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2020年11月の記事一覧
Job Rotation て、個人にとっても会社にとっても大事なこと、だと思ってた
(前号からつづく)
東京・青山に16階建て白亜の高層ビルを構えている大手企業に勤務していた若者が、初めての転勤でイタリアのド田舎の町へ。
二輪車を生産している小さな生産拠点で、規模はせいぜい年間2万台。ということはざっくりいうと、1日に10台程度。
まるで地球の果てへ左遷されたような気持で打ちひしがれた私。
32歳の私は、10年間青山本社勤めをしてそれなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ会社の
南イタリアの片田舎の小学校は、オドロクほど「無いないづくし」!
(前号からつづく)
20数年前、南イタリアの、それもアドリア海に面した東海岸沿いにある小さな田舎町に住むことになった。まさか日本を代表するエクセレントカンパニーに就職したのに、こんなところに転勤することになろうとは、まったくの想定外だった。
なにしろ、町で出会うのはイタリア人オンリー。世界のどこへでも出かけて行って住みついてしまう中国人すら見かけない純粋イタリア田舎町だ。
そんな田舎町に、日
南イタリアのド田舎へ転勤 社食の Spaghetti al Pomodoro が・・・
(前号からの続き)
1992年1月のこと。海外出張の経験もないマルドメ(まるでドメスティック)な私が、32歳で東京青山の本社からイタリアのド田舎へ転勤。初めての海外駐在。
ランチャーノという人口3万5千人の田舎町に、ホテルはひとつだけ。選択の余地なくチェックイン。
10階建てのビルの外観はホテルには見えず、長年外壁補修もしていない古ぼけたアパートのよう。
たしかに見かけ通りで、6階まではアパ
赴任先のオフィスは、ローマから250キロ、雪をかぶった険しい山を越えた先のド田舎にあった
1992年1月。
モスクワ経由ローマ行き、JALのB747ジャンボジェット機。
ソ連(まだロシアではない)が定めたルールにより、シベリア上空を通るフライトはモスクワ空港でのワンストップを強制されていた。
乗客はモスクワ空港でいったん機外へ降ろされ、薄暗いターミナルのなかの売店が並ぶ狭く短い通路を行きつ戻りつするしか時間のつぶしようがなかった。
海外出張の経験すら一度もない、そして「マルドメ(まる