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その名はカフカ Kontrapunkt 11

その名はカフカ Kontrapunkt 10


2014年6月リュブリャーナ

 的が絞れたからリュブリャーナ中に置いている必要のなくなった隠しカメラを回収してくると言ってルツァと共に夜中に出かけて行ったエミルは、朝七時に戻って来ると、そのまま仮眠を取ると言って寝室に引き上げた。
 レンカは「エミルがこんなに働いているのに自分は素知らぬ顔でアダムの指示を待っている」という事実に居心地が悪くなり、エミルが寝ている間に、彼がどのように的を絞っていったのか、前日までのエミルからの経過記録で経緯をさらっておくことにした。
 ダイニングテーブルの上でパソコンのモニターを睨んでいるレンカを、アダムはコーヒーを啜りながら横目でちらりと見て
「何も難しいことではないぞ」
とぼそっとつぶやいた。せっかく自発的に勉強をしようとした矢先に水を差された小学生のような気持ちになって、レンカもアダムを横目で見ながら
「何が?」
と返した。
「盗難物がどこにあるかの見当のつけ方だ」
「難しくないって言うなら、簡潔に説明してみてよ」
「盗難物を探しているかどうかが目安だ。探していれば、持っていないということになる。探していなければ、その盗難物に興味がないか、その盗難物を既に持っているかのどちらかだ。な、単純明快だろ?」
 アダムの説明に、レンカは口を半開きにしてアダムのほうを向いた。
「あいつらが、持ってるの?他に当たったところはみんな、探してたわよね?」
「俺も奴らが一番怪しいと思う。表向きは興味がないように見せてはいるが。他の集団も探しているふりをしているという可能性は捨てきらないほうがいいけどな。唯一探りを入れにくかったところが古株の組織だが、昨日の昼にエミルが戻ってきてすぐに、あそこも探している、と言っていた」
「エミルは、どうやってそれが分かったの?」
そう言いながら、レンカはエミルの経過記録に目を戻した。そこには旧ユーゴ時代からの伝統ある組織について書かれていると思われる項目には
〔古組織 SL 女 N〕
としか記入されていなかった。
「何、これ?」
とレンカが聞くと、アダムは
「知るか。エミルが持ってないって言うんだから、持ってないんだろ」
とだけ答えた。
 今は時間がないから重要ではないところはメモ書きのまま残しておき、後で報告書として清書するつもりなのだろうと思い、レンカは結局、エミルが起きてくるまで他の仕事をすることにした。
 九時半過ぎに起きてきたエミルがそのままシャワーを浴びに行き、さっぱりした顔でダイニングテーブルに座る二人に合流したところで、アダムの電話が鳴った。ディスプレイを見て少し意外そうな顔をしたアダムは立ち上がったものの、その場で電話に出た。
「早いな、もう動きがあったのか?」
「旦那の見立ては正しかった、やっぱりうちのボスが持ってた。しかしね、持ち出されちゃいました。別のところに売りに行くんだと思います。途中で乗り換えるかもしれませんが車のナンバーは控えてあります、写真撮ったんで。どこかで応援が入るかもしれませんが、今のところ二人で動いてるようですよ」
相手のささやくような言葉にアダムが少し眉を寄せて
「どこまで行くかも分かっているのか?あんた今どこだ、迎えをやる」
と言った瞬間に、アダムが椅子に掛けておいたシャツのポケットの中のもう一台の電話が振動しはじめた。アダムはレンカに目で「出せ」と言った。
 レンカはアダムの電話を取り出し、「出ろ」という指示ではなかったな、と思いながらも迷うことなく電話に出た。
「カーロイ?私」
「やあ、レンカ、アダムはいないのかい?これは固定電話ではないはずだが」
「ちょっと待ってね。アダム、他と電話中なの」
そう言ってレンカが顔を上げると、アダムは
