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その名はカフカ Kontrapunkt 7

その名はカフカ Kontrapunkt 6


2014年6月リュブリャーナ

 ベオグラードでの盗難に関する訪問は、当初ボスのイリヤが予想したほどにはやって来なかった。今では薬物や銃器など、複雑な交渉なしで大金を動かせる売買を中心にしている組織なのだから、当たってもしょうがないと思われているのかもしれない。それでも五月末から二、三の来客があり、毎回スラーフコは立ち会わされたが、スラーフコ自身は何かの役に立っている気が全くしなかった。チェコからの訪問だと言えば、イリヤが説明した理由により立ち会う意義も見出せるというものだが、今のところチェコとはほとんど関わりのない組織ばかりが訪ねて来ていた。イリヤは「今は国境を跨いだ国際犯罪組織も多いんだ、お前が知ってる奴もひょっこり顔を出すかもしれんではないか」と言ってはスラーフコを呼び出した。スラーフコも、一日中ゴランに無駄口をたたかれながら雑用をこなすよりは気分転換になっていいか、とイリヤの要請に応じていた。
 この日はやっとチェコからの訪問だというのに、イリヤはスラーフコに「来たかったら来てもいいぞ」という気のない誘いをかけた。
「ドリャン、この件で私にさせたかったのは、昔プラハでの依頼をしてきた組織の正体を暴くことじゃないのか。今回の訪問はチェコから来た組織だというのに、何だ、その無関心この上ない言い方は」
とスラーフコが聞くと、イリヤは
「マヴリッチ、今回の来客はかなり期待薄だ。その上、下手なことができない相手だ」
と返した。
 件の組織が結成されたのは、スラーフコがプラハを立ち去った後、数年が過ぎてからだった、というのがイリヤが「期待薄」と言う主な理由だった。そして、その組織自体が不可思議な存在だというのだ。彼らは「組織」と呼べるほどの組織というわけでもなく、実質一人の女を中心に数名の部下がいるだけの小さな犯罪グループだと言う。それを聞くと、確かに13年前の組織とは別物のような気がするが、そうすると今度はそんな弱小団体を相手にするイリヤが理解できない。
「それはな、その女自体が大きなカモフラージュだからだ。数人で動いてるように見せかけて、実は女の後ろではとてつもない力が動いているらしい。だが、女が邪魔して見えないようにしているんだ」
というイリヤの説明に、スラーフコはますます混乱した。
「どうしてその女は全てを隠しきれるんだ」
とスラーフコが聞くと、イリヤは
「それが分かったら苦労はせん。とにかく女の影響力は変なところまで広がっていて、下手なことをするとうちの商売に関わる」
とだけ言って、スラーフコとの話を終わらせた。
 イリヤとのやり取りを反芻しながらスラーフコが会見の会場となる地下会議室の点検を終わらせて時計を見ると、午後五時半を過ぎたところだった。来客はもうすぐ到着だな、と思ったところで、イリヤと側近の一人が会議室に入ってきた。目だけで挨拶をして、入れ替わりに外に出ると、廊下にはボディガードのヴクと普段護衛の補佐をしている二人の組織メンバーが立っていた。その三人と挨拶を交わしたところで、ヴクの無線に来客到着の知らせが入った。
 暫くして、守衛の一人が来客二人をスラーフコたちのところへ連れてきて、すぐに引き返していった。来客は三十そこそこかと思われる若い女と中年のガタイの良い男だった。こういう貫禄のある男を目の前にすると、ヴクは図体がでかいだけの少年に見えるな、とスラーフコは思った。愛想の悪い二人で、挨拶らしい挨拶もしないので、こちらも何も言わず、護衛補佐の二人が来客に近づき、ベルト周りと上着の内側の簡単な武装点検を始めた。男のほうはされるがままになっているが、護衛のほうも怖気づいて遠慮がちだ。女のほうは触れられる前に目で護衛を制してジャケットをまくり上げ、ベルトの辺りが見えるようにすると素早く一回転し、「これでよろしいかしら」と凄みのある声で言った。
 二人が武装していないことを確認した後、ヴクは会議室のドアを開けて、二人を中へ促した。今までの来客たちの時と同じように、スラーフコも彼らの後ろへ続いて中へ入った。屋外は昼間の暑さが残っている時間帯だったが、地下にあるこの会議室の空気は冷たかった。ヴクがドアを閉めると、立って待っていたイリヤは女のほうへ右手を差し出し、いつもの調子のいい声で
「お目にかかれて光栄ですな、イリヤ・ドリャンです」
と名乗った。女のほうはイリヤの手を握ると、冷ややかな声で
「レンカ・ハルトマノヴァー。初めまして」
と愛想のない返事をした。
 イリヤは続けて側近を紹介しようとしたが、女は
「それには及びません。こちらは経営者である私以外は全員、名前を伏せております。そちらのお名前も頂かないのが公平というものでしょう」
と言い、続けて
「随分と警戒されていますのね。室内に三人、外に三人。こちらは二人です。せめて室内だけでも人数をそろえるのが道理にかなっているのでは?」
と強い語調で言葉を重ねた。
 イリヤはこんな若い女にこのような高慢な態度を取られたのは初めてなのだろう、一瞬何を言われているのか分からないようだったが、すぐにスラーフコに目で外に出るよう指示した。

