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AIは香辛料みたいな存在だと思っている【ChatGPTビジネス論】

ChatGPT、Stable Diffusion、Bard、、、

これらの言葉を聞いて頭を抱えている人はいるのではないだろうか。実は筆者の私もその一人である。それがあるのにどう使えばいいのかまだ分かっていない。うまく使えていないのは理解しているがこのままでいいのか、手放したほうがいいのかわからない。こういう状況である。

AIとは距離をとるべきなのか?

非常に便利なAIだが、同時に危険な側面も兼ね備えている。それは他人に対して凶器になるならないということではなく、自分に対して、よく言えば、自分のモチベーションに対して凶器となりうるのだ。

ライターとして文章を書いていると、どうしてもテキスト生成AIが驚異的に見えるときがある。それは非常に高性能なのはわかっているうえに、すべての文章をAIに任せても十二分に評価されている事実がそこにあるからだ。しかし、すべての文章、とりわけブログやメディア記事がAIのみで執筆されているというわけではない。

AI利用は確かに重要だが、同時にどこを利用しないべきか、という点を理解しておくのはそれ以上に重要である。

使いすぎてはいけない

AI利用は確かにファンタスティックなものだが、それは本当に一瞬で刹那的、そして工程全体のほんの一部であることが現実だ。おそらく、今後AIが仕事で利用されていく頻度は高くなっていくだろうが、それはアウトプットのクオリティが損なわれない程度の比率に保たれている条件の下でだろう。

つまり、あほみたいにAIばかり使っていてもクオリティや信ぴょう性に難が生じる以上は使わないほうがましであるということだ。そこまでリスクを負うのであれば稚拙かもしれない自分の腕に任せるほうがまだマシである。

AIはまだ刺身とシャリそのものの代わりとして旨さを発揮しているわけではなく、刺身やシャリにあうショウガの代わり、としてくらいにしか存在感がないのが実際のところであり、業務すべてがAIにもっていかれることはないだろう。

例えば、今行っている仕事の工程が増えまくって10倍になったとしよう。その際、AIの任される範囲も同様に10倍になるが、それは全体のほんの一部である。こういう意味では、AI利用はますます活発になるといえるものの、それが全てを覆うということはない。もしもAIで仕事が奪われるという恐怖を感じているならば、最も警戒すべきなのは「AIを使い過ぎてしまわない」ことだろう。

具体的には?

では、ショウガ的存在であるAIは具体的にどういう利用法がいいのか?例えばイラスト生成AIで何かしら作るとして、何もアイデアがなかったら同じようにAIで絵を生成しているイラストレータのイラストを見て何か考えるかもしれない。しかし、その時点でAI利用の本質を見誤っている。

アナログで絵を描いた上でその仕上げをAIで行う、もしくは発展をAIで行う分にはいいかもしれないが、フル工程・1種類のAIでの作業というのはどこか問題が生じるだろう。

理想的なAI利用は「AIを使っても作業量が変わらない」作業での利用だと考えている。もしも、AIのみで完結してしまうアウトプットがあるとしたら、それに意味があるのかどうか吟味する必要が大きくなってくる。

カレーを作る

AIをショウガや香辛料に例えれば、とは言っているが、それは弱いAIが注目されつつある今だからかもしれない。何に特化しているAIなのかを見極めることは、そのスパイスが何なのかを理解しているかどうかにも匹敵している。

最終的には、どのスパイスを合わせれば最高のカレーが造れるのか?を考えるかの如く、どのAIを使えば最高のプロダクトになるのか?というAIポートフォリオ的活用をするか、アナログがベースでAIがスパイスといったような使用にするかのどちらかになると思っている。

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