「いいんだ、これ以上あんたに動いてもらうと危険だ。その護衛はザグレブから来ている。クロアチアを突っ切るのは庭を走るようなもんだ。世話になったな、ゴラン」
と言って、電話を切った。そしてエミルに
「ルツァのところにザグレブから来ている情報屋がいる。リュブリャーナ駅の裏のコンサートホール前で待ってる男を迎えに行くように連絡してくれ。名簿の写真を送ってやれば間違いないだろう」
と指示を出しながら、レンカからカーロイからの電話を受け取り、再び腰を下ろした。エミルは
「ゴランって、この名字が明記してない若い人ですね」
とタブレットに表示した名簿を見ながらルツァと連絡を取るべく電話を手に取った。レンカは「どの組織の名簿なのか」を口にしなくても話が通じるくらい、イリヤ・ドリャンの率いる組織が黒であるとアダムとエミルの間で当然のことのように認識されている事実に改めて驚いた。まだあの訪問から二晩しか経っていない。自分が遅いのではなく、二人が早すぎるだけのような気がした。
 アダムは乱暴な口調でカーロイの電話に出た。
「何だ、こっちは今から移動で忙しいんだ。早く済ませろ」
「君は相変わらずせっかちだね。ではこちらも余計なことは言わずに簡潔に済ませてみるとしよう。我々の獲物は二つに分かれている。リュブリャーナにあるのが全てではない」
 カーロイの言葉に、アダムは何と返していいのか分からなかった。
「なんで今頃そういう話になるんだ」
「今分かったんだ。ティーナがベオグラードで使っている監視役が連絡をくれてね、盗人たちは盗難品の代価を満足に手にしていないらしく、一味の一人が購入者のところに移動を始めたらしい。だがその目的地はリュブリャーナではない」
 アダムは一瞬黙った後、電話をスピーカー機能に切り替えるとテーブルの上に投げ出した。
「いいだろう、こっちも二手に分かれる。それはどこなんだ」
「クロアチアのリエカだ。ザグレブよりもリュブリャーナからのほうが近いくらいのところにある」
「俺とレンカは今からグラーツへ向かう。リュブリャーナに持ち込まれた盗難物はついさっき運び出されたと連絡があった。情報が正しければ行き先はグラーツだ。リエカにはエミルに行かせる」
 アダムの最後の一言に、エミルは眉を上げた。
「待ってくださいよ、僕は完全に裏方の人間ですよ、一人で何ができるって言うんですか」
「クロアチアに置いている協力者はけっこういる。すぐに応援を頼んでやる。お前なら何とかするだろう」
 エミルは「そんな無責任な」という顔でアダムをしばし見つめたが、すぐに電話のほうに目を落とすと
「カーロイさん、ペーテル君を貸してください」
と言った。今度はレンカがぎょっとした顔でエミルに目をやった。
「ちょっと、何考えてるのよ。やめてよ、あの子を巻き込むのは」
「レニ、あなたはペーテル君がどれだけ悩んでいるのか知らないんですよ。大きな秘密が存在していることは分かっているのに、自分は何も知らされていない。それほど辛いことはないんです。特にペーテル君みたいな人には」
「……あの子に、何を教えるっていうの?」
「僕からは何も。今回一緒に仕事をしてもらって、自分がどれだけ危険なことに首を突っ込もうとしているのかを自覚してもらえればいいと思うんです。ずっと今の状態が続けば、ペーテル君は遅かれ早かれ一人で何かを企てます。そのほうが、レニは嫌なんじゃないですか?」
 レンカは返す言葉が見つからず、黙ってエミルを睨んだ。エミルも何も言わず、毅然とした表情でレンカを見返した。その沈黙を破ったのはカーロイだった。
「ペーテルは成人している。どのような答えを出すのかは本人が決めることだ。彼には私から話そう。エミル君、ペーテルは君の連絡先は持っているね?リエカで落ち合うようにすればいいだろう。あの子のことだから、また列車で陽気な旅をするだろう」
 カーロイの言葉にエミルは安心した表情で
「ありがとうございます」
と返した。
 暫く何も言わなかったアダムが
