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大人数の飲み会の楽しみ方ってなんだろう

そこそこ大人数の飲み会に行ってきた。人数は15、16人くらい。本当の大宴会ではないけども、自分の参加する飲み会の中では規模が大きいほうだ。

自分は、「飲み」の人数は少なければ少ないほどよいと思っている。尊敬する格ゲーマー、ウメハラが「参加者が4人より多い飲みは飲みと思ってない」なんてとがった主張をしていたけども、気分は同じ。大人数になると、「飲みの楽しさがある」というよりは、「開催することに意味がある」になると思っている。

もちろん、そういった飲み会の大切さは分かっているつもりだから、参加はするけども、自分がお酒の場で求めているものとは少し違う。


情報量がない

大人数の飲み会の印象って、端的にいうとこれな気がする。自分の中で「飲み」というのは、その人の仕事だけじゃ知れない面を知ったり、新たな考え方を得たりするもの。つまるところ、何かしら自分にとっての新たな発見をする場。

しかし、大人数の飲み会では、新たな情報を得る機会は非常に少ない。話題もコロコロ変わるし、なんなら席替えというイベントのせいで話す人すら変わっていく。

速いテンポで回っていく話題に、素早くレスポンスを返し、次の話題へとつなげていく。パーソナルで深い話題に入ることよりも、その場全体を盛り上げる方向に人々は優先して行動していく。ある程度その場は楽しいが、家に帰ってみて、今日の飲み会で何を得たのだろう、となってしまうのだ。

もちろん、たまにならこういう飲み会もよい。昔の友だちとの飲み会とか。思い出話に花を咲かせ、過去を懐かしむ。得るものもないが、その場は楽しい。そんな時間も必要だ。ただ、そんな飲み会は年1でいい。


打開策なし…?

これに対する打開策を色々と考えてみたのだが…見つからない。周りの話題をぶった切って、少人数でコンコンと深い話をする?そんなKYなことをするくらいなら、別で企画して少人数で飲んだほうがいい。興味がある話題が出ても、わりとすぐに次の話題になってしまうし、そこを無理に引き止めると空気が壊れる…

うん、やはり大人数の飲み会でこうした成果を求めるのが間違っているんだな。ただ、会話をしていてシンパシーを感じる人は時たま遭遇する。この人と深い話をしたらおもしろそうだぞ、と自分の感覚が教えてくれる人がいる。そうした人を見つける場所として活用するのはアリかもしれない。

次に繋げる場として使うのが大人数飲み会の最適解かもしれない。飲み会に出席するやつ、というイメージが付けば、色んな飲み会に誘ってもらえるし。イマイチすっきりしない回答だけども、自分が大人数の飲み会を好きになれない理由と今後のモチベーションを見つけられたので、ヨシとしよう。


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