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パイオンの話(1). noteも再開してみます.

2020年の大きな大きな節目の年を乗り越えて、ようやくここまで漕ぎ着けて来た旅路もいよいよ次なる目的地へ向かって帆を立てる時が来ています。

コロナ禍の中で一本だけ書いたnoteもあらためて備忘録的に再開してみようかと思います。
ちょっと懐かしい思い出話も含みますが、今日のテーマは「パイオンの話」その誕生の瞬間について。


2020年の春分は世界中に広がり始めたコロナパンデミックがNew Yorkで爆発的に広がる、まさにその分岐点でした。
その分点の瞬間に誕生したのが「PION(パイオン)」です。

話はそこから一気に遡って2006年。
パリでスクアット(不法占拠)生活をしていた頃に同居人の彫刻家に連れて行かれたTEKNIVALというヨーロッパ最大のフリーフェスティバルで、人類が生み出したありとあらゆる享楽の世界と、その喧騒を覆い包む大平原の静寂と闇の世界との境界に立つ自己を認識した瞬間。その時に天啓のように降りてきたのが「PION(パイオン)」というコンセプトでした。
当時はまだ、その言葉を見出しておらず、アンダーグラウンドな表現の世界にいてdrumnohito(ドラムの人)名義でノイズミュージックなどをやっていたことから「倍音(ばいおん)」という現象をこのコンセプトに充てて「バイオン理論」と表現しはじめていましたが、ちょっと違うなと違和感も持っていました。

また、同じタイミングで得た閃きの中で、現代では遠く分断されている「アート」「科学」そして「宗教」という三つの営みが、元々は自然を理解するための切り口の違いとして一つのところからスタートしていたはずで、今一度そこへ立ち返るビジョンが必要なのではないか。そのような着想が生まれていました。


「宗教」については元々学生時代から関心があり、色々と親和性の高いものを持っていました。ムサビの卒業制作は公式には廃材を使ったマシーンを提出していましたが、大学時代にずっと描き進めていた作品は「TVだけが僕らの宗教」というタイトルの油絵です。ここには幼少期のTVヒーローやタレントと共に新興宗教の教祖や精神世界の超能力者の肖像がごちゃまぜに描き込まれていました(つまりサブカルと超科学雑誌「ムー」的な世界観ですね)
この一枚の油絵を木枠から剥がして丸め、名刺代りにバックパックに突っ込んでフランスにぶらりと出ていったのです。


パリ20区にあったスクアット(不法占拠)Le Carrosseに鳥小屋のような自室を作ってもらって生活する20代の著者。野村康王人(やすおうじん)と名乗っていた。持参した油絵もここで加筆していたが、最後は全てを捨てて逃げるように帰国したため、その油絵もこの施設も当時同居していたアーティストたちも行方知らずのまま。

アートの歴史と宗教の関係は、特にヨーロッパでは大きな結びつきがある上に、西洋社会の基盤を成しているので、かなり不可侵で重いテーマを孕んでいる。その意識から、まずは門外漢だった「科学」にまっさらな関心を寄せてみることにしたのです。

それまで絵しか描いておらず、ろくに学校の授業も受けずに本も読んで来なかった人間でしたので、「科学といえば」→「ノーベル賞」→「ノーベル賞で日本人といえば」→「湯川秀樹」→「湯川博士の理論とは」、、、
そんな感じの連想ゲームでWikipediaを調べていきました。

そこに書かれていたのが、湯川博士のノーベル物理学賞を受賞した理論が「π(パイ)中間子理論」という原子の中の未知の粒子を予言した論文だったのです。
湯川博士は原子を構成する陽子と中性子がどういう力で結びついているかに関心を寄せ、そこにはその二つを繋ぐ未知の粒子「中間子」が存在するのではないか?その粒子を「π(パイ)中間子」と名付けたというのです。
英語で表記すると「Pion(パイオン)」だと。

そう「バ」ではなく「パ」なんだ!

私が直観した二つの世界の中間をなすところ、ある極と極の間(あわい)にある実在。そのようなビジョンにこのパイ中間子理論はとても近い根っこがあるように感じたのです。
そこからこのコンセプトを「パイオン理論」と呼んで作品を少しづつ作りはじめたのでした。


(つづく)


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