便利を追求するエゴ
明後日から8月なのに、関東では梅雨が明けません。まあ、それはあってもおかしくないとして、増える自然災害に対し「自然が怒っている」という人がいます。日本でも直近で被害に遭われた方が多数いらっしゃいます。謹んでお見舞い申し上げます。
この「怒ってる」という表現についてですが、怒るというよりも、自然も「自然の摂理に従って行動している」のではないかと思います。
オゾンホールを破壊すれば、気温が上がる。
気温が上がれば、氷も溶け、海水温も上がり、海水面も上昇。
海水温が上がれば、上昇気流が発生する。
上昇気流が頻繁に発生すれば台風並の低気圧がバンバン発生する。
海水面が上昇しているから、水害の程度も酷くなる。
ちゃんと調べず、うろ覚えの知識で書いてますので正確ではないですが、↑のようなことが、自然界で幾つも連鎖的に起きている。「怒る」というと自然が攻撃してるみたいですし、人間たちの所業を棚にあげている感が否めません。
「いや、我々も、わざとやってるわけではないし、どうしようもないんです」
自然もそう言いたいのではないかと。
オゾンホールを破壊する原因は、人間が自分たちのために作り出した。何のためかというと、生活を便利にするため。石油を採掘して燃やしたり、それで電気を作り出したり。それを「人間のエゴ」とも言う。人間のエゴが、地球環境を破壊している。これは調べなくてもわかる事実。
だから、この問題を解決するには、一人ひとりが「エゴをエコにする」と、語呂合わせみたいなことができればいいんだと思う。しかしこれが難しい。
そもそも僕らは「自然と共生し穏やかに生きよう」などと、親や教師に教わってない。教わるのは「競争を勝ち抜いていい人生を送れ!」である。
それこそ「エゴ丸出し」だ。昨今も「格差社会」という単語が競争を煽り続けている。競争を煽るのは大人たちであり、僕らもその競争社会でしか暮らしたことがないので、自然と共生する生き方そのものが分からない。
そして、エコロジーは面倒なものだと、私自身も思っていた。というか、今もそう思っている。しかし最近、25年の会社生活を一度立ち止まらざるを得なくなった。要は病気で療養したのだが、立ち止まるといろんなことが見えてくる。
「自然の恵み」という言葉を意識しだしたのも、その一つだ。
・朝、カーテンを開けて日光を浴びて気持ちが明るくなる。
・外の風に吹かれて気持ちいいと思う。
・野菜を蒸し焼きにして、何もつけずに食べて美味しいと感じる。
いろんな、というほどもないし、まったく大した話ではないが、私にとって今まであまり感じなかった「自然の恵み」だ。特に、八百屋で買った青森産のカブを30秒フライパンで蒸し焼きにしたものを食べた時の感動は「これぞ自然の恵み」と思ってしまった。
買ってきた惣菜をレンジでチンするよりは手間がかかるのだが、その面倒な手間が「恵み」にありつく条件でもある。
面倒な手間をかけて育てた野菜は、ドレッシングなどなくても甘くて美味しい。農薬を使って大量生産した野菜では、こうはいかない。「手間を省き、便利に作って何が悪い」なのだが、それだと自然からの恵みは少ない。
要するに
エゴ=便利
エコ=面倒
という公式みたいなもんだと思えばいい。なので、エコを実現することは「面倒」なことなのだ。こういうと身もふたもないが、しかし、エコなことは元々面倒なことだったかというと、そうでもない。人間が便利を覚え過ぎただけだ。
「筋金入りの面倒くさがり」である私としては、これまでの生活はエゴ全開だったが、ちょっとは面倒なことにも手を出し、残りの人生はエコにも触れていこうと思う。そして、これからは便利とエコの両立も。それが次のテーマ。
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