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宇宙龍脈幹線 地球支線(スペースレイライン・ジ・アースブランチライン) #むつぎ大賞

 烏帽子型ヘルメットの給気口からガニメデの大気がしみ込み、おごそかな駆動音と共にヘルメット内へもたらされる。タンク内の酸素と混合された冷気をゆっくり、時間をかけて吸込み、また同じ時間をかけて吐き出す。吐息は狩衣を模した袖の排気口から外へ出ていく。

 ごく微量、異星の大気を呼吸する。
 星の一部を取り込み、自分の一部を吐き出す。

『客船、界面より浮上』
承知コピー

 金属板瓦を葺いた屋根の上に木星がかかり、分厚い雲をたなびかせている。その渦の内側から、青く輝く宇宙船が飛び出してきた。雲は乱れるどころか、しぶき一つあげていない。
 木造大社造りの影で、数名の通常宇宙服職員が観測機械を手に船の姿を睨んでいる。一方でJAXAの刺繍鮮やかな狩衣型宇宙服の儀式補佐官は、社殿階段前で正座したまま動かない。

 白く平らに清められた儀式舞台を両足でしっかりつかみ、祝詞を唱える。

「カケマクモカシコキ、イザナギノオオカミ―――」

 一歩、大地を踏む。
 二歩、大地を叩く。

 足首と膝を捻り、宇宙服のブーツが凍った大地に足袋型を打ち付けていく。無線を通して届く雅楽の音にあわせ歩法、手法を重ねていく。

 三歩、四歩、振り返って一歩目の己と正対する。
 五歩、六歩、進んで八歩先の己と正対する。
 七歩、視界が広がる。
 八歩、ガニメデが手のひらに乗る。
 九歩、そらを流れる川の音が聞こえてくる。
 十歩、宇宙船を捉えた。

 雪の結晶のようなその船は太陽系外の匂いを強く残したまま、木星をあとに地球へと進んでいく。

 基地の音楽室から笛の音が届いてきた。木星圏の匂いに強く浸ったその音を掴み、よりあわせて糸を作る。全身を回しながら空に散らばるチリをかき集め、即席の針を仕立てて糸を通す。

 ちょうど船の結晶構造から雫が一滴染み出してきた。雫はこちらへ向けてきらりと発光してみせる。音楽にあわせて頷きながら針を振りかぶり、雫めがけて放り投げた。

 雫が縞模様に輝きだした瞬間、太陽系外からの冷気が爆発するようにあたりを突き抜けて行った。雫を中心に広がったそれはキリスト教圏の教会音楽に近い和音を伴って光り輝き、投げ放った針を掴み取る。

『やあはじめまして。保線員の方かな?』

 聞こえてきた声の印象は英語に近い。だが決して地球の言葉ではありえない冷気と匂いに満ちていた。

「遠路お疲れ様でございました。太陽系第三惑星は地球の龍脈保線員でございます」
『暑い中ご苦労様』
「この先はさらに暑くなっております。くれぐれもご注意を」
『ありがとう。帰りにまた会おう』
「良い旅を」

 糸はそのままふっつりと消え、雫は針をその身の内に飲み込む。針の鈍い輝きが消えるとともに、身を浸していた宇宙の川が遠ざかっていく。やがて、ガニメデから飛び去っていく結晶状宇宙船を眺めている自分を見出した。

『ワグテイル、応答せよ』
「―――こちらワグテイル。交信終了。客船に問題なし。全て予定通り」

 儀式は終わっていた。
 補佐の二人が木造神殿から真空パックの供物を下げ、NASAの職員たちが機材を振り回して辺りを測定している。
 ほっと溜息をつき、ヘルメットの吸入装置を止めた。じわじわと暖かい空気がスーツ内を満たし始める。

「地球のほうへ手を振っておいた。そちらへ作業完了報告の了解が来るまで約50分間の見込み」
『了解した。外星船中継作業の完了を確認。次の便は120分後の予定。それまで待機せよ。暖かいお茶が入ってるぞ』
「ありがたい。今日はいちだんと冷える」
『キコーがあれば大丈夫なんじゃないのか?』
「それはウチとはアジア違いだ」
『まとまってもらうぞ。……おひつじ座の連中は三世紀かかったらしいが』
「早いな。ぼくはあと十世紀はかかると思ってる」
『それ、地球で言うなよ』
「言うもんか。カミオカンデで呟いたって魔術師殿に聞こえるよ」
『いまは不在じゃなかったか?』
「そうだよ。居たらの話」

