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初期化出来ない感情 - 熱い思い

木曜日は私の安息日のような日。勿論木曜日以外にも似たような日はあるのだけど、唯一私が独りになれる休養日が木曜日なのだ。

今日は用心深く、いつもの道は絶対に通るまいと肝に銘じて家を出た筈が、駐輪場で大家さんの奥様と立ち話をしている間にさっきまでの決意が脳裏から勝手に出て行ってしまった。
気が付くと私は、絶対に行ってはいけない道を悠然と自転車で走っていた。走っていたと言うより、考え事をしながらかなりのろのろと運転していた。

すると今絶対に会ってはいけない、或るカフェのオーナーと鉢合わせしてしまった。
勿論オーナーは、私の胸の内の本心など知る由もない。
あーらー○○○さん!…と、コロナ自粛以前の微笑みを浮かべ大声で私の名を呼んだが、私は微笑み返すことが出来なかった。

 
この自粛生活の中で私は、飲食店とは何か… と言うことについて、かなり真剣に思いを巡らせていた。
他にも関わりを閉じたカフェが一軒あったが両方のカフェの共通項を一つ挙げるとしたら、自粛要請期間中に顧客の胃袋を放置してコロナ禍の戦いを放棄したことだった。
 
もう一つのカフェの話は一旦棚に上げておき、話を戻そう。

絶対に行ってはいけない道で悪い予感通りに鉢合わせになってしまったカフェのオーナーは台湾の女性で、カフェ開業以前から『接客を伴う夜の飲食』業に従事する人で、いつどこで会っても常に赤い顔をして酒臭い息をめい一杯吐いて、兎に角いつも酔っ払っていた。
最初は私も深く彼女の事情に理解を示し、彼女が夜と昼の仕事の二足の草鞋をはく身である点を尊重しようと頑張った。だが最初っから無理があったのかもしれない。

このコロナ禍の中、私は街角で慣れない手つきで安い弁当を必死に売っている若い男女を多数見て来た。雨の降る昼間、自分ではなくお弁当に傘を立てかけ、売り子さんは雨に濡れながら必死に大声を出しながらお弁当を売っていた。まるで家出をしたまま疎遠になった娘を見るような心境になり、その度に私は目頭が熱くなった。


この春様々な事情で職を追われ解雇され(収入源の拠り所であるライブハウスが事実上営業出来ない状況に追い込まれた為)、多数の知り合いのかつての同業者たちが一斉に失業して行った。中には離婚を余儀なくされ車中泊に転じたミュージシャンも、複数人現れた。
何も出来ない私は結局何一つ声すら掛けられぬまま、二ヶ月弱が容赦なく経過して行った。


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普段何気なく懇意にしていた飲食店のうちの何軒かが『東京都からの自粛要請を受け、当面の間休業します』等と貼り紙を出したりSNS等で告知をして、長期休業に入って行った。だが私はそんな彼等の余りにも簡単で安易なやり方に、段々と怒りを募らせて行った。
 
実は自粛要請期間中頑張って店を開け続けた店も、意外に多かった。勿論どの店舗もアルコール消毒に余念が無く、客席を間引きしたり上手くレイアウトを変えたりしながら顧客の胃袋を常に案じ、出来うる限りの営業を続け店側も真剣に世情と戦っていた。

そんな中平気で店を閉めた台湾カフェのオーナーは、戦い自体をやめただけではなく自己保身に完全終始したのだと私は思っている。
 

『久し振り~○○○さ~ん!6月から店あけるよ~!』と言って台湾人のオーナーが私にしなだれかかって来ようとしたので、私はムスッとしながら彼女の手を払いのけた。
びっくりしたのは彼女の方だったのだろう、『ど~したの~○○○さ~ん!』と言って私の目を覗き込んだその顔を、私はプン…と(彼女にも分かるように)不機嫌に無視した。


この自粛要請期間中、人間の胃袋の数が減ったわけじゃないんですよ。
何を差し置いても先ず顧客に、こんな時だからこそ美味しいものを食べて欲しいと願うのが料理人と言うもの。
貴女はその、一番大切な料理人の使命を放棄したのですよ。

大体それだけ長く店を閉めておける余裕があるのだから、何も私だって乏しい懐を削ってまで貴女の店の売り上げに貢献しなくても大丈夫でしょう?


それだけまくし立てて私は、ぷいと自転車に乗ってその場を後にした。

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