「話は終わったか?急ぐから切るぞ」
と言うと、カーロイは
「もう一つ伝えておくべきことがある」
と答えた。
「何だ」
「君たちは先月、キツネ面の男を痛めつけたのを覚えているかい?残念ながら、彼は生きている」
そうカーロイが言うと、三人は言葉を失い、テーブルの真ん中の電話を凝視した。それから、最初に口を開いたのはやはりアダムだった。
「それは、無理だろう?どこにキツネ面が転がってたと思う?爆発と同時に燃え尽きてもおかしくない位置だったぞ」
「君の話を聞いて、私もそう思った。だが、運が良ければ爆風である程度飛ばされた可能性はある」
「それで、どうして俺たちは把握してないんだ。情報屋たちは何をやってる」
「あのような辺境の地にはほとんど誰も置いていないことくらい、君はよく分かっているだろう?しかも、君たちがあの時あそこにいたのは誰も知らなかったんだ」
 カーロイの最後の一言に、レンカは自分が勝手な行動を起こしたおかげで今こんな話をしなくてはいけなくなっているのだと、自分自身に怒りを覚え、うつむいた。カーロイはまるでそのレンカの姿が見えているかのように
「レンカ、君が気にすることじゃない。あそこであの男に会っていなければ、今頃彼は元気いっぱいに君のことを追いまわしていただろうからね」
と笑いながら言い、アダムに向かって言葉を続けた。
「確かにあの後どこかに移動したはずなのに私たちの誰にも情報が入らなかったというのはおかしい。問題にすべきはキツネ君よりも、一緒にいた人間かもしれない」
「キツネは雑魚でも、仲間が曲者ってことか」
「今まであんな重傷を負った人間を隠しておけたんだ、一筋縄では行かない相手だろう」
「そもそもお前はどうやって知ったんだ?」
アダムの質問にカーロイは小さなため息をついてから答えた。
「ちょうど君たちがリュブリャーナに入った日に、親愛なる不法侵入者の訪問を受けてね、置き手紙をしていった」
「……それならどうしてすぐ言わない?もう五日も経っている」
「解読するのに時間がかかったんだ」
あいつはなんでこんな大事なことにまで悪ふざけをするんだ、という言葉をかろうじて飲み込んで、アダムは
「これで全部か?切るぞ」
と言った。カーロイも
「そうだな、特に君とレンカは急いだほうがいい。連絡は随時取り合おう」
と言って電話を切った。
 急ぐと言っているのに、三人とも暫く動けなかった。すべてに対して気が進まないといった表情で、レンカが最初に話し始めた。
「どうしてその人、信用できると思うの?」
「どいつのことだ?」
「そのイリヤ・ドリャンのところの、アダムがスパイとして使った人よ。本当のことを言ってるって、どうして分かるの?」
「今、ルツァが裏を取っているところだ。何か不審な点が出てくれば、すぐ連絡が入ることになっている。それに奴は今から俺たちの武装した情報屋とボスニアまでドライブだ。変な動きをすればすぐにこっちに知れる」
「ここはどうします?すべて上手く運んだとして、リュブリャーナに戻って来る必要はありますか?」
 エミルの質問に、アダムは一瞬考えるような顔をしたが
「全部の荷物をまとめるのには今は時間がない。とりあえず必要な物だけ持って、もう一度ここに集合、ということにしておこう。お前、あいつは連れて行けよ」
と言って、エミルのギターケースの形を模倣して作られたライフルケースのほうを見やった。
「もちろんですよ、一番可愛いのを連れてきてるんです」
とエミルがニヤリとして答えると、アダムは
「それは頼もしいな。よし、行動開始だ」
と言って腰を上げた。あとの二人もつられるように素早く席を立った。


その名はカフカ Kontrapunkt 12へ続く


『Cara Kavka, dove sei? Dove vai?』 Bamboo (Hahnemühle) 22x 31 cm、水彩




【補足】
地図です。


豆氏のスイーツ探求の旅費に当てます。