎)私は小さい頃から、中華くらげと一緒に食べるのが好きです。食感の楽しさと、さっぱりしたそうめんに少しオイリーな中華風の具材が合うんです!
— 今までのそうめんの食べ方を反省します!(笑)中華くらげという食べ合わせは意外でした。最後に、10年後のそうめん業界について、ご意見をいただきながらインタビューの締めとさせてください。
(野内)そうめんの需要自体はなくならないでしょう。年々お客様も舌が肥えてきていらっしゃいます。だからこそ、高い品質管理の能力が必要になってくるだろうと考えています。また、製麺所の未来のために、仕事としての魅力作りをする必要があるでしょう。残念ながら、若い世代は長崎県外に出て仕事を探します。地域を元気にするためにも、そうめん文化を継承するためにも、ちゃんと稼げる仕事にしていけるように、地域の同業者と力を合わせて頑張っていきたいですね。
しかし、私はPRの専門家ではないため、ソーメン二郎さんのような方や、プロの飲食店の方々と一緒に広めることにも取り組みたいと思います。
(二郎)これから徐々にインバウンドが復活し、海外から日本にきてくれる観光客の方も増えるでしょう。だからこそ、ラーメンやうどんなどの食文化に続くように、もっと海外の人たちにも発信したいと考えています。そして、「そうめん」という側面だけでなく、麺そのものの違いや職人さんにスポットが当たるようにしていきたいです。そのためにも、もっとメディアの方がそうめんに興味を持ってくださるように考えていきたいですね。
(野内)自社だけで考えてもアイデアは出てきません。色々な人と知恵を出し合って頑張りたいですね。地域問わずそうめんという食文化を広めようとしてくれているソーメン二郎さんのことは、業界のみんなも応援しています!これから一緒にコラボができたら嬉しいです。
(二郎)是非、やってきましょう!
— そうめんの未来が明るくなるようなお話、ありがとうございました!