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担当者レポート③


どうも小川です。
6/27、第3回G7教育大臣会合富山県委員会の総会をもって委員会が解散、長い様で短い、嵐の様なひと時を終えました。


富山県庁でG7チームが立ち上がったニュースを耳にしたけど、自分とは縁のないニュースだと思ったのも束の間。
出勤後、折り返しの電話の対応をしていたところ、いつもは温厚な上司が見たことない顔で後ろから自分の肩を叩き、係長と共に会議テーブルに呼び出されて見せられたメモには「G7」のふた文字。


前年にワクチン応援で係員1人を別チームに連れてかれて激務に追われた記憶を走馬灯の様に思い出して「またか。今度は係長か。」と心の中でつぶやいたのが9/27。
その直後に自分と判明。


「10/1から県庁か」とドキドキしながら内示を受けるも、「とりあえず事務的な手続きが終わってから体の移動はもう少し先で」と言われ、周囲から「異動するする詐欺だ」といじられながら過ごし、10/20をもって県庁に出向しました。


そこから先でやってきたことは、これまでののレポートの通りです。


県庁内外、民間の人も含め、ネットワークが広がったこと、特に市役所関係はというと、いく先いく先には必ずと言っていいほど可愛がってくれた先輩たちが待ち構えていてものすごく心強かったこと、改めて仕事は「人」だなと、たった9ヶ月でしたが、そう感じた刺激で濃厚な時間でした。


正直なことを言うと、今は県市共にトップが変わったものの、一般的に県庁と県庁所在地自治体なんて仲が悪いってよく聞くし、「前回も中々大変だったらしいから身体壊すなよ〜」とか会う人会う人に言われてたけど、入ってみたらメンバーみんな良い人たちばかりで、仕事しやすい環境だったと思います。


よく、協力して取り組んだ関係とかを、背中を任せて〜とか表現することがあるけど、チーム内の縦割りがなく、お互いの特技や経験値を活かし合った即興ジャズの様な関係だったんじゃないかなと。


以前、ある機会に自分の仕事における考え方やスタンスについて話すタイミングがありました。


「強いて言えばWin-Winかな」


無意識に出てきた言葉だったけど、よくよく思い返したら、
「この選択は県にとって市にとってWin-Winなのか」
「国にとって富山にとってWin-Winなのか」
「石川にとって富山にとってWin-Winなのか」
「あの人にとってこの人にとってWin-Winなのか」

その結果、これでもかというくらい若い人の関わりを増やし続け、これでもかというくらい富山のガラスの歴史、文化、取り組みをPRし続け、これでもかというぐらい富山の人にとって工芸が身近にあることを刷り込んで、メモリアル展示企画もこれでもかというくらい関わった施設をフル活用して、これでもかというくらい最後の最後まで楽しみながら打ち込めた。

多様な人の立場に常々立ちながら、Win-Winを突き詰めた9ヶ月でもありました。


先日の委員会で知事や市長から「なんとか無事終わった」と安堵の言葉を挨拶の中で話されたところ、顧問の方からその言葉を上書きするかの様に「これだけたくさんの子ども・若い世代が関わって、細部の細部まで富山のアイデンティティを盛り込んで、これは無事終わったと言うレベルを遥かに超えている。大成功だ。」とありがたい言葉をいただき、ようやく肩の荷が降りきれるような、なんとも言えない気持ちになりました。



余韻に浸りすぎるのも良くないです。
頭を切り替え、次のミッションに向けてまた一歩ずつ進んみます。


県庁に出向したひと時は、自分が学生時代に学んできたデザイン思考とデザインの基礎知識、行政の立ち位置などの活かし方を身をもって感じ、行動で示せた期間になったと感じています。



そしてようやく先日、戻りの内示をいただきました。
富山県庁での任務を終え、7/1から元々在籍していた広報課に戻ることになりました。
引き続き、シティプロモーションのプロジェクトを担当させていただくことになります。


半端なタイミングで戻ることになりましたが、とりあえずやらないといけない事はたくさんありそうです。

7月以降も引き続き、「Win-Win」「とりあえず二兎を追う」「最大公約数からの上振れを狙う」を座右の銘に仕事もプライベートも頑張ります。


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