日本がホントのバカになる日②
あと、10年も「失われる」のを続けたくないし、日本が国として劣化するのを見たくないが、このままだと厳しそう。
日本人はまともでも「国」がそうじゃなくなるとしたら、本当に悲しい。
政権批判はしても仕方ないし、その責任は国民一人ひとりにあるので、その一人として、どうやったら日本が国として劣化せずにすむか、考えたい。
政治は「国家のマネジメント」
タイトルの通り、政治は国という組織をマネジメントし、国民を幸せにすること。
マネジメントは、
・人間力が高く
・能力も優れた人材が
・独善的でなく人の意見もちゃんと聞いた上で
・組織が最もよいパフォーマンスを発揮できるよう、
「場面場面において最適な判断をする」仕事です。
特に有事には、
そのマネジメント力の優劣が
組織の将来を左右します。
やりたい人より「できる人」を
僕の結論は、これです。もちろん、どの世界でも、やりたい人が頑張ってやってもいい。でも、マネジメントという仕事は「できる人」がやらないと、マネジメントされる側が幸せにならない。
会社でも同じです。部長になりたい人がなるより、部長という仕事ができる人がなったほうが、部下は幸せ。「部長になりたい人」にマネジメント能力が皆無だった場合はサイアクで、部下は幸せになれません。
「できる人」が政治家になる割合を高める。しかし「できる人」は、あまり政治の世界は望まない。なので、多少強引な仕組みを導入する。
以下、ファクトもいくつか見ながら考えていきます。
3つの「ことわり」
物事の決まり方として、多くの人が納得するための要素は3つあると考える。それは、「合理的」「論理的」「倫理的」の3つの理(ことわり)。これが正しく満たされる事柄で、人々から非難されることは、通常の事柄では、まずないでしょう。政治もそうであるはずですし、こうであれば政権批判もないはずです。
ところが、
1)「利権」が優先される(非合理的)
2)「都合」が優先される(非論理的)
3)「不正」が黙認される(非倫理的)
これらが、政治の世界には多すぎると思います。批判ではなくファクトとして。
日本の政界は「潰れるべき会社」
自民党の岸田政調会長が、週刊文春の池上彰氏との対談で、以下のように述べています。これもファクトです。
政治は競争社会ですし、妬みややっかみも絡んできますし、目立てば目立つほど批判され、足を引っ張られる世界です。
批判されたり、足を引っ張られたりするほうが圧倒的に多いものですから、これに慣れ、耐えるのも政治家の重要な修行なのかなと。
本文中で池上さんが指摘するように、岸田さんは「とってもいい人」なんだと、僕も対談記事全体を読んで思いました。
しかし、93年から27年間も政治家を務め、外務/防衛大臣経験者の現政調会長で、池上彰も認める「政治家の中でもいい人」がこう言っている政治の世界。
企業に例えると、次期社長候補の専務が「うちの会社は、社員や幹部同士が足の引っ張り合いする会社なんです」と、雑誌のインタビューで言ってるようなもの。そんな会社、いずれ潰れてしまうか「潰れてしまえ!」と市場から言われるに違いない。
「そんな社風は一刻も早く変えないと、大変なことになる!」と思うが、きっと今の上層部にいる権力者たちが完全にいなくなるまで、あと少なくとも10年はかかるだろうから、その間に日本と世界の差(国のマネジメント力による国家としての進化の差)が広がるに違いない。
これは、日本の企業にも言えることであり、このグローバル/デジタル/スピードの時代に、60歳〜70歳代の経営者が多い日本の大企業も、同様の課題を抱えていると考える。
もちろん、年齢だけを問題視するわけではない。大企業の経営者にも何人か「超老人」がいる。ただ、今の、特に政治の世界にいる重鎮は、ほとんどが「老害」になっていると言わざるを得ない。
別に一人ひとりには罪はないだろうし、職務を離れれば「いいおじいちゃん」の人も多いと信じたいが、どーしても聞く話、聞く話「老害」としか思えない。
その「老害」を取り除くには、政治家の「なり方のシステム」を大胆に変える以外に方法がないと思われる。
OSが変わらないと。人はそう簡単に変われない。
と、いうのも、このままでは、今はまともな感覚の30代〜50代の政治家も、今の政治の世界にどっぷり浸かるうちに、いずれ「老害」に発展してしまう危険性が大いにあるからです。OSを変えないと、その行く末は同じになる。
昔の体育会で言われてきた「1年:奴隷、2年:平民、3年:貴族、4年:神様」のヒエラルキーは、1、2年生のときは「理不尽だ」と思いつつ、我慢を重ね、みんな4年生になると「神様として振る舞う」アレと同じ感覚。
