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さよならよりも遠い別れ

少しずつ角が取れて丸くなって行く、心も、体も。
丸みを帯びて来た箇所には無数の傷痕が生々しく、だけどそれは時間の中で少しだけ乾いて、頑なに閉ざしていた私の何かが捲れてそこに本質だけが残って行く。

許せなかったものが許せるようになること、それはある種の忘却に等しい。正確にはそれは相手を完全に許したのではなく、自らの記憶から削ぎ落としただけなのかもしれない。だがそうなってみた時初めて、そこに人の云うところの「赦し」が生まれるのかもしれない。
だが潜在意識は過去を忘れることが出来ない。過去は時折夢の中に舞い降りて私を苦しめる、その度に私は悪夢からもがきながら這い出て来る。

そして私は泣いている。悪夢に、ではなくその悪夢を引き寄せる今の自分自身に対して。

数年前に双方言葉も通じないまま組んだユニット「MDM Project」の相方であるMichael E のトラックを、久し振りに耳にした。
音楽が私を呼んだのだ。当の本人のマインドが私を遠ざけているのに、Michael Eから生まれた音楽が私を音楽へと引き寄せた。

思えば彼の欠点は「緩さ」にある。生き方も彼の音楽も、そして双方の感情の詰め方から商品の売り方に至るまでの全てが緩い為、MDM Projectとして商品化した作品の原作者が私であるにも関わらず、レーベル側が著作権を主張し始めた為に私はMDM Projectの全作品(商品)をネットから、世界から撤収することを決意せざるを得なくなった。

それはさながら生まれた子供を無理矢理安楽死に追い込むような苦しみをともなったが、数年前の私は事の経緯に怒り狂った。何よりMachael本人からのメールに私は憤慨し、この人とは以後二度と組んではならないと魂が叫びを上げた。

人には表には見えていない筈の何かが視えてしまう瞬間があり、それが真実とは異なった場合や虚偽や欺瞞に満ちていると感じた途端、マインドに怒りが発生する。それを止めることが本来ならばスマートなやり方だと分かっているのに、それが出来なくなる瞬間が訪れる。
あの時がそうだった‥。

Michael E は私に、音源の元データを要求して来た。それには彼なりの理由があり、彼は打ち込みドラムと同期した私の音源を再構築しようとしていたが、私はそれを拒んだ。(心のどこかでMichaelを信用していなかったから、かもしれない。)
クオンタイズされた音楽はあくまで機械音楽であり、音楽でもなければDidier Merahでもないと思っていたが、それを英語で上手く伝えられなかったのは私の痛恨のミスだった。


数年が経過し、Michael E が実はピアニストに方向転換を図り始めたことを知る。そうなれば私は彼にとって文字通りのライバルであり、Michael本人は全く無意識のところで彼の、私への憎悪のような感覚が私には手に取るように分かった。

私は数年間、一度も彼の作品を聴かなかった。そんな中、YouTube越しに私の作品をMichael E が編曲した「Samsara」の著作権は別の人である‥と言うようなインフォメーションが手元に届き、そのことが切っ掛けで再度Maichael E に連絡を取らなければならない事態が発生する。
とても重要なことであるにも関わらず彼は「まあまあ落ち着いて、Didier。僕たちが別に被害に遭ったわけではないんだ‥」と言うような、やはり緩い返信文が届き、私の中に忘れかけていた怒りが再燃。

MDM Projectの全商品をネットから引っ込めて欲しい。」とメールを送ったところ、彼自身もこれ以上どうしようもないと思ったのだろうか‥、一言余計な嫌味をくっつけて私の提案に同意した。

Michael Eとはそれっきりになったが、彼の音楽が私を再度呼びつけた。だが、私も丸みを帯びたように彼のマインドもきっと、同じような経緯を辿っていたのかもしれない‥、そう思わせる何かを彼の音楽の中にひしひしと私は感じ取って行く。

あの時私たちの中にもう一人、第三者のマネージメントが介在していたら、こんな結末にはなっていなかっただろうか‥とも思うが、同じ人間が関わる以上結果は一緒だったのかもしれない。
今となっては「たら」「れば」な話である。考えても無駄だ。

いつか、どこかで再び私はMichael Eと再会するかもしれない。そんなことを思いながら、この記事の〆にMichael Eのピアノ曲だけを集めたロングトラックを。


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