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近未来建築診断士 播磨 第4話 Part6-7

近未来建築診断士 播磨

第4話 無自覚な従僕たちのマンション
Part.6『劣化機能の更新業務』 -7

【前話】


前回までのあらすじ
 建物の劣化診断を営む播磨宮守は、姿をくらましていた『社長』づたいにアメンテリジェンスマンションの診断を引き受ける。変貌したマンション管理システムから居住者を開放するため秘密裏にシステムアップデートを行うことを決めた播磨は夜間を狙ってマンションに侵入する。システムの妨害を受けつつも、なんとか11階サーバー室への侵入経路を見出したのだった。


 初期消火用ドローンは見るべきものを見終えたのか、来た時同様に素早く出て行った。パトランプの光がマンションの外壁を舐めながら降りていく。

『ちょっと待ってろ』
「了解」

 外壁点検用足場にしがみ付いて待つこと数分。体に巻き付けたワイヤーに引き上げられ、11階の床に手をかけた。初期消火用ドローンが突き破った樹脂扉の破片を払いつつ扉を乗り越える。エレベーターホール内を見回すと、天井の監視カメラに布が被せてある。刑事が細工したのだろう。
 刑事は装甲服に包まれた指先で器用にワイヤーを外していく。

「うろついていた人は?」
「見回ってた爺様は下に行った。消防隊に会いに行ったのかもな」

 エレベーターは火災警報に連動して使用不能になっている。ということはその老人は階段を下りたのだろうか。そろそろ消防隊が1階事務室に入った頃だろう。じきに警報が解除される。そうすればいつ戻ってきてもおかしくない。

「肩を貸してください。天井裏に潜ります」
「オッケー。他には?」
「すぐにここから離れてください」
「帰りはどうするんだ。まさかサーバー室に住み込むわけでもないだろ」

 パワードスーツの太い腕に軽々と持ち上げられ、慌てて刑事の頭を掴んだ。群青のヘルメットで指先が滑る。

「管理システムの正常化ができればなんとかなります。たぶんね」
『いざとなったら迎えに行ってあげるよ』
「そうだな。頼む」

 刑事の頭を支えに両足で肩上に立ち、工具で天井点検口のハッチを開ける。天井裏を覗き込むと、中は写真で見たより広かった。モノレールの高さに併せて設計したせいだろうか。これなら四つん這いで進めそうだ。

「姐さん、ドローンを監視カメラの上に着地させて廊下を見張ってくれるか。下に誰か来たら知らせてくれ」
『了解』

 天井裏によじ登りながら点検口を閉じ、息を吐く。天井裏内は下の廊下から漏れてくる光でぼんやりと明るい。それを頼りに腕の端末をまさぐって起動する。ARグラスを暗視用に切り替えると、空間を占める様々なものが浮かび上がった。

 天井を吊る数百のボルトと乱雑に這いまわる電気配線。それらの間を縫って巡る空調ダクトやパイプは吹き抜けに面する右手側壁を貫通している。吹き抜け空間の空調用経路だ。それらの向こうに空間が開けているのは、おそらくモノレールの線路だろう。防じんマスク兼用のフードを被り直し、ボルトの林へ踏み込んだ。

 サイレンが鳴り止む。やかましく響き渡っていた警報が消え、天井裏には反響音だけが残った。

『警報停止』
『消防隊は帰り支度中だ。何人かはまだ出てこないな』
「了解」

 耳の奥に染み付いたサイレンを聞きながら軽量鉄骨の骨組みを掴み、踏みしめていく。ダクトの上を這って進む。天井から延びる吊ボルトをかき分けていく。たちまち全身から汗がにじみ出してきた。
 移動しやすいとはとても言えない。だが思ったとおり、通れないような狭さではなかった。ゆっくりとだが確実にサーバー室へ迫れる。

『先生、お客さんですよ』

 呼びかけと同時に動きを止め、そっと骨組みの上に両手足をついた。ARグラスに廊下の映像が映し出され、そこを白髪頭にジャージ姿の男性がふらふらと歩いていく。白髪頭はサーバー室のほうを眺めたり、吹き抜けを見下ろしたり、あちこちを見回している。

『様子見に出てきたか』
『いま振り返られたら見つかるかな、ウチらのカメラ』
『祈っとけ』

 四つん這いで天井板を見下ろす。老人はいま、ちょうどこの真下を歩いている。うかつに物音を立てて気づかれてはまずい。画面越しに丸い背中を見つめながら、じっと待つ。

 そこへ新たな音が響いてきた。聞き覚えのある軽い音。

『モノレールが来たぞ』

 老人の歩いていく先、下階から上階へ延びているレールが見える。そこへ無骨な車両が滑り込んできた。黄ばんだ白色のフロントカウルを振動させながら速度を落としてレール分岐点から水平レールへ移り、カメラの視界外へ出ていく。

 ほぼ同時に金属音が前方から鳴り響き、前方右手側の壁がするりと開いた。まばゆい光とともにモノレール車両が天井内に入ってくる。さきほど刑事の往路妨害をしたときの後部車両は無く、先頭の動力車のみのようだ。

