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消えたインドネシア・レストラン

東京都内某所、東京駅近くに数十年間ひっそりと続いたインドネシア・レストランがあり、よく通ったものだった。特に何が美味しいと言うわけでもないのに、その空間の持つ独特な空気や店の匂い、それに女性店員の話すインドネシア語の響きに妙に惹かれ、それ程個性的ではないカレーやナシゴレン、ソトアヤム等をずらっとテーブルに並べて、まるで料理を鑑賞するが如く数十分間楽しんでゆっくりと平らげるのが好きだった。

私が特に好きだったのは「サテ」と呼ばれるインドネシアの焼き鳥料理だった。別に辛くもなく醤油系の味付けと言うわけでもなく、兎に角「どんな味?」と尋ねられても回答に困ってしまうような曖昧な味付けなのに、二度口にすると絶対にハマる味だから不思議だ。

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どこのインドネシア料理店に足を踏み入れても共通している事は、やたら店内が暗い事だ(笑)。
さながら秘密の儀式でも執り行われているみたいな空間にはお香がかすかに香り、入り口は白い煙でモヤっと演出されている事が多い。

イラシャイマセーーイ、Selamat Datang!」…
口の奥が「イ」と「エ」の中間に開いたまま全ての言葉を発音しているような、一見下品にも聴こえそうな韻が店の入り口の白い靄に燻されて、それが不思議な魔法にかかったように来店客の郷愁を誘う。

インドネシア系の飛行機に搭乗すると女性キャビンアテンダントは、柄の細かいシルクの巻スカートを纏っている事が多いが、まさしくそんな感じの衣装を着て客を出迎えてくれるそれだけで、料理の味だとか接客態度がどうの…とか、そういう細かい事がどうでもよくなってしまうから不思議だ。

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話を戻すと…。

私が通い慣れたインドネシア・レストランがある日、忽然と閉店した時には驚いた。何の予告もなく、本当にある秋の終わりにそのインドネシア・レストランの前を仕事前に通り掛かると、店の中で数人の女性が泣きじゃくっていた。
何があったのだろうかと、私は思わず店のドアを開けて中に入って行くと、泣いている女性の中の一人が「キョーワーオミセ、ヤテナイヨ」と言いながら又、泣き始めた。

「何かあったのですか?」と質問したが、「ソナコトイマイエナイヨ」と言って店員たちは構わず泣き続けていた。それ以上何も尋ねてはいけないような空気が漂って、私は「近いうちに又来るから。」と言うと一人の女性が「アナタイイヒトネ、マテルヨ。」と私を見送りにドアを開けてくれた。


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店を出ようとしたら微かに、シーラ・マジッドの歌声がBGMに乗って聴こえて来た。何人もの店員が容赦なく泣きじゃくっているのに、そういう時でもインドネシアの人たちはBGMを欠かさず鳴らすのだろうか…。

妙に違和感を感じたけれど何となくその重苦しい空気を和ませたくなって、「これ、シーラ・マジッドの曲ですよね?」と店員に声を掛けると女性は「アナタホントニヨクシテルネ(知ってるね)。ソウヨ、シーラヨ…。」と言ってなぜか急に私を店の中へ押し戻すと、「ナシゴレンと焼きバナナだったら直ぐ作れるよ。あとコーヒーもね。」と言っておしぼりを持って来た。

どっちみち今日の夕食はこの店で…と決めていたし、折角だから店員が今直ぐ泣きながらでも作ってくれるメニューでお腹を満たして行こうと思い、相変わらず数人の女性店員らしき人たちが泣きじゃくる店の空いたシートに腰かけて、運ばれて来る料理を待つことにした。

今日はなぜか無性に焼きバナナが食べたかったので、「焼きバナナだったら直ぐ作れるよ。」と言われた時は飛び上がる程嬉しかった。何なら焼きバナナだけでもいいですよ…と言いたくなるぐらい、このお店の焼きバナナはオススメのデザートだ。

10分ぐらい待ってるとおずおずと店の奥からナシゴレンと正体不明の野菜炒めが運ばれて来て、まるで泣き過ぎて涙で味が薄まってしまったのか…と言うぐらい塩分が薄く覇気の無い料理がテーブルに並び、私はその覇気の無いフードをそれでも有難いと思いながら胃袋に収めて行った。
まるで葬儀の後の悲しい会食のようだと思った。

何が起きたのか分からない彼女達の号泣は次第にボリュームが高まり、私も便乗して少し涙が溢れて来た。

覇気の無いメインディッシュの後にようやく、楽しみにしていた焼きバナナがコーヒーと共に運ばれて来た。インドネシア料理の店なのに、コーヒーはどういうわけかベトナム式で出されるのがこの店のしきたりらしく、だけど私はコンデンスミルクのたっぷり沈んだこの店のベトナム式のコーヒーが好きだった。

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この時はこの日の焼きバナナが、この店で私が食べる最後のスイーツになる…なんて思わずに、「又来るからね。元気出して。」と言って私は言われた額よりも少し多めの紙幣を店員に渡して店を後にした。
近年見ることのない、あまりにも美しい夕闇が辺りを包み込んで居て、しきりに泣き続けていたインドネシア料理屋の店員の得たいの知れない悲しみが私にも乗り移ってしまったみたいに、その後私は路地裏に隠れるようにして10分間だけ激しく泣いた。

げっぷが出て来て、口の中に残った焼きバナナの上のシュガーの甘みが沁みて、悲しげだったけどこんなに優しい味の焼きバナナを泣きながら焼いてくれて有難う…と、店員には届く筈もない感謝の声を微かに発した。
そして私はその日の夜の仕事に向かった。


インドネシア・レストランが忽然と消えたのは、それから一週間後の金曜日だった。

あれからたった一週間しか時間が経過していないのに、店内はただの剥き出しのコンクリートの殺風景な空間と化していた。異国情緒豊かな照明も厨房も、店内に所狭しとディスプレイされていたインドネシア柄のシルクのストールもCDラックも雑誌もテーブルも食器も、何もかもが消え去って、空間だけが取り残されたみたいにそこに在った。

ドアノブを押すと鍵が開いていて、私は二・三歩と少し、店の中へ足を踏み入れた。誰も居ない筈の店のどこかからか、先日のように女性の泣き声が聴こえて来たような気がして、あわや…幽霊でも出たかと思って振り返ったが、きっと空耳だ。
だが店の中にはまだ濃いシミのように女性店員たちの思いとか念のようなものが貼り付いて漂っているような気がして、私は思わず手を合わせた。

咄嗟に、この店にとって重要な誰かがあの時亡くなったのではないか…と直感した。
その人物を私は勿論知らないが、あんなに美味しい焼きバナナをメニューに加えて客に振る舞ってくれた人の一人だとしたら…と思うと、居ても立っても居られなくなりもう一度手を合わせ、そして数分間だけ黙禱した。



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