今の体育会は、その仕組みをバサッとなくし、逆に4年生がグランド整備やトイレ清掃を積極的に行うなど、慣習(システム)そのものをガラリと変えたところが増えたと聞く。私も有名大学の強豪体育会の学生だった社員から、そうした改革や「そもそもがそういう仕組みである」という話を聞くことがここ数年、特に多かった。
日本の封建社会の「残された象徴」だった体育会や部活動が「非合理的」「非論理的」「非倫理的」な、悪しき慣習では強くなれないし、選手が集まらない時代に、すでに何年も前からなっている。
これまで、長時間練習/鉄拳制裁含む厳しい指導で有名だった鬼監督は言います。「だって、そうしないと優秀な選手が集まってきませんから」と。「どの口が言ってんだ!」と、OBたちは怒ってますが(笑)。
優秀な選手が集まらないチーム
政治家もそうですが、官僚の世界でも、同じことだと思います。優秀な選手は、政治や行政より民間企業に流れて行ってます。「最初は志しても・・・」です。
実際に、WEDGEの記事(2020年2月3日)で以下書かれています。
経済産業省の若手官僚(キャリア職)がこの1年間に23人もの大量退職していたことが明らかになった。
同省ではこれまでに15人程度辞めたことはあったが、これほどの大量退職したことは過去に例がないそうで、その理由が何なのか問題視されている。
同省は「霞が関」の中央官庁の中でも産業、エネルギー政策を担うエリート官庁で、国家公務員試験(総合職)の合格者の中でも優秀な人物を毎年50人程度、採用してきている。
産業界では、IT、バイオ、情報通信など次々と新しい分野でのベンチャー企業も増えており、こうした分野からの引き合いもあるようだ。転職先の多くは職場の環境面でも同省での待遇よりも恵まれているケースが多い。
「霞が関」のキャリア職と言えば、国政の中枢を担当する仕事のため、中途退職などは少ないのではないかとみられていたが、実態はそうではないようだ。
2019年度の国家公務員総合(キャリア)職試験の申込者数を見ると、1万7295人で初めて2万人を割り込むなど、国家公務員を志願する学生の人気に陰りが見えている。この1、2年は、財務省の公文書改ざん、文部科学省幹部の汚職逮捕、厚生労働省の毎月勤労統計数字のミスなど、主要官庁で不祥事が相次いで起きていることも、「霞が関」のイメージを悪くしている。
こうしたことも影響しているせいか、1996年には約4万5000人が総合職試験を受験していたのと比べると、半数以下にまで落ち込んでいる。
政治/行政は「優秀な選手が集まらないリーグ」
この状態は、マズいでしょう。
文化芸術に携わる人々、飲食店で働く人々、エッセンシャルワーカーの方々、モノノづくりの現場、観光・農業・その他産業含め、民間で働く多くの日本人が、
どんだけ頑張っても、国全体が幸せにならない。
その理由が、今苦しんでいる人々を日を追う毎に生み出し続けている、日本の政治と行政システムだということは、今回のコロナ対策で痛感しました。
政治と行政に、J1の選手を。
政治と行政は、トップリーグでないと困ります。
システム課題
5月5日の日本経済新聞1面に掲載された、青木・科学技術部長の記事が、ポイントを示唆しているので、以下、抜粋して掲載。
新型コロナウィルスに関する検査体制の拡充や、医療体制の強化など経済再開に不可欠な対策が一向に進んでいない。硬直的な行政システムに問題がある。ITや民間活力の導入という21世紀の世界標準から取り残されたままでは、ウィルスとの闘いに勝つことは難しい。
いち早く感染を封じ込めた台湾と韓国。成功の要因にはビックデータやスマートフォンの積極活用がある。出口戦略でも大きな武器となっている。一方、日本の対策はアナログだ。保健所の職員などが電話で患者を聞き取り、感染経路を調べる。初めの頃は機能したが、感染者が急増すると追えなくなってきた。検査についても1日2万件の目標には程遠い状況なのに、民間の受託検査機関の能力を生かせていない。
各国で多様なデータが公開され、研究者や企業が分析し、政府の戦略にも生かされている。日本は情報公開が遅れ、外部の知恵の活用が進まない。感染爆発を招いた米国は出口戦略を推進するため、民間企業の力を活用し始めた。小売最大手のウォルマートのほか、ドラッグストアチェーン各社が駐車場を提供、ドライブスルー型の検査場を展開している。出口戦略に不可欠な感染状況を正確に把握できれば、正常化を進めやすい。
日本でも、ホテルでの軽症者隔離、異業種企業によるマスク生産も始まった。民間の力を取り込もうという政府の意欲は弱く、企業にも積極性が足りない。スピード感に欠く対応は霞が関の縦割り行政に問題がある。強い権限をもった行政システムが20世紀の日本の成長を支えたが、その成功体験が21世紀モデルへの転換を阻んだ。オンラインによる診療や教育に出遅れたのも、20世紀型の行政から抜けきれなかったからだ。その足元を新型ウィルスに突かれた。このまま出口への戦略が見えないままでは、経済が活力を取り戻すのも難しくなる。
