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日本がホントのバカになる日①

うちの家族は、現政権に対してすごく批判的。昔からテレビの画面に向かって、よく罵声を浴びせています。僕は「そこまで言わなくても」といつも思いながら見ています。みんなある程度は一生懸命やってるんだから、とも思いつつ。

さすがにそれは・・・

なので、あんまり政権に対して(思ってても)アホとかバカとか言わないほうなのですが、今回の緊急事態宣言の後、思わず「さすがにそれはバカなのでは?」と言ってしまいました。「各業種への自粛要請は2週間後から実施」というのを聞いたときです。このままでは「日本が世界中からバカだと思われる」と本気で心配してしまいました。マジで心配しました。

一体、どういう情報と思考回路を掛け算したら、そういう発想になるのか。っていうか、報道されちゃう前に誰か止めなかったのか。「きみはこれまで、いったい何を聞いてたんだ?」「ちゃんと話を聞いてなかったのか!」と、小学生の男子が先生から叱られるときと同じ感覚です。

よく「専門家の意見をもとに判断し・・・」とおっしゃってるが、専門家全員が言ってることと違うことを言うのは、どうしてなのか? まあ、さすがに「それはダメだ」と思ったらしく、で、結果的に修正されたのでよかったですが、それにより48時間だか72時間だかの空白ができたことは、感染抑制には良くなかったとのこと。ダメじゃん、日本・・・

僕たちの責任。

で、こうした事態を招いているのは「僕も含めた国民全員に責任がある」と思いました。いま活動している政治家は、選挙で選ばれた人たち。選んだのは僕たちです。選挙に行かない人も「行かない/投票しない」ということを選んでます。よくわからないけど投票はした人、も「よく考えずに投票する」ことを選んでます。

国を動かし、国民を導いていくのは政治家の仕事です。その政治家に僕たちは国の運営を委ねています。しかし、その「運営」が炎上することが、ここ数年、多い気がします。桜を見る会や森友問題だけではなく。ここ数年の大臣の不祥事、政治家の奇行など、挙げたら結構な数になるでしょう。様々な政治判断にも「?」と思うことが多い。でも、僕たちが選んだから仕方ない…と諦めるしかない。腹がたっても「お前らちゃんとやれよ!」とテレビに向かって吠えるしかない。

本当にそうか?

「国民一人ひとりにも選んだ責任がある」と言いましたが、私たちに「選ぶ」という意識は本当にあるのか? 投票という行為はするものの、国政選挙で「しっかり選んだ」と言える人はどのぐらいいるのか? そもそも、ちゃんと選ぶだけの材料や情報、知識があるか? 投票所の近くにある選挙ポスターの顔と名前、そして、一応の支持政党的なもの、ぐらいが判断材料なのでは?(←これは僕のことです)

ちゃんと選んでない。

僕たちがモノやサービスを買ったり使ったりするときは、ちゃんと選んでますよね。美味しいから/好きだから/安いから/単に欲しいと思ったから/使ってみたいから/テレビで見て興味が湧いたから/話題になってるから/自分の好きな人が良いと言ってたから・・・などなど。選ぶときは、ちゃんと理由がある。

さすがに、モノやサービスと政治家を一緒にするのはどうかと思います。でも、例えば、ちょっと高い洋服とか、最新のスマホとか、ノートパソコンとか、記念日に食事をする店とか。高額なところでは、家とかクルマとか保険とか。人生の選択だと、学校とか、職業とか会社とか、彼氏/彼女、場合によっては結婚相手とか。そういった場合は、真剣に選んでるのでは? いや、間違いなくちゃんと選んでる。「選択を間違えた」と思うことはあるけども(笑)。

それと比べて、同じぐらい、真剣に政治家(候補者)を選んだことがあるか? そもそも、僕らに「真剣に選ぼう」という動機があるか? 

ないと思います。

選挙は自分の生活には直接関係ないし。投票といっても、自分のはたったの1票で影響力ないし。そもそも選挙で誰が選ればれても、世の中、そんなに変わらないし。与党が社会党になったり、民主党になっても、あんまり変化なかったし。自民党よりちょっとは(いや、大いに)期待したのに「期待はずれ」だったし・・・だから「選ぼう」という動機など生まれない。でも、なんでだ? なんで日本はそうなってる? 

こんなこと言ってますが、僕にもなかった。いや、たまにはあった。でも、選ぼうと思っただけで、ちゃんとアクション(判断に足る情報収集等)はしなかった。

見たことがないから。

政治家をちゃんと選ぼう/選挙に行って投票しよう、と思わない理由。それは「ちゃんとした政治家たち」が「しっかりと政治をやって」「世の中が良い方向に変わった」のを、僕たちの誰もが、この目で見たことがないから、です。

「保育園落ちた、日本死ね」とか「老後資金2000万円必要」とか「少子高齢化問題」とか「消費税があっという間に10%」とか「失われた30年」とか。国が動いて、政治が動いて、僕たちに何かいいことがあったか? 郵政民営化も、生活には何も影響がない。かえってサービスが悪くなった。携帯電話の料金も高い。景気が悪くなれば、政府や日銀は株式市場を投資家のために買い支える。「カネが全て」の世の中になって、格差は広がり、貧困家庭も多くなる。非正規雇用が増え、ニートやフリーターも増加。震災復興・災害復旧は、どれも道半ばで遅い。エネルギー政策も3・11 後なのに、原発まだ使うつもり?

つまり、システムが機能してない

ぱっと思いついただけでも、これだけのネガファクトが書ける。もっとたくさんあるだろう。で、これらの諸問題を誰が解決するのかと言えば、政治家。その人たちが「政治」という、「ルールを決めて/音頭をとって→人々や企業を動かし→国民を幸せにするシステム」を機能させる。

本来、政治は、人が生きてく上でいろいろ起きる「みんなの問題」を解決して、国民を幸せに導く役割、を担っている。そういう「システム」のはずである。それが、この何十年もの間、うまく機能していない。それが、この新型コロナウィルスの出現で、改めてよーーーく分かった、ということ。

このままいけば、日本の政治に対して、人々の怒りが諦めになり、諦めが嘲笑になって、本当の無関心になる。そうなってしまうと、本当に恐ろしいのだが、少しづつ、そういう方向に傾いてる気もしないでもない。

怒り→諦め→嘲笑→無関心

こうならないために、どうすればいいのか?
というか、方法はあるのか?
ないかもしれない。
思いついたら②を書きます。

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