仕事を通して成長すること。 『天穂のサクナヒメ』をプレイして
『天穂のサクナヒメ』というゲームをクリアした。1ヶ月の土日は溶けまくり、生活リズムがズタズタにされた。ここまでゲームに没頭したのは久しぶりだった。
このゲーム、リリース当初から話題になっていたゲームだ。
「農林水産省HPのFAQが攻略サイト」なんてパワーワード、聞いたことがあるのではないだろうか。
本作品には、RPGで言うところの経験値やレベルという概念はない。その代わり、毎年収穫されるお米の完成度で、主人公のステータスが上昇していくシステムが取られている。
このお米を作る「稲作」がこのゲームの話題の中心だった。種籾の選別から、田植え、水張り、収穫からの稲架掛け、脱穀と、稲作の一連の作業を丁寧にプレイヤーは実行することになる。
(この稲作の一連の作業をスラスラと記述できていることに、自分でも驚いている。完全に農家の知識のはずなのに…)
この本格的な稲作作業を、うまくゲームシステムに落とし込み、作業ゲーとアクションゲーの魅力を持っていたからこそ、この作品は高く評価されていた。
しかし、今日書きたいのはそこではない。確かに、ゲームとしての面白さはピカイチだし、そこに惚れ込んで40時間以上もプレイした。でも、システム的な面白さや特筆性は、インターネットを探せばいくらでも出てくる。そうした紹介記事で読んでいただければと思う。
自分にとって想像以上に刺さったのは、このゲームのストーリー、もっと言えば、あるシーンだった。
仕事を通じて人は成長する。しかし、性分は変わらない
そのシーンについて簡単に紹介しよう。多くの人にとっては、スルーする何気ない場面かもしれない。物語の終盤、サクナヒメを称える祭りを行っているシーンである。
みんながサクナヒメのための祭りの準備をしている中で、サクナヒメは「わしも何か手伝うか?」と声をかける。しかし、
「今日は祀られる側だから、なにもしなくてよい」と人々から返答される。
そんな様子を見て、サクナヒメの親友がこうつぶやくのだ。
多くのプレイヤーが同じ感想をここで持つはず。
最初のサクナヒメは、怠惰でお調子者なワガママ神さまだった。食べるものも、贅沢な暮らしも、自分で勝ち得たものは何一つなく、すべて勝手に供給されるものとして認識していた。島流しにあって農作業をはじめた時など、「なぜわしが…」というのが彼女の口癖だった。
しかし、そんなサクナヒメが、「何か手伝おうか」と声をかけるのである。人々と生活をともにし、稲作という共同作業を行い、そのお米で食べていく。そんな暮らしが、彼女を変えていったのか。
そう思っていると、サクナヒメはこう返すのだ。
「昔から」だと。自分の性分は何も変わっていない、そう主張するサクナヒメ。これをただの謙遜と捉えることもできるが、自分はそう思わない。このセリフが言えることこそ、彼女の成長の証なのだ。自分がこのゲームをグッと好きになったセリフだ。
サクナヒメが言っていることは、その通りだと思う。人(彼女は神だが)の性分というのは、そう簡単に変えられない。だからこそ、「性分」と言われる。
稲作を通して、サクナヒメは確かに成長した。
まず、労働の大変さを知った。今まで食卓に当たり前にあるものだった、「お米」がどれだけ大変な過程を経て作られているかを認識することができた。
そして、そうして何かを作るには、一人ではできず、いろんな人と協力していく必要があることを知った。そのためには、時には自分の主張を我慢して、他者を尊重して折り合いをつけていく必要があるのだなと学んだはずだ。
そして、自分にしかできないことがあるということを自覚し、それに対しての責任というものを感じるようになった。それを果たすために、努力しなくてはならないことも知り、それを実行してきた。
仕事の大変さと重要さの自覚、その中で生きていくための協調性、そして責任。これらを、稲作を通してサクナヒメは学ぶことができた。
でも、根本にあるのはせっかちで、飽き性で、ワガママな自分だ。ただ、稲作という「仕事」をしていくうえで、そんな自分と少し折り合いを付けられるようになっていっただけ。
そのことを、サクナヒメは自覚していたのだと思う。そして、自分なりのやり方で人々といっしょに生きていこうとする。そんな意志を自分はこのセリフから感じた。
自分と重ねて
恥ずかしい話だけども、自分を重ねてしまう。自分もサクナヒメと同じく、大人になっていって、何か変わったのかと言われると、何も変わっていない、と回答するだろう。
社会人として、それなりに仕事をこなせるようになってくる。確かに成長していった部分があるだろう。
だけども、やっぱり根本は、子どものころからの感覚と同じ。何も変わっていないような気もする。
他者と協調していくうえで、自分なりにどう行動すればよいか、というのを知っただけのような気がするのだ。
そんな自分の変えられない性分と向き合い、じゃあそれを仕事に活かすためには、この性分で自分が他人に貢献できることは何だろうと、自分なりに考える。
仕事を通して成長する、というのは、結局こういうことのような気が自分はする。だから、あの何気ないサクナヒメのセリフが、すごく響いたのだと思う。
オススメです
成長していくサクナヒメにどんどんと感情移入していったし、最後のエンディングでは、演出の力もあって、思わず涙ぐんでしまった。
「稲作」というインパクトがどうしても先に来てしまうが、丁寧に作られたストーリーは、もっと評価されるべきだと思う。
アニメ化も決まったようで、まさにインディーズゲームとして大躍進をした今作品。非常にオススメです。ぜひ。
おまけ
このゲームを徹夜でクリアしたあと、松屋で朝定食を食べていたら、並べられている食品の数々に感動してまた泣きそうになってしまった。
お米はもちろんなのだが、お味噌汁に浮かんでいる油揚げに感動してしまった。きっとこのゲームをクリアしなかったら一生この感動はなかっただろう。油揚げに必要な素材、すごく多いし、面倒なのだ(ゲーム内の話)。
食品への感謝が自然と生まれる、最高の食育ゲームとも言える。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?