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11月17日という日のとりとめもない覚え書き

ここ数日プラハもかなり冷え込んできて、週末の最低気温は-5℃なんて予報も出ている。

チェコでもスロバキアでも11月17日は祝日である。

何の日かと言うと「Den boje za svobodu a demokracii a Mezinárodní den studenstva(自由と民主主義のための戦いの日と国際学生の日)」。

今では1989年に共産主義が崩壊したビロード革命が始まった記念日として有名だが、もともとは1939年、ナチス政権によってチェコの1200人もの学生が強制収容所に送られ、その他大勢の学生が大学で学ぶ機会を奪われた日で、その二年後の1941年に「国際学生の日」に指定されたそうだ。

1989年11月17日にビロード革命が始まったのも、その1939年の出来事と無関係ではなく、その国際学生の日の50周年を記念するという形で、現状を覆すべく大規模なデモが行われ、結果、共産政権が終わりを迎えた。

とはいえ、これはその日を記念していきなり始まったというよりも、同じ11月上旬のベルリンの壁崩壊や、その他周囲の共産国での動きもあり、その11月に革命が起こることは必然だったのだろう。

去年、『Listopád』(Listopad は11月の意で、pád(落下)という言葉と掛けている)という小説が出版されたのだが、「もしあの時、共産政権が終わらなかったら」というフィクションで、残虐すぎる冒頭で読み進められず、残念ながら完読することなく売ってしまった。


…と、ここまで書いてきて何なのだが、この記事は歴史の豆知識的な話をしたいわけでは全然なく、非常に個人的なことをタラタラ書きつらねてみたいだけである。
祝日だから、こんなどうしようもない記事を書いている時間があるのだよ、ということを伝えたいがために、前置きが長くなってしまった。


先週末、久しぶりに、六年ぶりくらいにアクリル絵の具で絵を描いてみた。正確に言うと、「描きはじめてみた」。

2015年までの数年間、私はすごく熱心にアクリル絵の具で作品を制作しており、その間にそれまでの人生で「どん底」と名付けられるものがあるのならこのことを意味するのだろうと思うような時期があった。
八方ふさがりのような状態からやっと水面から顔を出して呼吸をし始めたのが2015年で、その時描いた一枚の絵がきっかけでぱったりアクリル絵の具での制作をやめてしまった。

その後一年間くらい、たまに「もう一度描いてみよう」と思い挑戦するものの、自分の絵が「何も言っていない、何の意味もない」ものに見えて、筆が握れなくなった。

並行して鉛筆やボールペンの線画の時期を経て水彩画で色の世界に戻ったのだが、アクリル画に戻ろうとは思えなかった。

一カ月ほど前だろうか、ふと「今アクリルで描いたら、何かが違うかもしれない」と思い数色買い揃え、やっと先週末取りかかった。

しかし下地を塗った時点で「これはダメだな」と思った。
色がドロドロしている。
それでも出してしまった絵の具がもったいないから、と更に色を重ねる。
にゅるっと無表情な人の顔のようなものが現れた時点で、完全に進めなくなってしまった。

久しぶりすぎて何をしたらいいのか分からなくなっているのか、苦しかった時期に使っていた画材だからそれがトラウマになっているのか、正確には分からないが、とにかく今の私が使うべき画材ではないことは明白だ。

当時のアクリル画は個展をしたこともあって、かなりの量が額装されていて、現在我が家のいたるところに飾ってある。
それを見て、苦しくなることはない。
ただ、今の私が同じものを生産する必要はないのだ、という思いがあるだけ。それを再確認するために「また描いてみようかな」などと思ったのかもしれない。

ここ数年の自分は常にいろいろな画材を行ったり来たりしている気がしていたが、実は私の選択肢はある程度固定されてきているのかもしれない。

それでいいと思う。
無理に「これが私の個性だから!」と狭まった世界に固執することはないが、逆に「私、何でも使いこなせるんだから!」と見栄を張ることもないのである。


実は新作のペン画をお披露目しようと思って書き始めたのだが、こっそりアクリル画にも再挑戦していたんだよ、ということを書き残しておきたくなってしまった。

ということで、新作です(無理やり丁寧体に戻ってみました。笑)


『Svoboda v kleci (鳥籠の中の自由)』Gペン、墨液 19,5 cm x 29,5 cm

民主主義国になって自由を勝ち取ったかに見えても、現在のチェコでは現政府への不満は募るばかり。今日のような国を象徴する祝日には大きなデモが予想されるので、プラハ中心街には近寄りたくありません。
最近はインフレや資源問題等で反政府のデモが頻繁に行われていますが、それを運営しているのが親露(というより親ぷうちん、か)の組織だとかいう話で、世の中が変な方向に流れていかないことを祈るばかりです。

「自由」とはいっても、どこまも制限された世界でのことなのだなぁ、私たちは人間社会とか、はたまた地球という「鳥籠(制限)」からも解き放たれて自由になることはできない。そんな思いから制作した新作です。
それが悪いとも思いません。今いきなり月におっぽり出されても困りますし。要はどれだけ大きめの鳥籠にするのか、ということかな?

…タイトル通り、本当にとりとめがなくなってきたので、この辺で。


私がどのようなアクリル画を制作していたのかご興味をお持ちの方はこちらからどうぞ↓



豆氏のスイーツ探求の旅費に当てます。