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コーヒー豆、カフカ生誕140年に踊る。


なんと豆氏、私のことを家人呼ばわりし始めましたよ…


1883年7月3日生まれのフランツ・カフカは今日が生誕140年。

今年は本屋さんが出した『文学カレンダー』なる卓上カレンダーを使っていて、そのカレンダーでは著名な作家の生まれた日と亡くなった日が記入されています。
この記事を書いている時点では私のところではまだ7月2日なんですが、「明日から新しい週だね」とペラリ。

あ、見ての通り、こちら今週の水曜木曜は祝日です。
夏休み入っちゃってるから、いつもとっても存在感の薄い祝日なんですが。

それでやっとカフカの誕生日に気がついた私。
そうか、それで先週買ってまだ目を通し切れていない雑誌にも特集記事が入っていたのか。

今年一月からちょっと自分でも心配になるほど夢中になって書き進めている長編連載『その名はカフカ』。
読んでくださっている方には明白だと思うのですが、このお話、フランツ・カフカとは直接関係はありません。彼の名前に着想を得たおかげで書いている、という経緯はありますが。長編の中にも、私のロシア文学愛はこぼれ出てきているものの、今のところカフカの作品についての言及はしていません。カフカはまだ日本にいた頃、いろいろ読みましたが…ということは、少なくとも20年は読んでない、ということになりますね…また読み直したほうがいい気がしてきました。

カフカ生誕140年。
コーヒー豆氏においで願わなくても、カフカの大ファンというわけでもない私は連載小説の記事の下におまけで書き添えておけばいいくらいだと思うのですが。
こういう時に限って、次がまだ書けてない。
六月上旬まで週一で投稿していたのに、その後週二回くらいになって、先週はなんと三話も出してしまいました。
おかげでこの7月3日に出せるのがないという。
書きかけてはいますが、まだ公開できる状態ではありません。

しかし、1924年に40歳で亡くなったカフカはこの140年間の三分の一もこの世に存在していなかったことになります。

ここまで書いて、そういえば以前はよく著名な芸術家の年齢を見て震えあがっていたよなあ、と思い出しました。
27歳のころ、エゴン・シーレの展示を観に行って、彼の年表を前に「シーレだったら私、来年死ぬじゃん」と思ったり。
29歳のころ、ストラヴィンスキーが『春の祭典』を作曲したのが29歳の時だったと知って「私、何も世に認められるもの作ってない!」と思ったり。

最近、そういう思考回路になっていないな、と。
昔の自分だったら「わ、カフカより年取っちゃったよ」って思ってたはず。

もうフィリップ・グラスが42歳までタクシー運転手をしていたことを心の支えにしたりはしていません(ちょっと待った、その歳もあと数ヶ月で越えてしまうじゃないか。笑)

精神的に成長したのか、諦めなのか。
何にしても、巨匠たちと自分を比較するなどという畏れ多いことをしない毎日のほうが、心穏やかでより充実した人生になっている気がします。

以上カフカ生誕140周年記念にあたって考えた諸々の覚え書きでした。


この記事をお読みになって、『その名はカフカ』って何だい?と思われた方に、ちょっと宣伝。
現時点で25話書き上がっている連載小説です。まだしばらく続きます。

序章となる短編と第一章『Preludium』が収まっているマガジンはこちら↓

第二章『Kontrapunkt』はこちらに順次収納中↓

自分の壊れかけた日本語を再訓練するため書いている感もあり、書いている本人としては面白いのかどうかの判断も付かず、好みも分かれると思われますが、よろしければ覗いてみてやってください。


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