非力な祈りを胸に世界遺産で詠んでみる
らべあろ企画『日本の世界遺産西日本編』に参加いたします。
らべあろ企画ではルール違反常習犯のワタクシ……「と豆氏」、と言わないのは、現在コーヒー豆氏、既に年末年始の数々のイベントの準備に追われているらしく、私のところにいないから。
ということで今回は単身での参加となります。
しかし、ルール違反は健在です。笑
相変わらず「日本のことは分からん」とぼやきながら、私でも分かる、私も行ったことのある西日本の世界遺産、と考えあぐねて(京都に三年住んだことのある人間が何を言ってんだか、なんですが笑)辿り着いたのが、原爆ドーム。
今回のご企画では原爆ドームは既にチズさんが素敵な一句を詠まれていて、私の出る幕ではないのですが、この平和への祈りの象徴である世界遺産を、ちょっと自分なりの視点で深めてみたいと思います。
現在原爆ドームとして知られる建物は原爆投下以前は広島県産業奨励館と呼ばれる建物で、広島県物産陳列館として1913年にチェコ人建築家ヤン・レツル(Jan Letzel 1880 - 1925)が設計したもの。
レツルについては検索してもらえればいろいろ情報は出てくると思いますので、ここでは下手な解説は避けますが、私がプラハに住み始めた頃、骨組みがいかにも原爆ドームと同じだなと思わせる産業貿易省(Ministerstvo průmyslů a obchoduを訳してみた……省の名前として妥当なんだろうか)の建物を見ては、一種の感動を覚えていました。
原爆投下がなければ原爆ドームもこんな姿だったんだろうなあ、と。
この建物はチェコ人建築家Josef Fanta(1856 - 1954)の設計で、1928年に建設開始、1934年に完成したそうです。ドーム状の屋根はぐるっと窓ガラスのような造りです。
調べてみたら、広島県産業奨励館のほうの屋根はガラスではなく銅板だったのですね。原爆投下前の写真と比べると、産業奨励館と産業貿易省の建物はけっこう違った印象を与えますが、やはりほぼ同じ時代のものだということで、共通点の多い造りのようです(建築の世界は全然分からないので、お恥ずかしながら、この程度の表現しかできません。)
で、何が言いたくて長々ここまで書いてきたのかと言いますと、「原爆ドームから発想したけど、原爆ドーム自体を正面から詠んではいないのだよ」ということです。
なんてったって、常習犯ですから……。
そして、まるで平和への道のりを一歩一歩後ろに下がって行っているように見える昨今の世界情勢、非力ながら何らかの形で平和への祈りの気持ちを表したいと思いまして……結果的に、祈りの句にはなりませんでしたが。
では、世界遺産で詠む拙句、こちらになります。
丸屋根の記憶なぞりて露凍る
(まるやねのきおくなぞりてつゆこおる)
ラベンダーさん、Alohaさん、今回も素晴らしいご企画をどうもありがとうございました。
日本帰省に使わせていただきます🦖