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働きながら、書きつづけるということ

日々、働きながら文章を書いています。

お金が稼げているわけではないので副業ではないけれど、ただの気晴らしよりはずっと大切です。このnoteもここに載せていない文章も、日本とアフリカを振り子のように行き来しながら、少しずつ書きためています。

やっぱり書くのは好きだし、それが僕の「やりたいこと」だからです。でも、今の僕はただ文章が書ければいいわけではなくて、「働きながら書きつづける」ということがやりたいんだと思います。

でも、働きながら書くって、具体的にはどういうことなんだろう。仕事は山あり谷ありで、歳を重ねて責任も増える。自由時間は減っていく。両立は難しいです。そのあたりずっとバランス感覚に悩んでいて、考えたことをまとめました。

書く仕事がしたかったけど

僕自身は昔から本が好きで、文章を書く仕事がしたいと思っていました。今でも書くことは大好きだです。20代はあちこちで(北海道、オランダ、ブラジルのスラム街やウガンダの田舎町、関東)暮らしてきたけど、人間根本は変わりません。

自由時間は今でも文章を書いたり本を読んだりしています。問題は時間が足りないこと。文章は思った半分も書けない。読みたい本が読めない。もっともっと考えたいし書きたいことがあるのに、働くことで自由時間は窮屈になっていきます。

そんなときは「今のままでいいんだろうか」と思ってしまいます。単に時間が足りなくて悩むというよりは「好きなことを思い切りやるのが幸せなんじゃないか」と考えてしまう。

「働きながらやりたいことをする」なんて、中途半端なんじゃないかとふと思ってしまうというか。気楽な趣味ならいいんだけど、書くことはけっこう自分のコアというか、それがあっての人生というところがあります。

仕事とやりたいことのバランス

そういう面倒なこだわりを簡単な言葉に落とすと「やりたいこと」という翻訳になるのだけど、これがなかなか厄介です。なぜって、それとどう向き合えばいいかは一人一人が正解を見つけるしかないから。

「やりたいことをやってこそ人生だ!」と言う人を見て羨ましく思う。一方で「現実を見なよ。いい年でしょ?」と囁く人もいるのです。どちらが正解ではなく、選んだほうを正解にするしかないんだけど、隣の芝生は青く見える。

そこでふと思いました。問題は、やりたいことに対して、集中するかあきらめるかの二択しかないように世の中見えることなのではないかと。「やりたいこと」なんてみんなあるはずです。ライブに行くとか好きなお店でラーメンを食べるとか。

大半の人はやりたいことを生活に落としこんで続けているのに、その地道な(だけどとても大切な)仕事とやりたいことのバランスの取り方に焦点が当たることが少ないのはなぜでしょうか。

「歌いつづけている」という意味では、ヒットしている歌手も、週末バンドマンも変わらないのに、どんな工夫をして好きなことを続けているのか、アマチュアに話を聞くような番組がどうしてないんだろう?

面白くないからだよ、と言われたらそうかもしれません。でも、僕はむしろ、人を勇気づけるのは、どうやって一人ひとりが生活のなかでやりたいことを続けているかということだという気がするのです。

あきらめなくていいんだよ、とだれかが身を持って示してくれること。

働きながら、書きつづける

まだまだ迷いの中なんだけど、僕は「働きながら、書きつづける」ことをしばらく続けようと思います。

契約変更や報告書の作成に追われながら、どこまで自分が情熱と戦略を持って好きなことをする時間を確保できるか。残業でやりたいことができなかった夜も仕事で疲弊して起きられなかった朝も飲み込んで新しいものを作り出せるのか。

それはスタイルの話なので、文章を面白いと思ってもらえるかという実際的な問題とはまた方向性が異なる挑戦です。でも、仕事とやりたいことのバランスを見つけることもまた、今の環境でしかできない向き合い方だと思うので。

そういう地道な試行錯誤や葛藤がからだにゆっくり染み込んで、自分という人間の細胞が入れ替わっていく様子をしなやかに楽しみたいと思うのです。

(おわり)

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