「強さの磨き方」を読んで②

以下の本を読んで学んだことを書いていきます。

以下の記事の続きです。

強さの磨き方

分断、分断と言われる時代ですが、才能を認める環境は豊かになってほしいと願っています。そして才能は環境とのマッチングによって開花しますから、遺伝子は選べないけれど、環境は選べるということも忘れないでおきたいものです。

二重作拓也. 強さの磨き方 (p.93). アチーブメント出版. Kindle 版.

自分の子供を含め、他人の才能は理解しやすいと思います。一方で、自分がどんな才能を持っているのかは、なかなかわからないものです。
元陸上選手の為末さんが書籍の中で以下のようなことを言っています。

技能を扱うのは自分自身である。自分自身にそれを成し遂げさせるのが重要なのだ。そのためには自分を知り、自分を扱う方法を、実践を通じて体得していかなければならない。それは自分で自分の癖に気づき、自分の扱い方を学習していくことでもある。だが、自分の扱い方はどの教科書にも書かれていない。

為末大. 熟達論―人はいつまでも学び、成長できる― (p.21). 新潮社. Kindle 版.

熟達を探求していくプロセスは一本道ではなく、段階に分かれていると考えている。  私はずっと、矛盾する教えが両立することを疑問に思ってきた。例えば「まず言われたことを言われたようにやり、基本を覚えることが大事である」という人もいれば「自分で考え自分に合ったものを選ぶことが大事である」という人もいる。また「量が大事だ」「質が大事だ」や、「考えろ」「考えるな、感じろ」というのもある。今ならばわかるが、これらは段階が違うだけなのだ。  それぞれの段階で重要とされることは違い、取り組み方も変えなければならない。私自身、スランプに陥り悩むことがあった。その頃は努力不足だからと必死で同じやり方を繰り返していた。今なら、やり方を変えなかったことが問題だったとわかる。だから、成長には段階があると理解しておくことが大切なのだ。

為末大. 熟達論―人はいつまでも学び、成長できる― (p.23). 新潮社. Kindle 版.

才能をいかに伸ばしていくか、自分がどの段階にいてどんな課題をクリアすべきなのかを客観的に見られると良いのかもしれません。
職人技と言いますが、何をどうやったら実現できるのかわからないようなことがあります。そのやり方を他人に聞いても、なかなか理解はできません。自分が体得していくというプロセスが必要です。
世の中には様々な職種がありますが、どの程度の熟達度なのかは段階があるはずです。
その職種でどのような状態になっていると、どのような熟達度合いなのかを定義できると良いのかもしれません。

他者の脳にも膨大なネットワークが構築されていて、その人ならではの判断基準があります。ですから、本人が才能だと認識していないことを、他者があっさりと認識しているようなことがたびたび起こります。  客観視が苦手な私は「仲間の脳を借りる」というのをよくやります。

二重作拓也. 強さの磨き方 (p.94). アチーブメント出版. Kindle 版.

1on1はこのためにあるのかもしれません。自分では客観視しづらいことを、他人からどう見えているかどう理解しているかを教えてもらう。それにより、自分が抱えている課題や成長の段階を明確にできます。
また、人からだけでなく、読書や体験から学ぶということもできます。脳に刺激を入れて、自分の思考や感覚の幅をいかに広げられるかが大事です。

不安は脳が感じているわけですから、それを「書く」という高度な運動を通じて捕捉し、外に出してやるわけです。大脳辺縁系に渦巻く感情を、理性的な運動を通じて、情報に変換するわけですね。そうすると「漠然とした不安の正体」が明らかになり、脳内にあった不安を、今度は「外部情報として視覚で捉え直す」ことができます。  外部情報にしてしまえば、いったん自分と切り離されますから、眺めたり、思考したり、分析したりという理性優位の行動がとりやすくなるわけです。

二重作拓也. 強さの磨き方 (p.142). アチーブメント出版. Kindle 版.

1日の終わりに、日記を書くのは良いのかもしれません。
手書きだとブルーライトもないので、睡眠を妨げることもありません。
タイピングだと速さもありますが、まとまっていない考えをアウトプットするには手書きで書いてみるのも良さそうです。

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