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南イタリアの片田舎の小学校は、オドロクほど「無いないづくし」!

(前号からつづく)

20数年前、南イタリアの、それもアドリア海に面した東海岸沿いにある小さな田舎町に住むことになった。まさか日本を代表するエクセレントカンパニーに就職したのに、こんなところに転勤することになろうとは、まったくの想定外だった。

なにしろ、町で出会うのはイタリア人オンリー。世界のどこへでも出かけて行って住みついてしまう中国人すら見かけない純粋イタリア田舎町だ。

そんな田舎町に、日本から妻と子供3人を連れてやってきた。

長男はちょうど小学校入学の年齢。
こんな田舎町なので、日本人学校はもちろんのこと、インターナショナルスクールも当然、ない。イタリア人が通う現地の小学校へ行くしか選択肢はない。

家族は私に遅れること3か月、4月に渡航してきたが、ご存知の通り、ほとんどの外国では9月入学で、イタリアもしかり。
長男は、渡航した4月から小学校入学の9月なかばまで、5か月半も学校へ通わず、毎日、家でぶらぶら。入学準備のため多少イタリア語を自習していたものの、学校が始まらなきゃ勉強にも身が入らない。

南イタリアの春は短く、5月には眩しい日差しが照りつけ、鮮やかな花が咲きほこる。そして6月には真夏が訪れる。
妻は、毎日のように3人の子供を連れて、アドリア海で海水浴。

こんなに毎日、アソビほうけていていいのだろうかと親は心配になるが、子供たちはノー天気。

そして、日が短くなり始めたころ、9月の入学を迎える。

初日。
妻は、大きすぎるリュックを背負った長男を連れて、教えられた教室の前に行ってみた。
事前に挨拶だけはしていた担当のアマーリア先生が迎えてくれる。他の先生たちもやってきて、握手してくれる。
妻は、「ボンジョールノ(こんにちは)」と「ピアチェーレ(初めまして、どうぞよろしく)」しか言えないので、思いっきりにこにこしながら繰り返す。

始業のベルがジリリリと鳴った。長男は先生に連れられて席に座る。当たり前のことかもしれないが、彼以外は全員イタリア語で話すイタリア人である。今日1日ひとことも聞き取れないかもしれない。そばについていてあげたいけど、何の役にも立たないだろう。それにこの後、妻は次男を幼稚園に連れて行かなければならないのだ。「こんな状況に置いてごめんね。でも何とか道を切り開いて」心の中で妻は祈った。
もう一度手を振ってから校舎を出た。

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入学式はなかった。校長先生のお話も記念写真の撮影もなかった。ただ担任の先生が長男の名前を呼びながら頭をなでて迎え入れてくれただけだった。

学校の様子がいろいろわかってくると、無いものはこれだけではなかった。
とにかく、日本の小学校にフツーにあるものが、ここにはことごとく、無い。

まず、入学式だけでなく、卒業式もない。
職員室がない。担任の先生は朝、登校すると生徒と同じように直接教室に入る。帰りも子供たちと一緒に、そして同じ時間に教室から下校する
しかも授業は午前中で終わりだ。(正確には13時15分)

先生も家に帰って、家族の昼食の準備に取り掛かる。イタリアの昼食は一家団欒のいちばん大切な食事だ。
学校に残って翌日の授業の準備やテストの採点などしている場合ではないのだ。小さな田舎町なので、大人たちは商店などの自営業か公務員が多い。おとうさんもおかあさんも昼にはいったん家に戻って、家族と一緒に食事をする。そのあとは、家族そろってシエスタ(昼寝)。夕方4時ごろまで町中がシエスタ。静まりかえる。

小学校の「無いないづくし」に話を戻そう。
午前中で授業が終わるので、給食はなし。
掃除なし、部活なし、筆記テストなし、職員会議なし、PTAなし、学校行事ほとんどなし
校庭がないだからなのか、全校生徒集会もなし。必然的に校長先生のお話を全校で聞く機会もない
科目で言えば、図工、家庭科、音楽、保健、すべてなし。そういうことは学校で教えることではないらしい。
体育の授業は週に一時間あるにはあったが、跳び箱やら鉄棒やらマットなどはなし。簡単なゲームや体操、サッカーやバスケットボールのまねごと。そんな程度。

学校が午前中で終わるため、午後に習い事でそれぞれの才能を伸ばしているのだ、と聞いたことがあった。

学校で学ぶのは本当の基礎だけ。学校以外の時間で、得意なこと、好きなこと、やりたいことを伸ばしていく。私の想像だが、苦手なこと、あまり好きではないことまで、「みんなと同じようにできなければ」「がんばらなければ」と思わないのだ

家庭へのお知らせプリントも年に2,3枚ほどしかない。学校行事がほとんどないので、お知らせプリントの必要がない。

逆に、日本にないものもあった。「宗教(イタリアではキリスト教)」の授業だ。
日本でもカトリック系私立の小学校で宗教の授業があるかもしれないが、ここではカトリックの本場イタリアで宗教の授業を受けるわけで、ある意味大変貴重な経験といえる。
とはいえ、小学生の長男がイタリア語で宗教の授業をどこまで理解できるのか大変疑問ではある。
理解できるかどうかは別にして、先生からは「おたくの子どもさんはブッディスタ(仏教徒)だと思うから、望まないならこの授業は受けなくていいのよ」と説明された。
カトリックに興味のある大人の日本人からすればこの授業は垂涎の的であろうが。

この「無いないづくし」の教育環境の下で、しかもイタリア語ですべての授業を受けることになった長男は、今後どのような人生を過ごすことになっていくのか、親としては恐ろしくて想像することを避けていた

ひとりイタリア人に交じって学ぶ7歳の長男に対して、自分以上に生きるチカラ強さを感じたのであった





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