叶芽フウカ『ただし透き通っている』

好きな音楽に対するラブレターです。
今日は叶芽フウカさんの『ただし透き通っている』について、なぜ私に刺さったのか、つらつらと書き散らしていきます。
 
奇跡的に誰かの目に触れる可能性はありますが、あくまで私の「好き」を曝け出すことを目的とした自宅内裸族的noteです。頓珍漢な内容、独りよがりな内容でもご容赦ください。

いい歳して親に手を引かれ
大学入学式のスーツを選んだ
みんなそのスーツを就活に使い回すらしい
 
僕は音楽で食っていくから
緑色のへんてこなスーツ

記事の最下部に楽曲リンクを張っておきます


私も同じように親に手を引かれ、入学式のためのスーツを買ってもらった。国道202号線沿いのアオキだった。
将来に対するビジョンは特になく、勧められるままに就活に使い回せる無個性なスーツを選んだ。
 
私も昔はバンドをやっていて、音楽で生きていく未来を信じていた。
高校生の時、地元のイオンで開かれたヤマハの新人発掘オーディションに自作曲で臨んだ。
予選を通過したのは、チャットモンチーの『バスロマンス』を演奏した小学生バンド。
「彼女たちがいちばん楽しそうだった」とかそんな理由だった。
その理由に納得できず、「クソが」と思った。
その日から、普通の人間として生きていくことを受け入れた。
 
その後、普通に大学を受験して上京した。
入学式で着たスーツで就活をして、普通の会社に就職した。
そのスーツは、初めてのボーナスでスーツを新調した際に捨ててしまった。
例えばランドセルのようなもんで、親から“子ども”への最後の贈り物が、大人になるためのスーツだったのだと今は思う。
もっと大切にできたら良かったけれど、今更もう遅い。
 
 

Youtubeのショート動画で『ただし透き通っている』に出会ったとき、その一瞬で私の半生が湧き上がった。
たった5行の歌詞の中に、夢を抱いて、諦めて、社会人になった私のことが対比的に歌われていた。
 
全く後悔はないし、人生をやり直したいとは露程も思わない。
それでも、緑色のスーツを選べる自分ではなかったから、その決意をシンプルな言葉で歌う彼女が眩しくて、胸が苦しくなった。
 
 

高円寺の駅前で歌う彼女を思い出した。
左右が違う靴下を履き、忘れたカポを油性マジックで代用し、謎の筋肉と絡みながら、歌うために歌っていた。
彼女は誰よりも楽しそうに歌っていた。
 
この先、彼女は変わらず歌い続けるだろう。
けれど私は、勤務形態が変わったら、子供ができたら…暮らしの優先順位の中で、彼女から足が遠のくかもしれない。
それでもこの歌は、私の人生にすっかりへばり付いてしまった。
きっと折々で、チクチクと私の胸を刺し続けると思う。
 
いつか子供が生まれて、その子が大人になるその時は、今度は私が手を引いてスーツを買いに行くだろう。
緑のスーツでも良い、就活のための無個性スーツでも良い、自分自身のために選んでほしい。
そうなれるように、大切な人の背中を押せる私であろうと思う。


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