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舞台で「演技の迫力」というのを体感した話

先日、舞台を見に行った。俳優の安田顕さんが企画・プロデュースする芝居「死の笛」。

TEAM NACS公式サイトより

なんと、キャストは安田顕・林遣都のみ。たった2人だけで演じられる2時間。どういうストーリーになるのか、というのも気になったけども、それ以上にそんな長時間「同一人物の芝居を観続ける」という体験が人生初。見終わったあとにどんな気分になるのだろうかというのが一番の興味だった。


鑑賞後。この2時間はどういった時間だったかを端的にいう。初めて「演技の迫力」というのを感じられた時間だったような気がする。

ここでいう「演技の迫力」というのは、「迫力のある演技」ではなく。怒るとか、号泣するとか、そういった迫力を感じる演技というのは、今までいろんなコンテンツで感じてきた。

そうではなく、「演技する」という行為自体から感じる迫力。そうなことを感じることができたのだ。ネタバレになるから詳しくは書かないが、ラスト数十分のシーンで。


これは、小さい劇場で、役者と同じ空間で同じ空気を吸いながら鑑賞できたというのもあるだろう。リアルだからこそ、という迫力もあったはずだ。

でも、何よりもあの迫力を生み出したのは、「舞台でしか見ることのできない、演技のみの空間」だったというのもあったと思う。

テレビドラマや映画だと、様々な要素で「演出」が入る。場合によってはCGが使われて背景が変わったり。音楽が適切なタイミングで最適な音量で流され、様々な角度で、何度も編集された演技がシーンとなって我々に届けられる。一方で舞台はどうか。

もちろん、舞台演出という大きな要素もあるが、かなり限定的だ。場所は舞台の上に固定されるし、数秒で舞台のセットを変えることはできない、つまり背景、舞台は固定だ。お客さんが見る画角は常にお客さんがごとに固定されるし、当然シーンのやり直しはできない。

だからこそ、役者が作る「演技」を素朴に、そのまま感じ取ることができる。


そして、この舞台のラストシーンは、まさに役者が演技で全てを伝える場面だった。そのために書かれたストーリーだった。

全てを伝えようと、全身全霊で演技する2人。そこからでしか、観客は得るものがない。だから貪欲に2人に視線を注ぐ。そして、それに応える2人。なにかを演じる。たったそれだけでこんなにも人を感動させるのか。

感動とは、文字通り、人の感情の動き。物理の定義どおり、物体が動く(運動)するには、エネルギーがいる。2人の演技は人の心を動かすだけのエネルギーを十分に感じられた。


人生って色々と経験してみるんだなと思う。「演技」という行為自体の迫力を感じられるのは、「舞台」にしかないなと思った瞬間だった。特に、こうした本格的なストーリーの舞台ならでは。

以前、三谷幸喜脚本の『ショウ・マスト・ゴー・オン 幕を降ろすな』を見た時も、多くの登場人物がいながら、物語の登場人物して認識させる役者としてのキャラの強さとか、色々と新たなことを知れたし、舞台というのは行くたびに発見がある。色んなテイストの舞台に行ってみるのはアリかもしれない。


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