 スラーフコが外側からドアを閉めるのを待って、イリヤは来客に椅子を勧め、自身も腰を下ろした。室内の照明はあまり強くしていなかったが、座って全員がほぼ同じ高さになると、顔がよりよく見えた。イリヤは来客の男のほうを向くと
「どこかで、お会いしましたかな?」
と聞いた。男は口の端だけで笑うと
「人違いでしょう。お宅にお邪魔するのは今日が初めてです」
と答えた。そして女の肩に手を置くと
「話はうちのボスを相手に願えますかね。私は単なる付き添いなんで」
と続けた。
 イリヤが女のほうへ視線を戻すと、彼女の射るような瞳とぶつかった。イリヤは無理やり笑顔を作って、話し始めた。
「お尋ねのベオグラードの盗難品ですがね、残念ながら、うちには流れてきていません。今のところ、売りに来た輩もいない」
「これから先、そちらに流れてきた場合は、どうなさるおつもりですか」
「起きてないことは、まだ何とも言えませんな」
「貴殿のお立場からの発言とは到底信じられませんわ。あらゆる状況を想定なさるからこそ、このような大きな組織の頂点に立たれているものだと思っておりましたけれど」
 ない、と言えば「ああそうですか」と言って帰って行くとは思っていなかったが、単に嫌味を言いに来たわけでもあるまいし、とイリヤは返事に詰まった。
 イリヤが黙ったので、女は表情を一切変えずに続けた。
「私の探し物はリュブリャーナにある。それは盗難品で、裏側の人間は今、こぞって手に入れたがっている。にもかかわらずスロヴェニア国内でほぼ最大規模の組織である貴殿のところに何の接触もない。私には信じられないし、本当に今まで何もなかったというのなら、近い将来、何らかの形で関わり合いになると予想するのが当然だとは思われませんか」
 女は一旦言葉を切って、イリヤの顔を見つめた。
「では、もし我々が貴女の探し物について情報を握ったとして、何かご提案がおありなのかな?」
 イリヤの言葉に女は「やっと話ができるわね」とでも言うように口の端で少し笑うと話を続けた。
「私どもに優先的に情報を流していただきたい。ものを手にしなくても、誰かが手元にあることを匂わせてきた、その程度の話でも良いのです。何も契約書にサインしろとは言いません。口約束で充分です。そしてこの件に関する情報、もしくは件の盗難品を引き渡していただけたらば、そちらでお決めになった額をお支払いしましょう」
 13年前のあいつらも、同じようなことを言ったな、とイリヤはスラーフコの一件を思った。
 女はイリヤの顔から目を離さず続けた。
「もちろんお礼はそれだけで済ませようとは思っておりません。貴殿が取り扱っていらっしゃる国外での商談が、より有利に運ぶよう取り計らうことも可能ですわ」
そう言うと、女は微笑んだ。つまり、「私の話に応じなければ、あんたの商売に何をするか分からないわよ」と言いたいわけだ、とイリヤは心の中で舌打ちをし、テーブルの上に灰皿を用意しておかなかったスラーフコを恨んだ。