 車両の全てが天井内のレールに乗ると車体側面のアームが引き戸を引っ掛け、そっと閉じた。再び視界が暗転する。天井の闇の中で動力車の緑色LEDがこちらを見つめた。

『とおせんぼのつもりかな』
『多分な。けど線路わきを通れそうだ』

 春日居のカメラ映像に目をやる。廊下に佇む老人は少しの間、車両が入っていった鋼製引き戸を見上げていた。やがて満足したのか飽きたのか、目元をこすりながら引き返していく。眠たげなその目はカメラのほうを見上げることもなく、そのまま視界の手前に消えていった。

『いまドアを開けて……OK、閉めた。お客さんはお帰りです』
「了解」

 四足移動を再開、刑事の言った通り真正面のモノレールをさけて左側へと回り込む。住戸の壁側はダクトや配線がさらに密集して動きづらいが、あのモノレールと距離を詰めるにはまだ早い。電気配線の茂みに無理やり突っ込んだ。

 無心に前へ。頬を伝う汗が猛烈にかゆい。荒くなっていく息をなんとか堪えるが、どうしても肩で息をしてしまう。

 モノレールは静かにこちらを見ている。見つめながら、少しづつ後退していく。僕が進むのと同じペースで、音もなく。そのせいでいつまで経っても管理サーバー室の天井搬入口が見えない。

『おい、まずいんじゃないか』
『ああ。そいつは搬入口を塞ぐつもりだ。無駄足になるよ先生』
「大、丈夫、だから」

 乾いた喉でどうにか言い返す。粘ついた唾液でむせてしまいそうだ。こんなことなら水の一つも持ってくるべきだった。管理サーバー室に備蓄水でもあるといいが。

『何が大丈夫なんだ。意地はらずに戻って来て』
「Mの、97」
『え?』
「きか、い図だ」

 モノレールが止まった。緑色のライトが僕を凝視している。それを睨み返しながら自棄になって這い進んでいくと、ついにコンクリートの壁につきあたった。手を伸ばして壁に触れる。息を整えながら、少しの間その冷たさを両掌で味わった。

 横を見るとモノレールの車両が鋼製扉に接している。フロントカバーの先端を擦り付けんばかりにしているそれが管理サーバー室の防火扉だ。扉は人一人が余裕をもって潜り抜けられるサイズだが、今は閉じている。火災警報と共に防火扉が下りたのだろう。

 わずかな唾液を飲み込んで振り返り、車体全体を視界に納める。車両頂部でLEDが輝いている。それを中心に幾筋もの光線が重なった。

『M97ってこれね。構内物品運搬用、車両詳細図』

 設備図面の一枚がARグラスに映し出され、車体の表面に重ねられる。LEDの逆光で見えづらかった周辺は操作パネルになっており、液晶パネルといくつかのスイッチが並んでいた。

 春日居が各ボタンの文字と説明のリンクを矢継ぎ早に表示させる。加速、停止等の運転用から点検用のスイッチもある。四つん這いで車体ににじり寄りパネルに手を伸ばした。

 触れる直前、車両のモーターがうなりを上げた。

『危―――』

 春日居の警告より早く車体は急発進した。樹脂タイヤがレールを噛む音が響き、あっというまに数メートル後退する。安堵の吐息が通信に響いた。

『―――なかった、ね』
『いや、早くそこを離れろ。今度は突っ込んでくるぞ』
「大丈夫」

 片手をモノレールに向けたまま、空いた手で扉をまさぐった。鉄扉には取手もつまみなく、押してもびくともしない。
 だが人がめったに入らない場所の防火戸だ。自動で開くか、素人でも簡単に開けられるようになっている。扉枠のどこかにフックか何かがあって、それを外せば開くはずだ。
 腰から鉄定規を取り出して扉枠と戸の隙間に差し込む。だが手ごたえがない。鋸を引くように定規を差し引きし、隙間を改めていく。

 その時、モノレールが再び吠えた。モーター駆動音が歌うように音程を挙げたかと思うと、さざ波のようなかすかな音と共に50kgを超える機械が突っ込んでくる!

 しかし車体は止まった。
レールを踏みしめる右足、分厚い安全靴の目前で。

「大丈夫。この機械はちゃんと整備されてる」

 二人のため息がユニゾンしてイヤホンに響いた。

『どういうこと?』
『扉が壊れんのを避けたのか。あいつ』
「いいえ」

 おさまっていた汗がふきだして全身を濡らす。垂れてきた洟をすすり上げながら、つま先と対面している小さなレンズを見下ろした。

「衝突防止装置です」

 車両が後ずさっていく。先ほどと同じ位置まで下がるとまたも駆動音を高鳴らせこちらへ突っ込んできたが、これまた靴の前で止まった。

 これではっきりした。管理システムは天井内が見えていないし、モノレールにもカメラが搭載されているわけじゃない。想像でしかないが、相手はこちらの侵入ルートを想定してこれを送り込んできたんだろう。

 だがモノレールは継続的なメンテナンスで設置当初の機能を保っている。線路上の障害物を認めれば止まるし、接近するものがあれば距離をとる。いかに管理システムが侵入者に対抗しようと画策しても、事故につながるような改変はできなかったのかもしれない。

 かちりと何かが鉄定規にあたった。さらに定規を押し込むと手ごたえが軽くなり、防火戸が動いた。そっと戸を押すと鉄扉が上がっていき、室内から暖かい風が吹いてきた。

「扉が開いた。これから管理サーバー室へ入る」

【続く】

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