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根拠なき「楽観主義」はダメでしょ。

悲観的より楽観的がいい。それはそうなんだけれども「根拠がない楽観主義」で思考停止するのは、やっぱりマズイ。ホントはもっと考えて対策を考えねばならないのに「大丈夫だいじょうぶ」って言って思考停止。ただ、運を天に任せてる。人事を尽くしてないのに天命待ってもダメだよ、そりゃ。

この話は、戦時中とコロナ禍が似てるバナシ、で出てくる。菅総理「結果的にやってよかったと言われる大会にしたい」。これは、根拠なき楽観の典型である。「その根拠は?」。あるとすれば、日本人およびメディアの「手のひら返し好きな国民性」。でも、これは、言えない言えない(笑)。炎上します。

日本人はいつの時代でも、困難に直面すると全体の状況を把握せず、その場その場をやりすごそうとする。(保阪)

そう。やり過ごそうとする。これは、会社での仕事でもそう。

ガダルカナル島の戦いで、日本軍の参謀は米兵を前に甘い見込みで繰り返し兵を投入して失敗した。なぜ失敗したか?。それは「日本は勝つ」という願望が先にあって、資源不足や兵站が不十分であるという現実から目を背け、問題の本質を見失ったからでしょう。主観的願望を客観的事実にすり替えてはならない。それがこの失敗の大きな教訓です。(保阪)

主観的願望を、客観的事実にすり替えてはならない。まさに、おっしゃる通り。人間は、どうしても主観的願望を話す。そりゃそうだ。そうなって欲しいからだ。しかし、客観的というか、事実とそれがかけ離れていたら、ヤバいだろ。

と、いうことに、行動を起こすときに気づけるか。願望は願望として話せば良い。ただ、それを、立場ある人が事実を願望にすり替えて話すのはダメだ。事実がイケてなくてもすり替えてはならない。肝に銘じよう。

すり替えたくなるんだよな〜、つい。いましめ、戒め。


※:引用は、週刊文春2021夏の特大号(保阪正康/後藤謙次/辻田真佐憲)記事より

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