 訪問先で唯一好印象だった守衛に挨拶をして、レンカとアダムは尾行はされていないとは感じつつも、少し遠回りをして車まで戻った。既に午後七時を回っていたが、この時期のヨーロッパはまだ日の沈む時間帯ではなく、外は明るかった。車に近づく前にアダムは電話に入れてあるセキュリティシステムを開き、不在の間誰も車に近づかなかったことを確認すると、ロックを外してレンカを中へ促した。レンカはこの日は滞在先の部屋に残ったエミルに「今から帰るから」と伝えると、訪問開始から繋いであった通信を切り、車のドアを開けた。車は路肩の木陰に止めてあったので、中はさほど暑くなってはいなかった。
 アダムは運転席に、レンカは助手席に座って、顔を見合わせた。
「いたわね」
「いたな」
「気がつかなかった」
「よな」
「そうよね」
「そうだよな」
そこまで言うと、二人はこらえきれないといった顔で笑い出した。
「私、13年前とそんなに違う?」
「俺は確信があったぞ。奴はそういう目が発達してないってな」
「そんなのでよくプラハまで探しに来たわね。まさか私が今日乗り込んでくる組織のトップだなんて想像もしてなかったっていうのも大きいとは思うけど」
そう、あの頃も全然見えていない人だった、とレンカは13年前を振り返った。彼女が心身ともに壊れてしまった時も、会ってはいたのだ。だがあの男は、何も気がついていなかった。
 レンカはアダムのほうを見直すと
「あのボス、アダムを知ってる感じだったけど?」
と聞いた。
「あの男、サラエヴォにいたんだ。俺たちが派遣されていた92年から94年にかけて、遠目に何回か見ただけだ。話したこともない。そこまで記憶力のいい奴だとは思わなかった」
しかも二十年前って言ったら、俺もまだ二十代の青年だぜ、と、アダムは空を見つめながら付け加えた。
「その頃のアダム、見てみたいかも」
と言うレンカに
「なぜだ?今の俺じゃ不満か?」
とアダムは返すと、訪問前にホルスターごと外して座席の下に隠してあったピストルを取り出し、ベルトに装着し直した。本当に嫌そうに触るな、と思いながらレンカはアダムを観察した。
 アダムが銃器による武装をしたがらず、滅多なことがない限り身につけないのが不安で、レンカはエミルを雇って間もなく、エミルに射撃を始めるよう勧めた。今回はエミルを傍に置けないことが多いから仕方なく、と言うことなのだろう。アダムがなぜ銃器を嫌がるのかは一度もレンカに説明しなかったし、レンカも嫌なものは嫌なんだろう、と理解することにしていた。レンカから積極的に話題にすることもほとんどなかった。
「サシャが昔、アダムはすごく上手いんだって言ってたわ」
思わずつぶやいたレンカのほうを向いたアダムは、
「それは訓練場での話だ」
とだけ答えた。
 実践ではどうだったの、という質問が口から出かけたが、レンカはそれがアダムの一番話題にしたくない話のような気がして、言葉にはしなかった。
 アダムは前方に向きなおりエンジンをかけると
「帰るぞ。エミルが待ってる」
と言った。
 レンカはただ、頷いた。


その名はカフカ Kontrapunkt 8へ続く


『Imitace? Nebo variace?』 水彩紙 20 x 28,5 cm、水彩




【おまけ】
Kontrapunkt第六話のコメントで「登場人物の移動が激しくて混乱する」という貴重なご意見をいただきまして、ここで一度、地図を出しておくことにしました。

今までのお話をまとめると
第一話リュブリャーナ(スラーフコ、ゴラン、イリヤ)
第二話プラハ(エミル、ペーテル)
第三話イフラヴァ(レンカ、アダム)
第四話ブダペスト(カーロイ、男)
第五話リュブリャーナ(レンカ、エミル、アダム)
第六話ニュルンベルク(ラーヂャ、ボス)

これから暫くリュブリャーナが続くはずですが、また頃合いを見て地図を出します。


日本帰省に使わせていただきます🦖