見出し画像

お笑いで笑えないのは自分が悪い?

先日、「レンタルなんもしない人」がこんなツイートをしていた。

相変わらずトゲはあるものの、的確な意見だと思った。
それなりにお金を出しているのに、「お笑い」を楽しめないのって非常にもったいない。

「いや、何を面白いと思うかなんて、人それぞれだからいいじゃん」という意見もあるかもしれない。それはそれでその通りだし、何でもかんでもコスパとか考え始めたら生きるのが辛くなるだけなの確か。

でも、伝えたいのはそういうことではない気がする。
要するに、受け手も面白く感じる努力(工夫)をしていますか、ということだと思う。そして、そうしたほうが少なくともお笑いライブでは正解だと言うこと。

決して中田◯彦みたいな、お笑いに関するしょーもない提言をしたいわけではない。


売れない若手ばかり集めたお笑いライブならともかく、ルミネなんかでやるお笑いライブには、それなりの芸人が集まっているものだ。やり方・個性はそれぞれだろうけど、彼らなりに磨いたセンスとネタで有名になってきた人たち。

そんな彼らのネタを「しょーもない」と一言でぶった切ったり、「合わなかった」の一言で片付ける。それって何か勿体ないですかというお話。

そんなこと言う自分も、つまらないアニメなんかは即見なくなる。結構厳しくて、何でもかんでも絶賛する人ではない。これはこれで、良くない癖ではある。でも、このレンタルさんのツイートで言っていることと、アニメなんかを視聴することは大きく2つ違う。


まず1つが、「お笑いライブ」という「場」に参加していること。一度お金を払ってその場にいるなら、楽しまなきゃ損。

アニメとか本とか、そういった見限らないと時間を消費する性質があるものとは異なる。どうせ居るなら楽しんだ方がお得。


もう1つが、感じるのが「笑い」なこと。
別にそこから何かを学ぶ必要だったり、人生のだいじなものにする必要はない。その場を楽しむ。それだけで良いのだ。

気負わずに、相手の出してくれたものを素直に楽しめばいいじゃない。そのために、何を「オモロイ」ものとして提供してくれているのか、素早く察知して切り替えて楽しめばいい。


そういった意味では自分の中で「音楽」に立ち位置は似ているかも。その「場」を楽しんだり、一瞬を大事にするという点では共通している。

色んな音楽の好みはあるけども、出されたものは素直に受け取って楽しむことが割りとできる。他の曲まで手を出すとかは本当に好きになったアーティストしかやらんけども。

だから、ライブとかフェスはそういった意味では割りと楽しめている方だと思う。好みが偏っている自分にしては。


アンミカ理論で人生楽しく

なんでも好意的に受け入れて、楽しく生きれたほうが人生が楽なのは間違いない。特に、自分の中でこだわりが無いものなんかは、何でも楽しめるように、柔軟な頭で受け入れてあげたほうがよい。

なんでも「褒めどころ」を見つけて、それを楽しもう。アンミカさんみたいに。文句を言いながら人生を過ごすより、絶対にそっちのほうがお得だ。
こういう生き方をアンミカ理論と名付けよう。理論でもなんでもないけど。


でも、本当に好きなものにはこだわりはあって良いと思う。好きだからこそ、情熱があるからこそ、何でも受け入れてはいけないとも思う。自分の人生や生き方の根幹的な部分に関係するものについては特に。

まぁ、これはアニメや漫画の作品評価の際は辛口になる自分を肯定するための言い訳かもだけど。
レンタルさんのツイートを見て、思いついたことをつらつらと書いてみた。
以上!

P.S アンミカさんのこのおしぼりのトーク、好きすぎる。


この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?