 いまごろ魔術師殿は師匠たちを連れて里帰りしているころだろう。銀河系龍脈の深奥で、数多の星々の術師たちと交感するために。

 宇宙には川が流れている。地球にはじめてやってきた異星船、その航海士兼魔術師たる存在の一言で地球の宇宙開発は変わった。
 宇宙を形作るメガストラクチャーには人類が知るもの知らぬものがひしめき流れ行き、超空洞ボイドへ落ちていく。その流れを知覚し、捉えることができる知的生命体達が集まり、作り上げたのが宇宙龍脈幹線スペースレイラインなのだという。それらを捉えるのは進歩した天文学。すなわち星の地表で生まれた古い科学である魔術、占星術、呪術などなどを宇宙時代の知識で再洗練させた学問。
 針の穴を覗くような電波望遠鏡ではなく、知的生命体の感覚器全てを動員してこそ宇宙の秘奥に触れられる。およそ狂人の妄言か詐欺の常套句でしかないその言葉を世界各国の宇宙機関は馬鹿にしながら、しかしおそるおそる僕らを宇宙へと連れ出した。

 その果てに今日がある。
 いまでは地球は宇宙龍脈幹線の終着駅の一つ。開業もまだ当分先の工事中支線だ。幹線沿いの物見高い外星人達は、日に数本しかない便のチケットを奪い合ってここにやってくる。そうしてやってきた客人たちを、地球の天才科学者や呪術の英才たちはいまかいまかと待っているのだ。その知識と、奥義に触れるために。その手助けができるのだから、ぼくのような半人前にも価値はあるのだろう。

 耐熱耐圧加工木造の社殿内からガニメデ地下基地に踏み入る。エアロック内で減圧の風を感じると、早くも口の中に渋く熱い緑茶の味が込み上げてきた。気圧計のカウントダウンを待ちきれず宇宙服のロックに手をかけ、その瞬間を待つ。

 その時、アフリカの風が火星から吹いてきた。

『ワグテイル、緊急だ』

 転がるような英語が脳裏に響く。
 語る言葉の調子一つ一つが良くできた歌のようで、聞くたびに驚かされる。
 こんな音律も、宇宙全体主義スペースグローバリズムの中で平均化されていくのだろうか。
 自分の不出来な日本語と、彼の踊り舞うアフリカ英語が同じボウルの中で混ざり合うことができるのだろうか。

『ワグテイル。返事してくれセーメーアベ』
「……コードで呼べ。こちらワグテイル。レイヴンどうぞ」
『緊急事態だ。船が一隻落ちた』

 茶を求めていた喉ががっかりしながら唾をのんだ。
 減圧を止め、再度スーツ環境をガニメデ化しながら九字を切り、レイヴンの声に集中する。

『10分前にブラックバードから報告があった。このままだとお客さんは深宇宙めがけて真っ逆さまだ』
「委細承知、はじめてくれ。3分で支度する」

 霜を蹴り、二段飛ばしで階段を駆け上がる。
 管制官が異常を察したらしく、あちこちで篝火型非常灯が赤みを帯びた。

『緊急事態発生。ワグテイルが臨時の保線作業を行う。儀式舞台の作業員は2分以内にエリア外へ退出せよ』

 とんぼ返りしたガニメデの地表はさっきと何も変わらない。木星の巨大な目は明後日の方向を睨みつけたままだ。
 しかし、かすかに見える。おかしな波紋が龍脈を伝い、あたりを揺らしつつある。

「本部へ報告。事故発生。原因不明。これより確認と対処にあたる」
『了解した。略礼儀式を承認する。士補サポーター、スタンバイ』
『『仔細承知スタンバイ、コピー』』

 4人の儀式補佐術士がこちらに歩調を合わせながら駆けてくる。ヘルメットバイザーで見えないが、全員の視線が交差した。

「陣を組め。川を渡る。各員、磁性確認」
『応』

 駆けこんできた4人はそれぞれ色の異なる狩衣型宇宙服姿だ。そのうちの黒色がハンドヘルド端末で木星からのプラズマ嵐を確認し、儀式舞台の一角に立った。続けて赤、白、青と並び、4人を頂点とする四角形の陣が完成する。だが安定はしていない。全員が膝をつき、ガニメデの磁場乱流に耐えていた。

 頂点の揺れ動く四角形、その重心に立つ。火星から漂ってくる葉タバコと、冥王星の微かな乳香の匂いが宇宙服の中に忍び込んでくる。

 両手の印相は来迎印ライゴウイン。両足を整え、地を叩く。右、左、右、左。
 音は無い。鼓動と骨と筋肉がきしむ音だけが高まり行く。血の流れる音が重力子の行き交う音に重なり、肉体間隔が拡張していく。

