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人が変わるなんて、薬味を1回頼むくらいのこと

9月半ばまで日本です。暑い〜!!

僕はアフリカはウガンダと日本を行き来する仕事をしている。ひと月半おきに日本とウガンダを往復し始めてもうすぐ3年。
とはいってもウガンダはまだまだ謎だらけだ。一つ知れば、二つ謎が増える。

でも、最近ささやかな嬉しいことがあった。
苦手だった食べ物を一つ克服したのである。
それはシアバターだ。

まず「食べるの?」って話ですが、はい、食べるのです。


僕の好きなデンゴーというウガンダ料理がある。豆(ササゲ)のペーストで、ポタージュのように濃厚。大体どこのローカル食堂にもある人気料理だ。サツマイモと相性が良くて、値段も安い(1食約160~200円)。

デンゴーを食堂で頼むと、シアバター(モヤと呼ばれる)を足すか聞かれる。薬味や寿司のサビ入り・サビ抜きみたいなものだ。

シアバターは日本だとスキンケアに使われる。好奇心でかけてみた。そして、がっかりした。味が渋く、ぬめぬめして、美味しくないのだ。大げさに言うと、口にガソリンを含んだ感じ。

デンゴー(右下)
周囲の茶色い部分がシアバター

以来断っていたのだけど、ウガンダ人の同僚にある時「それは悪いモヤだ。新鮮なモヤは苦くないよ」と言われた。

別の店で頼んだら、その通りだった。新鮮なモヤはマメの素朴な味に馴染んで味に深みが出る。僕はモヤではなく、古いモヤが苦手なだけだったのだ。

僕はモヤを見直した。ごめんよ、君を誤解していて。



例えば、喫茶店のカレーが口に合わなくても「カレーは美味しくない料理だ」と思う人は少ないだろう。この店はハズレだと思うだけだ。それは色んなカレーを食べてきた経験値で比較できるからである。

一方で、旅先の食事のような馴染みのない料理は「この料理は美味しかった/美味しくなかった」という言い方になりがちだ。でも、料理の味は当然、作り方や料理人の腕前に左右される。同じ料理でも美味しい物と美味しくない物がある。

美味しいデンゴーとそうでないデンゴーを見分けるのは時間がかかる。デンゴーが旅ではなく、生活の一部にならないと、その違いは判別不能だ。




繰り返す。人に聞く。失敗から学ぶ。またやってみる。苦手な物を好きになるにはそれしかない。人間関係も同じ。生活は反復の産物だ。

難しい。あまり、上手くいかない。そもそも上手くいかないから苦手なのだ。別に嫌いなままでもどうってことない。

でも、今では、デンゴーと一緒に「モヤも一緒に、別の小皿でね」と頼む。それは変化である。ピーナッツほどの小さな変化だけど、変化は変化だ。

変化すると、見える風景が少しだけ広がる。遠くまで見渡せるようになる。自分はそれが好きなのだ。新しい物にも色々あるけど、刺激的な目新しい物よりも望遠で徐々に見えてきた物に惹かれる。それは旅することの嬉しさでもある。新しい物に出会うと自分が変化するからだ。重たい服を脱ぎ捨てるような嬉しさ。

人が変わるのは難しいとよく言われる。でも、小さく変わるのはきっと1回モヤを注文する程度のことなのだ。それだけのことで知らないうちに着ていた重たい服はするりと脱げる。
苦手な物や人はまだまだあるが、ウガンダでまたデンゴーを食べるのは今から楽しみである。

(おわり)

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