過剰社会
正解の過剰
また記事から得た知恵だが、「正解の過剰」という概念は、とても示唆に富んでいる。以下、日本経済新聞5/26より。
作家の山口周氏の著書によると、日本経済は90年代初めのバブル経済崩壊以降、設備、債務、雇用の3つの過剰に苦しんだが、日本企業が今も脱しきれてないのは「モノ、便利、正解の3つの過剰だ」という。
モノはわかるとして、問題は便利や正解の過剰だ。例えば主婦の負担を減らす、などの社会的課題が起点となって次々と開発されたのが日本の家電製品だった。だが、そうした課題に対する正解はすでに一通り発見し尽くされ、市場でも成熟化が著しい。
GAFAにあって、日本企業にないもの
なるほど!と思ったのは、例えば「電話を持ち運ぶ」ための正解として携帯電話ができ、電話だけでなく、メールなど、話す以外の便利なコミュニケーションもできるようになった。これは「正解」と「便利」の追求だ。
しかし、残念ながら、日本企業にiPhoneを発明することはできなかった。
スマホは、何かに対する正解じゃないし、使いこなすのは大変だから便利ってわけでもない(習熟したらとても便利!)。ただし、その機能が「人々を熱狂させ」「とにかく欲しくなる」ツールではある。
TwitterやFacebook、アマゾンやGoogleといった巨大プラットフォーム。これらも、残念ながら日本では生まれなかった。
そして、いわゆるGAFAも「課題に対する正解」を出したわけではない。課題解決という「正解」の先にある「欲望」を満足するものばかりだ。
ちなみにGAFAMともいわれるが、マイクロソフトは、ウィンドウズという「企業活動の生産性を高めるため」の正解および便利、なので、GAFAとはちょっと立ち位置が違うと考える。少なくとも「欲望」を満たすものではない。
しかし、WindowsもMacも、OSは日本から生まれなかった。日本の産業は高度経済成長期から、かなりの部分で世界をリードしてただけに、残念。
日本人は「欲望」を商品化することに、不得手なのかもしれない。
「n=1の欲望」が、ヒット商品のキーワード
これからは、というか既に世の中そうなっているが、「こうしたい」あるいは「こうだったらいいのに」という、個人の「個人的な欲望」が、ヒットする商品の源泉かもしれない。
すでに「普段生活してる中で、こういうのがあったらいいのに」という発想で商品化されてヒットしてるものも多くある。
大ヒットとはいえないが、例を一つ。
僕は少年時代にピッチャーだったので、「ゴミ箱にティッシュを投げるのが好き」なんだけど、結構外すのでゴミ箱の周りがちらかる。で、ゴミ箱の上にバスケットボールのゴールみたいな「ボード」がついた商品が出たときに「そうそう、これだよ!」とメチャクチャ嬉しくなった覚えがある。
投げたティッシュがボードに当たれば、ゴミ箱に落ちる(=シュートされる)確率が高まるので、ゴミの散乱が減るのだ。これはのちに、外国でシューズメーカーかどこかが、公園のゴミ箱などにキャンペーンで同じことをしたのを見たことがある。
あまりドンピシャな例じゃないので、ピンとこない人もいると思うが、要するに「自分だけかもしれないけど」の欲求を満たす商品で、多くの他人の欲求も刺激する、そういうものが、これからもヒットするんだろうと思う。
ノンアルコール・チューハイ飲料も、「ノンアルコールでも酔っ払った気分を味わいたい」という生活者のいち意見から、商品開発し、商品名やパッケージ、広告コピーなどを工夫して大ヒットした、という話を聞いたことがある。
ソーシャル・ディスカバリー
さらに、記事に出てきた山口氏は
課題とは今後、空気のように身の回りに存在するものではなくなり、努力して、あるいは特殊な技能で見つけ出すものになる
と語っている。
今回の危機においても、ある地方の小さな店の店主が「私は喘息持ちです」という文字が入った、マスク用のバッチやシールを発明した話をテレビで見た。
「『咳をすること』が異常なまでに敵視されて喘息患者が真剣に悩んでいる」という新しい社会課題に対応した商品だ。
社会課題を、いち早く拾い上げてカタチにする。
それも、これからのヒット商品に欠かせない視点:ソーシャル・イシュー・ディスカバリー、略して「ソーシャル・ディスカバリー」だ。(英語できない上に、略したらダメな気がするが、ソーシャルディスタンスにかけたかった)
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