 四陣頂点の四者が立膝のまま大地を踏み鳴らし、同調する。その音に乗せて視点は高く、大きくなっていく。太陽系軌道平面にできた小さな波紋を足場に立ち、星系を見渡した。

 海王星からブラックバードが立上り、イチイの枝を振っている。魔女帽子が申し訳なさげにひょこひょこ揺れた。火星からは紫煙が立ち上り、その根元でレイヴンが快活に微笑んでいる。報告にあった船の姿は見えない。かなり深くまで沈んでしまったようだ。
 レイヴンが聖なるパイプを振り、宇宙のあわいを煙で満たした。

得意技釣りで行こうワグテイル。ブラックバードが糸を張ってる。お前が針、俺が網だ』
「心得た。煙は濃く甘く」
『まかせとけって』
『急いで! 糸が切れる!』

 ブラックバードの鋭い声に押され、水面にかがみ込む。
 印を組んだ手を界面に差し入れ、続けて頭から沈めていく。外宇宙から流れ込む龍脈の流れに、素潜りの要領で身を投げ出した。

 視界ゼロ。身を包む流れは黒く重い。足踏みしている実感が無くなれば自分の生命活動ごと押し流されてしまいそうだ。
 しかし目を閉じることはできない。地球の科学でいまだこの事象を知覚できない以上、ここに落ちた船を拾えるのは自分たちの五感だけなのだ。

 自分自身の肉体に意識を向けながら、龍脈を泳ぐ自分を確立する。
 見たこともない異星の船を想像し、ブラックバードのフランキンセンスを記憶から掬って糸にする。レイヴンの紫煙を纏って身を絞り、小さく小さくまとめていく。自らの体をこね回し、縒ってねじりあげ、釣り針へと変える。

 あぶくがひとつ。浮かび上がる。離れたところで弾けたそれは、すこしだけ太陽の匂いがした。

 指に挟み込んだ針を投擲する。あぶくの軌道をたどり、足掛かりにし、より深く流れの底へ向かう。そして一艘の船に行き当たった。

 船は緑色の螺旋。暗闇に浮かぶ一本の螺子のようだった。うねりの舳先には泡か腫瘤かわからないものがわだかまり、一定の音律で虹色のあぶくを吹いている。
 それがこちらを見て、必死に手を振った気がした。

 それは海洋軟体生物のような生命だった。遠い星に育ったウミウシの如き異形。しかし振り回される手から鼓動が伝わってくる。何本もの触手が組んだ祝詞と、奏でる音楽がわかる。それをガニメデの上でしっかりと聞き分けた。彼は人間だ。ヒトなのだ。

 流れをおよぐ。泡と、楽と、鼓動を飛び石にして駆け寄る。そして、差し出されたその手をとった。

 ■

「ブラックバードが掴み損ねたんじゃないんだな」
『レイラじゃない。彼女が魔方陣を書き終える前に、NASAの新兵器がひと仕事したのさ』
「……ジムか」

 エメラルドの船が化学エンジンを光らせてガニメデを去っていく。かすかに見える泡に向かって手を振りながら海王星の方を睨みつけた。

「あいつ、横車を押すのが趣味なのか?」
『そう言うな。ゲームシステムの変更に納得いってないんだよ。技術屋として』

 地球ではともかく、宇宙では科学者や技術者たちに一日の長がある。彼等にしてみれば”スピリチュアリスト”如きに星間航行を任せるわけにはいかないのだ。気持ちはわかる。ある日突然時代遅れ扱いされれば誰だって気分を悪くする。だが今の事情を受け止められないほど彼らは愚かじゃないはずだ。そう思いたい。

「わかった。次に会うのが楽しみだ」
『ちなみにそのジムだけど、船の客と大盛り上がりだったぞ」
「なんでだ。彼が原因だろうに」
『向こうの科学者と意気投合したみたいだぜ。魔でなく法が宇宙を統べるのだ、とか。相手さんも科学偏重だったんだな』
「呑気だこと……」

 つつ、と冷たくなった汗が頬を伝う。反射的に拭おうとした手がヘルメットを叩いた。細く白いグローブは微かに粘液に濡れ、虹色に光っている。

 烏帽子を通して、指先にまとわりついた外宇宙の匂いを嗅ぐ。我らが太陽と、琵琶湖のほとりに香る水に似ていた。ぼくも、あの客人とは相性がよかったらしい。

「それじゃ、もう戻るぞ」
『おう。俺も報告書あげなきゃ』
「……そうだった」
『おいおい事故報告書だぞ。他に何か急ぎでも?』
「お茶だよ。もう冷めてるだろうがな」

 この宇宙において光速は不変。つまりあらゆる術理の奥義は不変だ。ならば陰陽の理もまた同じ。その理を紡ぐ言霊センスが異なり、律令リズムが異なるだけ。いつかは、必ず理解できるだろう。

【完】

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