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志という名の欲望を抱くことの大切さ

  「Gen Z」, メディアで大々的に自分の主義主張を伝えられる時代に突入している。その力は、それらメディアを利用する人々に対して、時に勇気づけ、時に人の心を不安定にさせている。しかし、そのメディアによって、政治や国際情勢 いわゆる、”肩苦しいまじめな”話題よりも、夢と希望に溢れた”ポップカルチャー”に焦点を当てやすい。それによって、一種の”現実逃避”が帰納的いや意図的な過程の中で、形作られているのかもしれない。

 政治・国際情勢という分野において、様々な課題を抱えていることは事実だけど、その現実に危機感を持つ人は日本の社会において少数なんじゃないかなという肌感が私の中で存在してる。 (そう思わない人には先に”ごめんなさい”と謝っておきます。)私は、その少数派の第一線で

 別に今やってることが理解されずとも、その志に共感してくれずとも、次の世代の子供たちが、

「はるかって人物がこんなことしてくれてたから、今、この生活が成り立っているんだな。」

とその業績に気づいてくれれば十分なのです。
 私はそこまでのさりげなさと謙虚さを、これからも大切にしていきたいと思ってます。

 特に私が意識していること。それは”日本流”を貫き通すこと。
他の人からしたら、私は英語がある程度できて、洋楽好きで”西洋被り”しているのかもしれない。
 そのように一概に、日本人という人種は、レッテルを他者に貼ることが好きなのに、他者から自分にレッテルを貼られたくない特性を持っている。私だってその中の一人なのかも。しかし、それをうまく利用することも一つの手。

他人にいくらでもレッテルを貼られても、心の中にある強い”志”という真実を内密に形として行動に進めながら、やりたいことを徹底していれば
いつしか人はレッテルを勝手に剥がして、応援してくれるのである。

表沙汰には出さず、秘密裏で偉大な功を成す。これこそ、日本人の強さであり、美徳だと私は考えている。
それを弱みだと思っている人もいるが、影の主役こそ、自分がやりたいことを自由にできるチャンスが多いのだ。

私はその陰の主役として選んだ夢、
それが”外交官”。

その職種についている人は、
国際関係学はもちろん、経済、法律、行政学、文化歴史、地理、時事問題まで底に付くまで知識を掘りに掘り下げ、その知識のキャパを、化け物並みのコミュ力と適応力でフル活用する、そんな才能の塊みたいな人達を直で見てきた経験がある。

だけど、あまりメディアのスポットライトにあたることはない。それだけ国の財産として守られているとも読み取れる人間たちなのです。

 私は昔から、どんな分野でも ”学び、活かす”この力が好きだった。本気で茶道を学び、色んな人にお茶を点てるのにハマったかと思えば、戦争兵器の仕組みとそれを作り出す人間たちの心理まで学んで、小学校内でそれ関連を学ぶサークルをつくってみたり。物理という名の実験に熱中して、家の壁をぶち壊してしまったり。今思うと破天荒でしかないけど、ある程度の倫理観を持って、自分の幅広い興味分野への欲望に、正直に生きているような人なんだと思います。

そんなに欲望に忠実だったら、線引きと忍耐力が必要な外交官に向いているのか。なんてことも聞かれます。


松下村塾で様々な偉人を輩出させた吉田松陰 先生

私が敬愛する吉田松陰先生(1830―1859)曰く、
「万巻の書を読むに非ざるよりは寧んぞ千秋の人為るを得ん。
一己の労を軽んずるに非ざるよりは、寧んぞ兆民の安きを致すを得ん。」
  
意訳すると、
たくさんの書物を読破するのでなければどうして長い年月にわたって名を残す、不朽の人となることができるだろうか。できはしない。
自分一身に降りかかる労苦を何とも思わないような人でなければ、どうして天下国家の人々を幸せにすることができようか。できはしない。
ーーー「志を持つなら、覚悟を持て。沢山の書物を読んで努力しろ。」

私の”外交官”という志は、不意に変わることだってあるかもしれない。
だけど現時点でその志に、相当な努力をする覚悟を持っている時点で
どれだけ私の欲望が自分自身を突き動かしているのか計り知れないなと感心してます。

今のところ、その欲望に向かって突き進んでいくのが得策かと感じてるので、長い目で見てもらえればと思います。

振り返って、私って18歳にしては取っつきにくい部分多いけど、気軽に声かけてもらえれば!

では、また!



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