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昨年、最も驚いたことがWeb3でした。

なぜ驚いたかと言うと、その概念の新しさに驚いたというよりも、私が約10年前に取り組んでいて失敗したこと、いつかはまたやりたいと思っていたことが、一言、ひとつの概念にまとまっていたからでした。それは、まさに点(ノード)と点(ノード)とが繋がった瞬間でした。

Web3の概念自体はこことかに上手くまとまっているので、私からの解説は控えますが、このYoutubeは観るべきでしょう。awesome!

グリッドコンピューティング

私は2007年に初めて起業しました。その時のコア技術がグリッドコンピューティングでした。"グリッド"とは、ふすまの枠のような"格子"を意味していて、例えば"パワーグリッド"と言えば"格子状に張り巡らせた電線網"のことを言います。

当時、私はPCの空きリソースに注目して、電源が入っているPCが使われていない時(ランチタイムやあるいは夜間だとか)に遊休PCを借り受け、大規模な分散処理をさせたり、データを分散保存させる技術を開発していました。富嶽などのスパコンも実はグリッドコンピューティングのいち形態と言えると思います。当時東工大のTSUBAMEスパコンで私が開発していたグリッドソフトで動画の分散エンコーディングを共同研究したりもしました。

そもそもの開発の動機は、"PCって電源が入っていても実際には使われていない時間が多い"ということでした。当時はまだAWSなどのクラウドサービスも一般的ではなく、サーバーの固定費がかさむのが各社ともに大きな課題でした。もしWebサービスのいち部分でもオフィスや家庭のPCに担わせられたら固定費が劇的に下がるのではないか……

そしてSaaS型のグループウェアを無料で提供し、その対価としてPCの空きリソースを借り受け、そのリソースの一部をグループウェアのファイルストレージとして利用していましたが、グリッドはビジネスとしては上手くいきませんでした(その後グループウェアを有料で提供するビジネスに転換しました)。

Web2.0とグリッド

当時私はビジネスの転換に際し、グリッドシステムを全面停止するにあたり相当悩みましたが、今までずっと、"なぜグリッドコンピューティングがビジネスとして成功しなかったのか"が飲み込めていませんでした。技術としては可能性を秘めていましたし(自分で言うのもなんですが💧)、当時はちょっとした話題にもなりました。投資もいただきました。ただ、グリッドはビジネスとしては失敗しました

しかし今回、Web3の概念に触れ、グリッドビジネスが失敗した理由が明確になりました。つまり、"Web2.0の世界に強引にWeb3の思想を組み込もうとしていた"からでした。Web2.0とは”閉じたあるサービスの中で、そのサービスのルールに厳格に従って人を人が繋がる”意味がありますが、その中にWeb3、つまり、グリッドで言えば、"サービスを飛び越えて世界中のPCが相互同等に繋がり、ひとつの仮想スパコンを構成する"思想はそもそも相容れなかったのです。当時も今現在もWeb2.0が主流の、このインターネットサービスの世界ではPCとPCとが相互対等に繋がるサービスは主流にはなり得なかったのです。

Web2.0サービスのほころび

私自身は10年くらいですが、SaaSサービスの中心(と言ってもいいと思っていますがw)に身を委ねていました。例えばグループウェアで言えばずっとオンプロミスで社内のデータは社外に決して出してはいけない!という時代だったのに、今では会計情報もクラウドに上げちゃう時代……ブラウザを介してアプリケーションはSaaS型で提供され、ローカルPCにソフトウェアをインストールする、ということがほぼなくなり……インターネット上のサービスは本当に便利になりました。

また、いわゆるSNSは人と人との繋がりをオンライン上で広め、今までは会うことも難しかった有名政治家とエゴサーチごっこをしたりとWeb1.0の時代では考えられなかった体験ができるようになりました。

しかしながら、一方でSNS上での誹謗中傷に傷つく人がいたり、リベンジポルノに苦しめられたり、広告の側面では3rdパーティクッキーや広告IDの節操のない売り買いによる過剰な個人ターゲティングが横行し、ある意味インターネットが汚くなってしまいました

権威主義?

よく、中国やロシアなんかを自由主義諸国が"権威主義"なんて最近言っています。つまり、権力や権威で人々の生活や法、経済、情報などを国家の都合よく抑圧し統制を取る社会のことです。

先日あるテレビ番組で中国の若い人たちに権威主義についてのインタビューをするのを見ました。"あなたたちは党や国家に監視されて統制されているんですよ?"と日本人が尋ねると、"それは分かっていますが、そのおかげで今の繁栄を享受できているので、なんとも思いません"。

私ははっとしたのですが、自由主義諸国は中国などの権威主義を批判していますが、実はGAFAMなどのビッグ・テックに支配され、ある意味彼らのやりたい放題にされているんじゃないか?と思いました。私たちがSNS上でコメントすればその内容は匿名にしろ個を判別しうるID(クッキーや広告ID)に紐付けられ、全世界の数百という企業に売られています。事実上オプトアウトなんて無理なんです。

OxyzenももともとはWi-FiのMacアドレスで様々な店舗分析や観光地などの人流分析などをしていましたが、突然のランダム化により窮地に追いやられました(でも、SSIDだけで詳細な分析ができる技術を開発したけどね❗)。OxyzenもGAFAMの手のひらの上で踊らされていたわけでした。

民主的なインターネットとは?

そもそもインターネットは民主的でした。誰でも分け隔てなく世界中の情報に瞬時にアクセスできる……1995年くらいでしょうか、大学の宿舎からダイヤルアップ回線のネスケでホワイトハウスに接続できて、上から画像がだんだんと表示されて行くのに感動した記憶があります。世界は変わる、誰でも(こんなちっぽけな大学生でも)が平等に情報にアクセスでき、また発信できるんだ!とワクワクしました。

出典:『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』

そうこうしているうちにクッキーという技術が生まれ、そのクッキーを使い"サービスにログインする(いわゆるセッション管理)"という概念が生まれ、サービスの囲い込みが始まりました。それがないと例えばクレジットカード決済なんかは怖くて行えないわけでその流れは必然というか、必要なことでした。

またそうこうしているうちにクッキーを広告のIDに使う技術が生まれ、このあたりから個人に対するターゲティング広告などが盛んになりだしたような気がします。掲示板、BBSなどを経て、MixiやGREE、海外ではMySpaceやFacebookなどなどが勃興と衰退を繰り返しながら急成長し、今に至ります。

これらSNSは一見民主的に見えます。いや、単純に人と人との繋がりだけに注目すれば民主的です。ですが、背後には"運営会社"氏がいます。その運営会社氏はある瞬間は国家よりも強大な権力を手にすることもあります。2021年にTwitterが当時のトランプ大統領のアカウントを凍結したニュースは記憶に新しいです。凍結する処理をしたのはおそらくTwitter社のいち社員だと思いますが、Twitterの運用側の管理画面の凍結ボタンをクリックするその瞬間、ある意味トランプ大統領よりもTwitter社員のほうが権力が強かったのです。

民主的でありそうなSNSも実は民主的でもなく、中国を批判しておきながら実は権威主義的なのです。それがWeb2.0サービスのほころびの現れであり、Web3の原動力なのかもしれません


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