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人工衛星のインターネット接続

アメリカに行ったのは2001年。日本におけるNTTによる最初の家庭用光ファイバーによるBフレッツが開始されたのもほぼ同時期と記憶しています。
2001年の9.11から間もなく、アメリカバージニア州のブルーリッジと呼ばれる山のふもとで、シャーロッツビルにほど近い山小屋であり音楽スタジオでもあるモンキークラウスに約3カ月滞在しました。3カ月だったか100日だったか、その期間はアメリカにビザなしで滞在できる最長期間だったからです。

バージニアの山の中の手作りレコーディングスタジオ モンキークラウス
ドラマーのダージュ 2001

シャーロッツビルは2011年トランプ政権下で右翼と左翼の若者が衝突し死者を出した街です。
犠牲者の冥福をお祈りします。

Sorry.


1997年香港返還の年、契約社員だった会社をやめて中国に行き、暇をもてあました僕は中国人とバンドを組みました。そのバンドが2001年にアメリカのNPOの招きによって生粋の日本人は私一人、他のメンバーは中国人という構成でアメリカに行くことになりました。当時はアメリカに一般の中国人が入国することだけでなく、中国人のロックバンドというのはとても珍しく、空港の入管の職員がお前らはメルティングポットだな、ウエルカムトゥユナイテッドステイツ、と言ったのが忘れられません。山の中のスタジオ、モンキークラウスには電話こそあれ高速インターネットは通っていなかったのですが、庭に巨大なパラボラアンテナが設置してありました。

ADSLしか経験のない私にはとんでもなく高速な回線で、半径100kmだれも日本人がいないと言われていたその土地で、ホームシック気味の私はむさぼるように日本語を検索し、ぶちあたったのが2チャンネルとモンロー研究所というWEBページでした。
2チャンネル…あまりの下劣さと醜さにむさぼるように読み漁りました。

ここまで巨大ではないが同じ形のアンテナが庭に立っていた。とてつもなく速かった。

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