なんで、こうなっているか、というと「できる人」が政策決定(=政治)をやってないから、だというのが僕の考えです。
実際に、うちの家族も感染の疑い症状がもうかれこれ2週間近く続いており、国や都の呼びかけ通りに、保健所や接触者センター等、電話やラインをしてみたが、これがほとんど意味をなしてなく、かつ、怒りを覚えるような対応内容であった。37.5°他、数少ないレギュレーションをクリアしてない人が連絡しても、はっきり言って全く意味がない。喘息を持っていて、呼吸も苦しいのに、どうやってもPCRを受けさせてもらえない。
国民に「やってください」と伝えている内容が「実際やってみたら不合理で怒りを覚える」では、本当に困る。というか、今なお困っている。これが、企業の顧客への対応だとしたら、とんでもないことになるだろう。顧客は怒って離れていく。しかし、国民は、国から離れるわけにはいかないのである。
当然、電話応対してくださってる保健所やセンターの方々には、罪はない。その仕組みをつくって指示をしている国と行政が間違っているだけなのである。
「答え」はそこらじゅうに載っている。
コロナ騒動以来、新聞を隅々まで読むようになりました。僕は日本経済新聞を30年近く購読してて、いまだに紙で読んでます。この新聞が凄いのです。
この難局に際して「日本がどうすればいいのか?」。
その答えは、世界中の識者のインタビュー記事に書いてあるし、各界の論客が次々と正当かつ、効果のありそうな提言を毎日、山のようにしてます。
「答え書いてあるんだから、為政者のみなさん、見ればいいじゃん」と思うのだが。いや、読んでるか、日経だし・・・
みんなが「そうだ!」と思ってることが、なぜできないのか?
ネット上にも、たくさんの良い意見が溢れている。
国民の多数が「そうだ!」と思うことがたくさん書かれている。でも、なかなか政治判断に反映されない。なぜできないのか。
台湾に学ぶ
以下の台湾のケースを見習いたいと思います。
台湾では閣僚は日本のように専ら与党議員から選ぶのではなく、博士学位を有する専門家を政治任用し、成果を出せなければ直ちに解任する。陳時中・衛生複利相(厚生労働相)は元歯科医だが、政治コミュニケーション能力が高く、軍人であれば将軍も務まるような第一級の人材だ。(4/30:日本経済新聞掲載 東京大学・松田康博教授)
台湾の蔡総統。国民からの支持率高い。評価を集める理由は、先手を打って感染を押さえ込んだスピードだ。蔡氏は1月下旬、緊急の「国家安全会議」を招集。中国本土住民の入境禁止や、マスクの生産・流通の統制など包括的な対策をわずか1週間ほどで実行してみせた。蔡氏は30代前半だった1990年代に世界貿易機関(WTO)加盟交渉で当局のアドバイザーを務めた手腕を買われ、党派を超えて閣僚などとして重用されてきた「実務家」だ。(5/4:日本経済新聞)
こういうことだと思うのです。実務で実績を出している人。こうした人たちを、日本もどんどん政治の世界に登用すれば、圧倒的に良くなると考えます。
「できる人」がなる仕組み
実務で素晴らしい実績を出している人は民間にたくさんいます。民間の優秀な人材が政治を取り回すようになれば、相当まともな国になると思います。この数ヶ月、教育現場を振り回してきた「方針不明確/現場丸投げ」のディレクションもしないと思います。そこで、国会議員の半分を、現役の民間企業の社員にする仕組みを導入できないかと。
LINEや楽天、ソフトバンクや資生堂、ソニーやトヨタなど、多くの日本企業の「将来の幹部候補生」たちに、4年の任期で国会議員を務めてもらう。企業の社会的責任として、将来の社長/役員になりそうな極めて有能な人材を拠出する。
そうした優秀人材が、一定期間、政治の世界で切磋琢磨して、日本の企業の中枢に帰って、再び活躍する。もちろん、任期を延長してもよいが、企業も困るだろうし、権力の座には長く座らないほうがいい。ある程度の経験と実績を持つ有能人材ならば、4年で十分成果は出せます。
自社への利益誘導でなく、国としてどういうルールを設けると、企業や社会が成長するかという視点で任務にあたる。企業にとっても、経営人材育成の観点とネットワークづくりの点で有意義。
「選挙で選ばれた国民の代表」でなくても、政治家としての行為が結果的に「国民の利益を代表したもの」であればOK、という解釈です。
政治という仕事をやる人が、今や「国民に選ばれたかどうか」に紐づいてる必要はない、と考えます。それよりも「できる人」がやるほうが、国民にとっては何倍も有益だと思います。
もちろん、議員総数の半分は、これまで同様、立候補で、選挙で、「やりたい人」にもチャンスがあるようにします。
