- 運営しているクリエイター
2020年12月の記事一覧
イタリアで習得した「1日で高速道路1,000kmを楽に走る」コツ
世の中、コロナ禍で人との接触を減らす取り組みが求められていて、やむなく出張や帰省される方は、クルマでの移動を選択される方が多いのではないでしょうか。
いまから20年以上も前の話ですが、30代のときに、会社からの転勤命令により、5年間イタリアで生活しておりました。
仕事の都合上、イタリア国内をクルマで移動することがとても多かったです。
電車ではムダな待ち時間が多かったことと、イタリアでは高速道
「途上国への転勤」という会社の命令を受けたときに考えてほしいこと
日系企業が海外に現地法人を設立すると、たいていは日本から何人か駐在員が派遣されることになります。
派遣された駐在員は、現地のその会社の所在地近くの都市に住まいを構えて数年間を過ごします。
その住まいを構えた都市が、ロス・アンジェルス、ニューヨーク、ロンドン、パリなど、
大都市で、
安全で、
現地の食事が日本人にマッチして、
気候が良くて、
日本の食材が何でも手に入って、
日本人学校が近くにあって、
「アントレプレナー」という言葉を思い起こさせる企業人
(前号につづく)
大手の自動車会社に就職した私。
この自動車会社は、海外展開が他社よりも先んじていて、私は海外でバリバリと活躍する自分の姿を夢見てこの会社を選んだ。
入社後、本社財務部に配属になり、ルーティン業務に縛り付けられ続け、希望していた海外駐在の命が下りるまでにはなんと10年もの時を要した。
気がつくと、というか当然ではあるが私は32歳になっていた。
駐在先はイタリア。
当社は4輪
「おい、オレの命令が聞けないのか!」と現地法人の社長に怒鳴られた・・・・けど
(前号からつづく)
日本を代表するエクセレントカンパニーであり、日本の産業をけん引する大手自動車メーカーで働いていた私は、入社10年目にしてずっと希望していた海外駐在のチャンスを得た。1992年1月だった。
ただし、駐在先はイタリアのド田舎の二輪車製造販売会社。ローマから東へ250km走り、途中3000m級の山脈を越えた先のイタリアの僻地だった。もっと言うと、東京青山の本社高層ビルで10年を過ご