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揉み紙と水墨と武力行使についての覚え書き

墨絵教室の課題のネタ探しにいきづまったので、水墨画教本の一冊を開いてみたところ、「最初に紙をクシャクシャと丸めてから広げて描く揉み紙の技法」を発見。毎回描く対象をテーマに課題を考えていたので「技法」でまとめるのも新鮮で面白いかもしれない、とまずは自分で見本を作成してみました。

丸められた(揉まれた)紙
広げた状態

初めての試みなので、半信半疑に筆を動かしたのですが

なんと一枚目でアボカドっぽいものが完成!
もしやこれ、実際よりも上手く見える技法なんでないかい?と元も子もない自分ツッコミをしつつ、クラシックなモチーフではどんな具合になるのだろう、と梅を描いてみました。

花は普通の紙に描いたのと差はないものの、枝のゴツゴツ感が出しやすいと思いました。
調子に乗って、蘭にも挑戦。

筆を速く動かす葉の部分は揉み紙の面白いテクスチャーが出やすく、じっくり筆をおく花びらにはあまり出ない感じですね。いろいろと発見がありました。

実際の授業では、みんな「紙を最初にぐちゃぐちゃにするなんて」と嫌そうな顔をしましたが、結局授業中ずっと室内に紙を丸める音がこだまし続ける、不思議な夕べとなりました。

そしてその墨絵教室の帰り道。
すでに授業中に「外で騒いでる感じだなあ」とは思っていたのですが、ヴァーツラフ広場の聖ヴァーツラフ像の前で、ウクライナを支援する運動が行われていたようです。

私が通りかかった時はちょうど「〇〇コルナの寄付金が集まりました!すべてウクライナに送られます!」と演説者が語り、拍手喝采のさなかでした。暴力的な集まりでもなさそうでしたが、こういった政治的運動にはつきものなのでしょうか、写真には写りませんでしたが、警察の監視のもと行われていました。

これが22日火曜日の出来事。そして24日木曜日にはロシアのウクライナ軍事侵略が始まりました。

(…と、ここに最初書いたときにはプーチン露大統領の肩をつかんでゆっさゆっさするくらいの剣幕で五行くらい悪態をついたのですが…削除いたしました。私の言うことでもないかな、と思い直しまして。)

私は政治や世界情勢に関しては浅はかな知識とそれに基づいた単純思考しか持ち合わせていません。勉強不足は承知の上で、今回のことは理不尽だし、あってはならないことだと主張したい。武力行使は、許されることではないんです。

昔仲よくしていたスロヴェニア人の友だちが言っていました。スロヴェニアがユーゴスラビアからの独立を宣言したとき、彼の町の上空にも数日間まるで威嚇するかのようにクロアチアの方角から戦闘機が飛んできていたと。攻撃するわけじゃない。ただ飛んで旋回して戻っていく。それだけでも精神的に参ってしまったと言っていました。
実際数年にわたる紛争を経験した当時十代だったセルビア人女性は、紛争以来、白髪が生えるようになってしまったと言っていました(クロアチア紛争・ボスニア紛争は1991年~1995年、私が彼女と話したのは2005年頃)。

一般の人から普通の生活を奪い、命さえ失うかもしれない危険にさらし、生き残ったとしても心に傷を抱えたまま生きていかなければならない人生を強制する。一体だれがどのような理由でこのようなことを正当化することができるのでしょう。

一刻も早く事態が収束することを願うとともに、ロシア国外に住むロシア国民の方々が不当な差別などを受けないよう祈っております。


一体私はこの記事で何が書きたかったのでしょう?
全然違うトピックふたつを詰め込んでしまいましたが…「日記」ということで。
何にしても感情のままに書き進めてしまった感が否めず、もっと推敲してから公開すべきだなあ、と思いつつ…「日記です」という言い訳のもと、このままにしておきます。


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