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バタフライ・ソウル 1

~故・元国会議員の新井将敬氏の従兄弟と27年同棲していたゲイの一生~


ハレモノ

 南西の風が山から降りてきてざわざわと入ってくるけれど窓は十五センチしか開かない、ここは精神科病院の個室の窓辺。
どの部屋も廊下の窓ですら十五センチしか開かないのです。
自傷行為防止の為ではありますがやはり閉塞感は否めません 病院は対岸の陸地から電動ボートでの定期便でしか渡れない場所にあり、部屋の窓から山の蠢きや鳥の鳴き声、雨の音…聞こえる音はありますが私には特に何の音色にも感じることはありません。

海側の窓から目に映るものは波の飛沫か、自分の世界を飛び続けるしかできないカモメか山から時折降りてきて食べ物を漁る貪欲な猪か鹿ぐらいです。

 この島の病院にはたくさん彷徨う人が纏まっています。なかでも何も持たない人も居て何処に行けばいいのかすらわかっていなくてここに居る人もいます。
みんな、まだ夢を持っていたり今も尚過去に囚われていたり、患者それぞれですが本当の事を知らないのは本人達だけなのかも知れないのです。

 島のほんの少しの平地に建てられた病院はその昔、本当の精神病院だったらしいのです。今は精神科、内科、歯科の一般的な病院に建て替えられていますが子供の頃によく聞いた精神異常者収容施設、いわゆる「キチガイ病院」の名残りはこの島のあちらこちらで微かに漂っています。
私も自身のハレモノをスーツケースと一緒に抱えて島に足を踏み入れた瞬間に何とも言えない人間の業の魂の気配を感じました。

 
 私は精神障害(鬱病)という名目で入院に至りましたが、他の患者さんを観察していると毎日朝から晩まで同じ壁面だけをずっと見つめて一日が終わったり、天井の染みや造形を色んな意味に創りあげて言ってみたり…
突然ヒステリックに叫んでみたり、雨の日には外を見ながら窓辺でずっと泣いている人もいます。ここには色んなハレモノを抱えている人達が頭や腰、背中から注射針を刺して何かを抜いてもらい毎日をどうにか過ごしている様な人が多いのです。

 対岸から船に乗って入院してから3カ月が過ぎましたが、私の頭の中には今だに何故 ここに居るのだろうと考えてしまいます。時間と空間は余るほどあるのでこの機会にかなり昔に遡って自分の業の成り行きを思い出して書いてみようかと思ったのが切っ掛けです。私のようにゲイで悩んだり患っている多くのマイノリティーの人達の為にも。

ただ回帰して言葉で表現しても私の現在を考えるとそれはそれは小さな虫の脳味噌を搔きまわすようなもので他人が理解してくれるとかは全くと言っていいほど無いに等しいと思います。

 
 孤独には強いと思っていた私は周りの知人や他人、心療科の先生そして身内にさえ相談したり話には出さなかったのです。
ただ、強がって生きて来たものの本当の孤独になるまでは、逆に自分の自由な時間が欲しかったり、欲しいと思った想い人もいた時期はありましたが相方との二十七年の暮らしは表裏一体で楽しかったり憎んだりそれは本当に大変なものでもありました。
悲観的ではない切なさは失ったモノを想い出させるものです。

相方がなくなったのがリオ五輪開催式の2日後でしたので没後六年以上経ちますが、二十七年連れ添った相方との死別と相方の親族との絡みに絡まった話までもがここにはあります。

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