「やりたい人」と「できる人」/「情熱」と「実行力」のハイブリットで政治運営。
ちょっと強引ですが、このぐらいしないとOSが変わらない。つまり、変化は起きない。
理想的な政治のシステムを議論して、準備して、ようやくそこから有望な成り手が出てきて、ってやってたらまたすぐ10年、20年かかってしまう。
さすがに50年失われた時間ができた国家は、その後繁栄するのは難しい。
だから「国会議員の半数を現役民間人に入れ替える」ぐらいの荒療治が必要になってしまうと考えます。
もちろん、今この瞬間にも、吉村府知事や鈴木道知事、千葉市の熊谷市長など、実務能力を兼ね備え、リーダーシップにも優れた首長さんたちを国政に登用すればいい、という議論もあると思います。
しかし、数が足りない。少数だと、妖怪たちに潰される危険性が大です。だから、共通言語が成立する人々で最低でも過半数を占めないと、結局、その3人+αぐらいでは、たいした変化にならないでしょう。
民間の知恵は「借りる」から「直接生かす」
「民間の知恵を借りて」と政治家は言いますが、「借りる」のではなく「ダイレクトに活かす」方式に転換する。かつては政治の世界のほうが持てる情報や知恵が上回っており、その名残で、国>民間の上下関係の発想なのでしょうが、今は完全に逆です。
とにかく、民間(発想)主導で政治を行うスタイルに、変えていきたいと思います。これからはグローバルでESG投資やSDG'sの時代なので、民間主導でも社会還元の視点を忘れることはないでしょう。
専門家と実務家の組み合わせ
ただし、政治は対象者や領域が、民間のそれとは桁違いに多く複雑。専門的な知見・経験・知識も極めて重要となります。よって、各カテゴリーの政策意思決定の責任は大臣と副大臣が必ず協議して決めることにし、大臣/副大臣は、専門家と実務家の組み合わせで担う方式を導入すべきと考えます。
日本においては、大臣:実務家/副大臣:専門家、として、実務家は先ほど提案した民間企業人材から登用する方式にしてはどうでしょうか。企業で経験を積んできた40代を中心とした、いわゆる部長クラス。国家政策なので、もう少し責任が重いと考えるとなると50代前半までの役員クラスでもいいかもしれません。年齢よりも「実績と担っている役割で決める」のが良いと考えます。
選挙の1票が、投資になるように。
これから国が豊かになるかどうかは、政治を誰がやるかで決まる。そういう意味では、選挙で選ぶ場合にも、一人ひとりの1票は
「国民を豊かに・幸せにするための投資」
であればいいと思うのです。選挙に行って投票すること=国の未来に投資をすること、と皆んなが思える仕組みになれば、僕が提言した方法でなくても、全然いいと思います。正直「実現可能性」が低い案であることは、自覚してますので。
今までの選挙の仕組み、政治の仕組みを上手く発展させて、できるようになれば。
前回の話を書きながら、いろいろWebをみていたら、PoliPoliというサイトに出会いました。勉強不足で恥ずかしいですが、既に僕よりふた回り近く若い人たちの手で「変えよう」とアクションしていることに触れ、
これは、もしかしたら、なんとかなるんじゃないか?
という希望も湧いてきました。僕には想像もできないような、テクノロジーオリエンテッドな政治システム改革、で、劇的なパラダイムシフトが起きることにも期待したいです。
最後は、他力本願で終わりましたが、以上です。
僕は、日本が好きです。
日本人が大好きであり、自分が「日本人であること」にも誇りを持っています。「日本、最高じゃん」と、いつまでも言える国であってほしい。
思いはそれだけです。
おまけ(付録)
以下は、おまけです。世界の公務員比較を、ついでにしてみました。
日本は、人数が足りないんじゃないか疑惑。
だから、国民が不便を強いられてるんじゃないか疑惑。
給料も、もっと上げないと、J1選手は来ないんじゃないか疑惑。
全員上げる必要ないけど、せめて能力の高い選手はもっと高くしないと。今は新入社員でも、スキルのある人材はスゴイ給料もらえる時代ですから。
これをみて、公務員だけに限ったことでなく、教育/保育/介護といった「これからの日本においてとても大事な職業を担う人々に、もっと賃金を払うべきなのでは」と常々思っていたことにリンクしました。
医療や警察などを含む社会システムを今までの水準に保つことや、時代に合わせてアップデートさせていくには、関連するところに、国としてしっかりお金をかける。そういう判断も、優れた実務家であれば、未来を見据えたマネジメントとして、やってくれるはずです。
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